(2)
仲間篤志は内田老人のマンションを出ると、いったん自宅に戻ってスーツに着替え、門前で待つ社用車に乗って会社に向かった。
車に乗ってからも、若干気がかりだった。
忠はいつもと変わらず篤志の支度を手伝ってくれたが、昨夜から泊まり込みで来ていた御膳は、腹に一物ありそうな表情をしていた。
そんな気がかりを断ち切って、篤志は運転手に声を掛けた。
「ダイちゃん、何かニュースはあるか」
「はい。小笠原沖のサンゴを密漁する中国漁船は、まだ活動しているようです。それから、高倉健さんが10日に亡くなっていたそうです。なんでも悪性リンパ腫とか――」
運転手の大木奈悟は、重宝な男である。彼は新聞やテレビのニュースを見るのが好きで、こうやって篤志に世間一般の動きを伝えてくれる。それだけでなく、密かに篤志の耳目となって、社内の動きを見ていて、妙な動きがあれば篤志に伝える。
こういうことが出来るのも、篤志と運転手が親密な関係にあるからだ。
大木奈は現在61歳。大柄な体つきと、癒し系の穏やかな性格をしている。篤志は、この豊満な肉体ときれいな肌、それに大きな男のお道具を、ときどき楽しんでいた。
運転手の情報を得たあと、篤志は経済新聞に目を通しだした。
しかしその朝は、紙面の情報が頭に入ってこなかった。高倉健の訃報を聞いて想起したある人物――忘れたはずなのに、ふと思い出してしまう。
高城健――昔、付き合っていた男だ。物静かで、朴訥な人だった。篤志の体にウケの悦びを刻み込んで、そしていずこともなく去って行った。
(――健さん、今頃どうしてるかな)
会長室のデスクにつくと、すぐ担当の秘書嬢がお茶を持ってきて、一日のスケジュールをてきぱきと読み上げる。今日は役員会があるが、それ以外は大した予定はない。
日間梨産業はオフィスビルの賃貸を中心とする不動産会社で、ほかにも周辺事業として、商業施設やアミューズメント系施設の運営などをやっている。業界の競争は厳しいし、事業上のトラブルも多い。
いったんリタイアした篤志は、65歳のとき会社の要請があって、日間梨産業に復帰した。役職は相談役だった。
そして翌年、当時会長だった御膳念須巳が退職して、篤志が会長職に祭り上げられた。
どうもこの一連の動きは、最初から御膳念須巳の思惑が絡んでいたようだ。
会長の主な役割は、財界や業界など外部団体との付き合いなので、収益に関わる企業活動の采配は、江利戸社長がとっている。
それでも篤志の会長職は多忙だった。訪問客の応接や他の役員の相談事が多く、いっぽうで業界の催しや会合があれば外に出向いていく。
そして、会長になって一番鬱陶しいのは、どこへ行くにもお伴の人間がいることだ。これでは、プライバシーなどあったものではない。
9時から役員会があった。
議案は7件だが、メインのSプロジェクト以外は、たいして審議するほどのことでもなかった。
Sプロジェクトは未来商事との共同事業案件で、千代田区にある遊休地にオフィスや商業施設などの複合ビルを建てる計画である。まだスタート段階なので、計画の詳細は出来ていないが、事業化できれば、日間梨産業にとって久々の大型事業になる。
担当の何母専務が、淡々と状況説明を始めた。篤志は聞いていて、何か引っ掛かるものを感じていた。何母の話しぶりには、あまり熱意が感じられないのだ。
説明が終わると、篤志は質問した。
「先月の状況からあまり進展がないようですな」
「はい、なにぶんにも大型案件なものですから、未来商事のほうでも、社内の意思統一を図るのに時間がかかっております」
「未来商事内で、事業に反対する人物がいるということですか?」
何母は一瞬、口をつぐんで、慎重に答えた。
「いえ、具体的な情報は入っておりません」
昼過ぎに、江利戸社長が何母専務を伴って、篤志の部屋にやって来た。
社長の江利戸薫は中肉中背、整った顔立ちの50代後半の男である。
さほどリーダーシップを発揮する人物でもないが、近頃は社長業にも慣れ、所作の端々に自信があふれている。
「Sプロジェクトの件ですが、じつは――」
ソファーに座ると、江利戸はすぐに切り出した。「未来商事の内部で、共同事業に反対している重役がいるのです」
やはりな、と思ったが、篤志は何気なく訊いた。
「ほう、それは誰ですか?」
「尾根江会長です。それでお伺いしたのは、仲間会長は、尾根江会長をご存じかと思いまして」
「直接的には、お話したことがありません。財界の会合などでは、顔を合わせることもありますが――」
「そうですか――」
社長と専務は落胆したようだ。どうやら篤志のルートから、尾根江会長を攻略することに期待していたようだ。
篤志は質問した。
「尾根江会長が反対されている理由は何ですか?」
「単独事業でやるべきだとおっしゃっています」
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