(三)
結局、新之輔は、須佐之介の手助けをすることに同意した。
須佐之介は戦支度に、新之輔の持つ棒を鉄環で補強してくれた。
お梅が、新之輔のために、紺羽織と裾を絞った裁着袴(たっつけばかま)を持ってきた。
「動きやすいように工夫したよ。夜なべして仕立てたんだから」
そう言うお梅の目つきは、悩ましげにうるんでいる。
さすがに須佐之介が、やっかみ半分に言った。
「おい、わしの女房たちに、あまり色目を使うなよ」
そんなことを言われるのは心外であったが、新之輔は聞き流した。
最後に寄ったのは、馬具屋だった。そこで新之輔の鎧を作ると言う。
そういえば、須佐之介が身につけていた鎧は、革製だった。
「お侍さまは、すばらしい身体をされていますね」
馬具屋の主人は、新之輔の身体を採寸しながら言った。
どうやら身体の大きさに驚いたのではなく、しっかりした筋肉や骨格に感心したようだ。
初老の主人は、新之輔の身体のあちこちに手の平を当て、感触を確かめ、ときおり何事か考え込んでいる。
新之輔は、自分の身体を触る主人のやわらかい手を感じて、身体の芯が疼くのを覚えた。そういえば、久しく男を抱いていなかった。
これまで新之輔は、爺の身体に慣れ過ぎて、ほかの男は抱けないと思っていた。唯一の例外は、医師の小壺芳美だった。
芳美とは一度きりの契りだが、あまりにも鮮烈な経験だった。そして知った。爺以外でも、老いた男なら悦楽を得られるということを。
三日後、新之輔の鎧が出来上がった。胸と背中を覆う部位、そして腹と腰を覆う部位に分かれていた。要所には皮を重ねて、補強されている。鎧の合わせ目は、脇腹のところにあった。そして肩当ては、二の腕まで防御できる長さだった。
身につけると、すべてがしっくりとして、身体によく馴染んだ。
そもそも新之輔の戦う型は、戰(いくさ)の剣術である。少々の受け傷はものともせず、相手に致命的な一撃を与えることが求められる。そのため鎧を身につけ、刀は破壊力のある剛刀を使うのが効果的だ。
その意味では、皮の鎧は有り難かった。軽量で動きやすいし、逆に致命的な傷も受けにくい。
用意が整うと、ふたりはそれぞれの馬に乗って、石見の国へと出立した。ここでも昌造爺の教えが役立った。爺とはよく豊後の山野を早駆けで、馬を乗りこなしていたのだ。
石見の国に入ると、まず大森にある陣屋を訪ねた。ここは石見銀山の採掘事業の統括をしているところである。
大和須佐之介は顔馴染みなのか、すんなりと奥に通してくれた。しかし、担当者の話によれば、今回の輸送隊は半刻(一時間)前に、銀山街道に向け出立したと言う。
石見銀山は江戸幕府の直轄領であり、日本最大の銀の採掘量を誇っていた。ここで灰吹法という技術によって精錬された銀地金は、灰吹銀と呼ばれる。これを京都伏見にある銀座に運び込んで、そこで丁銀や小玉銀に鋳造するのだ。
灰吹銀の搬送方法は、当初は船を利用していたが、冬の日本海は季節風が強く航行に支障が多いため、今は陸路輸送となっていた。
この陸路のうち、大森から尾道まで、中国山地を越え瀬戸内海にいたる道を、銀山街道と呼んでいる。この道中が、一番山賊たちに狙われやすいところであった。
「ふむ、とりあえず輸送隊のあとを追ってみるか」
陣屋で情報を得たあと、須佐之介は言った。
ふたりは馬を早駆けして、山のほうに向かった。
四半刻ほど走ったところで、前方から男たちが慌てた様子でこちらに走り来る姿が見えた。
「待て。何があった」
声をかけると、先頭の男が息を切らして答えた。
「へえ、山賊が出ました。お侍さんたちと切りあってます。わしらは怖くて、ここまで逃げてきました」
「山賊どもは何人ほどいた」
「それがよく分からないんで。わしらはすぐ逃げたんで、そのう――」
替わって、もうひとりの男が言った。
「あのう、おそらく十五人くらいは居たと思います」
この当時は銀の輸送にあたって、街道各村へ人馬の負担が割り当てられていた。従って銀山奉行からは警護にあたる武士が数名つくだけで、あとの人員は百姓たちであった。
賊が十五人もいれば、警護の武士たちも到底太刀打ちできないだろう。
しかし須佐之介は不敵な笑みを洩らした。
「十五人とは、相手にとって不足なし。風間、稼ぎ時だぞ」
そう言って、須佐之介は男たちに向き直った。「お前たちはこのことを陣屋に知らせてくれ。その間に、わしらが山賊を退治する」
現場に着くと、武士たちが倒れていた。いずれも止めを刺されたのか、息が無かった。壊れた荷車の脇に大岩が転がっている。引き馬の姿が無いのは、連れて行かれたようだ。
おそらく賊どもは、崖の上から大岩を転がして前方を塞ぎ、立ち往生した輸送隊を一斉に襲ったのだろう。
あたりを調べていた新之輔が、須佐之介を呼んだ。
「大和、
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