第三部邂逅(五)

(五)

「此度は大層、世話になった。どうじゃ寄って行かぬか」
保科の住まう上屋敷の門前で、新之輔は別れを告げていた。ところは江戸城の南にある、広大な敷地である。
「いえ、急ぎますので、ここで失礼つかまつる」
「おお、そうであった。そなたの急く気持ちはよう分かる。浅草寺の近くに思い人が居たのじゃな」
「――」
新之輔は一瞬とまどったが、気を取り直して言った。「思い人ではなくて、知り合いの医師でござる」
「ではそういうことにしておいて、いいか新之輔、落ち着いたら、ぜひとも会いに来てくれ。約束じゃ」
(家来でもないのに)と思ったが、新之輔は神妙にうなずいた。
「承知しました。落ち着きましたら、必ずご前をお尋ねいたします」
新之輔が頭を下げて立ち去ろうとすると、「待て」と保科が呼び止めた。
保科は背後に控える年配の男のところに行って、何やら受け取ると、戻ってきた。
「あやうく忘れるところじゃった。旅のあいだ、そのほうに立て替えてもらった路銀じゃ。これで貸し借り無しじゃな」
ずっしりと重い。渡された紫色の袱紗を開くと、十両ぶんの小判だった。
「ご前、これは多すぎます」
あわてて新之輔が返そうとすると、保科は鷹揚に手を振った。
「まあ、納めておけ。今後何かと入用じゃろう」

保科と別れたときは、昼どきになっていた。
新之輔は海滑藩にいたとき、参勤交代にお供して、江戸には何度か来たことがあるので、地理の心当たりはあった。
そこでまず、日本橋めざして歩いた。まだ皮の鎧を身につけていたので、奇異な目で彼を見る通行人もいた。
(早く脱がねばならぬな)
そう思いながら、新之輔は道を急いだ。

ようやく辿り着いたあさがお横丁は、浅草寺の裏側の二筋入った通りにあった。路地の両側に古い長屋が立ち並び、途中、空地があって井戸が備えられている。そこが共同の水汲み場になっているようだ。
長屋の前に木で仕切った植え込みや、土の入った桶が置かれているところを見ると、夏の季節にはあさがおの花が見られるのだろう。
長屋は高い板塀に突き当たっていたが、一番奥に「やまいよろず相談」と書かれた、小さな木の札が掛かる家があった。
そちらに歩み寄ろうとすると、家の中から丸っこい男が出てきた。坊主頭に医師の風采をしている。懐かしい小壺芳美の姿だった。
小壺は新之輔の姿を見て、ハッとしたように動きを止めた。
新之輔が菅笠を取ると、最初は信じられないように目を見開き、次いで、へなへなとその場にへたりこんだ。顔が涙で歪んでいる。
「ひさしぶりだな」
新之輔が声をかけると、小壺は声に出して泣き出した。
「――新之輔さま――わああーっ」

新之輔の腕の中で、芳美はうっとりとした表情を浮かべている。
「ああ――本当に新之輔さまですね」
「そうだ。足が無いわけではないぞ。先ほど、じゅうぶん味わったであろうが」
「また、おたわむれを」
芳美は頬を染めて、幸せそうに新之輔の胸に顔をうずめた。
積もる話はたくさんあった。しかしふたりはまず、情欲のおもむくまま、肉体の交わりを持った。空白の時を埋めようとするかのように、執拗にお互いの身体を求め合い、やがて、息詰まる瞬間を迎えた。
ふたりは、房後の心地よいけだるさに包まれていた。肌を合わせたまま、お互いの温もりを感じ、離れようとしなかった。
やがて、じんわりと新たな力が湧いてくる。
新之輔が催促した。
「芳美どの――もう一度」

ふたりが離ればなれになってから、三年近くが経っていた。
新之輔は三十五歳、そして芳美は五十三歳になっていた。芳美は頭を剃髪しているので、さほど変化は感じられない。肌は相変わらず艶々として、小太り気味の肉体も健康そのものだ。
一方、新之輔はよく日焼けして、以前よりいっそう逞しさを増したように見える。身のこなしも隙が無い。山に籠っての修業と、旅を続けていくつかの修羅場をくぐり抜けてきたことが、彼を変えたようだ。
新之輔は、下関で羽山竜之進と戦って昌造が死んだことから、その後の修業や旅を続けて今に至ったことまでを、包み隠さず話した。黒鉄衆の動きを考えると、危害は小壺芳美まで及ぶ恐れがあったからだ。
そのあと、芳美が、大坂に行ってから江戸に来るまでの経緯を話した。
お互いの話を聞いた後、芳美が言った。
「昌造さんのことは残念です。ずいぶん頼りになるお方でしたのに」
「ああ、爺は下関の寺で眠っている。いずれは爺の墓を、海滑に戻そうと思っている」
新之輔は昌造と共に、新造のことも考えていた。ひょっとしたら、先にあさがお横丁で待っているかと思ったが、それもはかない望みだった。あとはどうしても悪いことを考えてしまう。新造はやはり――。

芳美は、江戸幕府内の情報を得ていた。彼が漢方と南蛮外科に詳しいことから、ちょっとしたきっかけで江戸城の御城
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