シーン(7)
めずらしく遅刻しないで出社した鬼藤健一は、社内が慌ただしいのに気づいた。
「何かあったの、カズちゃん」
自分の席に着くなり、健一は横の女子社員に聞いた。
「なんでも、伊藤社長が倒れられたそうよ」
「なにっ!」
健一は絶句した。それから気を取り直して、女子社員に聞いた。「それで、社長は大丈夫なの?」
「さあ――倒れられたということ以外、何も聞いていないから」
健一は心配で、居ても立ってもおれなかった。秘書室に行って聞こうとしたが、一介の社員である自分の立場に気づいた。ふと思いついて、運転手の高木に電話した。
「あ、ターさん。今どこ?」
「病院の駐車場です。奥様をお連れしたあと、ここで待っています」
「社長の具合はどうなの?」
「それが、救急車で運ばれたあと、状況が分からなくって」
「何で倒れたの?」
「それも分かりません。とにかく今朝、社長室で倒れられたとしか聞いていません」
「そう――ターさん、何か分かったら電話して」
その後の1週間、健一は落ち着かなかった。
高木運転手からの情報で、伊藤社長は急激に血圧が上がって、軽い心筋梗塞を起こしたと聞いた。それ以上の詳しいことは、奥さましか知らない、と言う。
運転手の話を聞いて、健一はますます心配した。
なにしろイーさんは、肥満体の上に年寄りだ。それに、血圧が上がったって言ってたけど、ひょっとしたらその原因は自分にあるのだろうか?
(あの晩、イーさんを怒らせたからなあ)
健一は後悔していた。と同時に、自分にとってイーさんがいかに大切な人か、しみじみと思った。
それから数日後、思い悩んだ健一は、伊藤社長の自宅を訪ねた。
社長の私邸にあがるのは、このときが初めてだった。
応接室に現れた夫人は、健一の顔を見て、意外にも明るい声で言った。
「あら、あなたがケンちゃんね――主人のスケッチ仲間の」
「始めまして。――あのう、奥さまは私のことをご存じでしたか」
「主人からよく聞いていますわ。よほどあなたのことが気に入ってるのね。だって、入院している今でも、うわ言であなたの名前が出てくるのよ」
健一は感動した。思わず涙がこみ上げてくる。
(それほどイーさんは、ぼくのことを――)
彼は思いを抑えて、つとめて冷静な口調で夫人に尋ねた。
「それで、ご主人の容態はどうなんでしょうか?」
「心配いりませんわ。もともと心臓に毛の生えてるような人ですから」
夫人はコロコロと笑った。「あら、ごめんなさい、冗談なんか言って。でも、本当に心配いりませんわ。来週には退院できるそうですよ」
伊藤夫人と別れた後、健一は自分が卑劣な男であるような気がした。
自分はイーさん以外に、3人の男たちと関係を持っている。隣の部屋に住むショウちゃん、運転手のターさん、それに宮原建設のミーさん――。
それなのに、イーさんは健一ひとりを想っている。
彼はそれぞれの年配者の顔を思い浮かべ、ベッドでのあのときを思い浮かべ、そして結論を出した。
(やっぱりイーさんが一番だ)
そう思った端から、密着感抜群のショウちゃん、色白むちむち締りのターさん、味と感度のミーさん――それぞれの男たちの痴態が頭をよぎる。いずれも捨てるにはもったいない魅力がある。
(いかん!イーさんだけを考えるんだ)
健一は頭を強く振った。そして、珍しく、自己反省する心境になっていた。
(よし、イーさんが回復するまで、男を断つぞ)
人が聞いたら、じゃあイーさんが回復したら男遊びをまた始めるのか、と揶揄されそうだが、とにかく健一は、真面目に誓いを立てていた。
そのころ伊藤千秋社長は、病棟の個室で、秘書室長の大薗から会社の近況報告を受けていた。
話を聞きながら、千秋は集中できなかった。
ずいぶん長いこと、ケンちゃんに会っていない気がした。人なつこいのんびりとした顔。そして、ふてぶてしいほど肉厚のチンポ。ケンちゃんのことを想うと、身悶えするほどの渇望を覚える。
最前より聞こえていた声がふと途絶え、大薗の生真面目な顔が、けげんそうに千秋のほうを見ている。
それに気づいて、千秋は手を振った。
「ちゃんと聞いてるぞ。続けてくれ」
大薗はふたたび報告をつづけた。いかにも几帳面な性格らしく、一言一句、手抜きせずに淡々と読みあげる。小柄な体をオーダーメイドのスーツで包み、50過ぎにしては贅肉の無い均整のとれたスタイルをしている。
ケンちゃんを思い浮かべて好色な気分になっていた千秋は、秘書室長の体の線を目で辿りながら、いたずら好きが頭をもちあげてきた。
(この男をベッドに誘ったら、どんな反応を示すだろうか?)
そう思って秘書室長の顔を見ると、もう何年も見慣れているのに、意外にかわいらしい顔をしている。
「よく分かった。ごくろうさん」
大薗室長の報告が終わると、千秋は老眼鏡を外
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