第9章 重厚な大人

第9章 重厚な大人

海原はぼくと同じアパートの3階に住んでいた。それでいて、ほとんど顔を合わせる機会がなかった。たまに顔をあわせても、通り一遍の挨拶をするくらいだった。
初めて海原とまともに会話をしたのは、大学のキャンパスでだった。
海原はある建設会社の重役で、その時は来年の新卒者求人のため、ぼくの所属するゼミの教授に会いに来ていたのだ。
教授は急用で外出していて、たまたま部屋にいたぼくが応対した。
最初のうち、ぼくは緊張していた。学生生活とは縁のない企業の常務取締役という肩書きと、びしっとスーツを着こなした海原の大人の雰囲気に気後れしたのだ。
海原は、性格も体つきも温厚かつ重厚な男だった。目も口元もなごませて、おっとりとした話しかたをする。おそらく60歳を過ぎている年齢だろうが、学生のぼくに対しても腰が低かった。
父親が子供を見るような慈眼で話しかける海原を見ていると、ぼくの心の中で何かわくわくとするような思いと同時に、ほのぼのとした暖かいものが膨らんでくる。

その日以来、同じアパートに住んでいる縁で、海原と親しくなった。ぼくはこの年配者に誘われて、いっしょに飲みに出かけるようになった。行きつけのバーは、神田の裏路地の一画にあって、中年のママが一人でやっている。
海原は酒好きで、この店には週に一、二度は来ているようだ。海原とママがどんな関係かは知らないが、かなり親密そうだった。初老とはいえ海原とて単身赴任の男だ。ときには人肌が恋しくなることもあるだろう。ぼくは、ふたりが肉体的に結ばれているのでは、と勝手に想像していた。

ある晩遅く、ぼくはアルバイト帰りにひとりでバーに立ち寄った。
店には案の定、海原がいた。ほかの客はいなかった。海原はカウンターの最奥部で、店のママとひっそりと話し込んでいた。その様子は、どことなく不倫を想わせる艷めいた光景だった。
ぼくに気づいて、海原は嬉しそうな笑顔を浮かべた。めずらしく酔っていて、機嫌が良かった。年配者があまりに嬉しそうな顔をするので、ぼくはどぎまぎした。
「海原さん、なにか嬉しいことでもあったのですか?」
ぼくが訊くと、ママが代わりに答えた。
「ちょうどあなたの話をしていたのよ」
「へーえ、悪い噂でしょう」
「そうじゃないわよ。カイさんは、あなたが自分の息子のようだと言ってたの」
海原が恥ずかしそうに微笑んだ。
ぼくは海原の横に腰かけた。
その後はもっぱら、ぼくとママの会話が続き、海原はおっとりと相槌を打ちながら酒を飲んでいた。間のあいた短い眉、ベッコウ縁の眼鏡の奥でいかにも優しそうな目が、ぼくを見て和んでいる。
ぼくは海原の家族のことを、本人からでなくママから聞いた。奥さんは静岡にいて、海原は毎週末に自宅に帰ること。一人娘は嫁いで東京にいること。娘のほかに息子がいたが、18歳のときバイク事故で死んだこと――。

静かになったので横を見たら、海原はカウンターに突っ伏して、眠り込んでいた。重厚な口元がゆるんで、かすかにいびきをかいている。
ママがぼくに言った。
「カイさんが眠るなんて珍しいわ。たぶん、あなたがいるので安心しているのね」
ぼくは立ち上がり、椅子から大きくはみだした肉付きの良い尻を見ながら、声をかけた。
「海原さん、そろそろ帰りましょう。もう遅いですよ」
海原はなにかつぶやきながら、よろよろと立ち上がった。足元がおぼつかなかった。
ぼくは年配者の体をしっかりと抱きかかえて、夜の街に出た。手に伝わってくる柔らかい感触は、ぼくの心に淡い期待を抱かせた。
タクシーはすぐにつかまった。
年配者の身体をタクシーの中に押し込み、並んで後部座席に座っていると、肩に重みを感じた。
海原はぼくにもたれかかり、健やかな寝息をたてている。ぼくはでっぷりとした腰に腕をまわして、横に倒れるのを防いでやった。
ロマンスグレーの頭から、ポマードの匂いが漂ってきた。
ぼくは思いがけずも、雲の上の存在と思っていた人物の身体にじかに触れ、速まる鼓動とともにつかの間の幸せ感に浸っていた。

アパートに着くと、海原の体を支えて3階まで行った。
海原の部屋は、美食と好色に慣れきった初老男の匂いがした。
ぼくは海原をベッドに横たえると、衣服を脱がせてやった。海原は半覚醒状態で、ぼくのなすがままに身をゆだねていた。
ベルトを弛め、ズボンをずり下ろしているとき、ぼくの手は震えていた。
海原は仰向けになって、今や完全に寝入っていた。白い下着に覆われた半円球の腹が、ゆるやかに上下に起伏している。
年配者の体に上布団をかけてやったあとも、しばらく寝顔を見守った。
厚い唇をわずかに開け、健やかな寝息をたてている年配者を見ていると、ウズウズとした欲望が湧いてくる。

ぼくの頭の中で、何かが弾けた。
ぼくは衝動的に服を脱ぎ、下着姿
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