(5)
タクシーを使って自宅に駆けつけると、家の中は誰もいないかと思えるほど、ひっそりと静まり返っていた。
居間には啓介と義母、それに驚いたことに、引退した医者の太田がいた。
啓介は目を真っ赤に泣き腫らして、ときどきしゃくりあげていたが、取り乱した様子はなかった。その横に義母が、寄り添って座っていた。
啓介は俺の顔を見ても、何の反応も見せなかった。ものを言う気力も無くしたみたいだ。そんな息子の様子に、胸が痛んだ。
太田がそっと俺の腕をつかんで、部屋の隅に連れていった。
「きみのお義父さんが、身元確認に警察へ行ってる。さきほど、電話があった。きみの奥さんに間違いないそうだ」
俺は太田の顔をぼんやりと見た。そして聞いた。
「佳代は──どうして死んだのです?」
自分の声が、他人の声のように聞こえた。
「何も聞いていない。警察から問い合わせの電話が、あっただけだ」
太田はボソッとつぶやくと、補足した。「隣の栗田さんも、一緒に死んでいたそうだ」
「栗田さんも──?」
俺は訳が分からずに、太田の顔を凝視した。
太田は小さく咳払いをすると、言いにくそうに言った。
「きみのお義父さんは多くを話さなかったが、どうやら二人は心中したらしい」
太田の言葉を理解するまでに、しばらくかかった。俺は老人の顔を呆然と見ながら、声が出なかった。
太田は俺の心情を察して、事務的に言った。
「お義父さんはまだ向こうにおられる。私の車で送ってやるから、きみも行きなさい」
俺は太田の後を、夢遊病者のようについていった。そこで思いついて、老人に訊いた。
「向こうに行くって、行き先はどこです?」
太田は慎重に答えた。
「遺体安置所だよ」
俺たちが通されたところは、灰色の壁で囲まれた無機質で殺風景な部屋だった。
中央に、キャスター付きの簡易ベッドが二台並べられている。その上に被せられた、灰色のゴムコーティングされたシーツの膨らみを見て、俺は尻込みした。
(あの下に佳代が──)
俺はその場に立ち尽くして、シーツの膨らみを凝視した。その膨らみには、まったく生命の兆候がなかった。そして、妙に平たく見えた。
(本当に佳代なのか──)
俺は半ば信じられぬ思いで、シーツの膨らみを見続けた。
そんな俺の思いにお構いなく、安置所の担当官はてきぱきとした動作で、簡易ベッドに近づいた。
「確認してください」
シーツが手際良くめくられた。
――佳代だった!
俺は、血の凍るような恐怖を覚えた。生命を失った佳代の顔は、苦痛の叫びをあげているかのようにゆがんでいた。むきだしの喉元に、紫色の痣が襟巻きのように付いている。その横のベッドには、同じ表情をした栗田の顔があった。
俺は顔をそむけた。膝が震えてきた。
(むごい!なんで佳代が、こんな目に合わなくちゃならないんだ)
勇気を奮って、もう一度ベッドのほうを見た。苦悩に満ちた佳代の顔――。これまで夫の身勝手に耐え忍び、悩んだ末に死んでいった佳代。
ふいに熱いものが、喉元まで込み上げてきた。俺は思わずベッドに寄り添い、そっと女房の額に手を置いた。
佳代の父親は控え室にいた。ソファーの片隅にひとりでひっそりと腰掛け、蒼白な顔色をしていた。その表情はうつろだった。俺の姿を見ても、まるで魂の抜け殻のようにぼんやりとしている。
そっと横に腰を下ろすと、義父の体に腕を回した。
「お義父さん──」
その後は、何を言っていいか思い浮かばなかった。
義父は初めて気づいたかのように、のろのろと俺のほうに振り向いた。坊ちゃん育ちの甘さを含んだ顔が、涙でくしゃくしゃになっていた。血の気を失った青白い顔の中で、目だけが赤く充血している。
「ああ──きみか」
義父はしわがれた声でつぶやいて、俺の手を握った。長身のスマートな体型が、丸まって、妙に小さく見えた。まだショック状態から抜けきれていないようだ。子煩悩な彼にすれば、それも当然のことだった。
俺は、これ以上慰めの言葉をかけても、何の役にも立たないと悟った。そこで、義父の体を抱いて立ち上がらせた。
「お義父さん、家に帰りましょう。啓介やお義母さんが家で待っていますよ」
義父は従順に従った。
太田の運転する車の中でも、義父は静かだった。重苦しい沈黙の中で、運転席から太田が声をかけた。
「俊一くん、さっき担当官と話したんだが、佳代さんのご遺体は、明後日の昼過ぎに家に戻される」
「──」
「ご愁傷だろうけど、これからお通夜や告別式の用意をしなければ――私もお手伝いするよ」
「──ありがとうございます」
俺は、言葉少なに礼を言った。実際、太田の心配りには、大いに感謝していた。彼がいなければ、俺ひとりで何をやっていいか、分からなかっただろう。
――◇――
曇天の中、佳代の葬儀はしめやかに行なわれた。
葬式の参列者は多かった。婦人会
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