『人生の旅路』
私の好奇心はいつしか自分の知らない世界、日本の外、海外に向けられるようになった。
私は20代後半、初めて海外旅行に出かけた。
70年代、私は小田実の「何でも見てみよう」や大宅壮一の「世界の裏街道を行く」の世界旅行記を読んだ。それらの書物に触発されてアメリカ旅行に2度チャレンジしている。
小田実は「ベ平連」代表で、評論や小説を書いて活躍した知識人。大宅壮一は「一億総白痴化」の名言で知られた昭和の大社会評論家であり、私の最も好きな知識人である。
最初は約3ケ月間、西海岸のロサンゼルスとサンフランシスコ、サンディエゴへ行った。
ロサンゼルスのリトル東京で、ミスター田中(田中勇蔵)という82歳の痩せた老人に出会った。彼は日系二世でハワイ出身、父親が広島生まれだと言う。
二世の彼は、日本には一度も来たことがない。日本人観光者を見ると、気安く話し掛けて来て小銭を無心する。貧しいから生きていくための手段で仕方がないのだ。浅黒く日焼けたした顔を見ると、性格的な明るさが感じられて、どうやら人は悪くなさそうだ。やはり日本人にはどこか安心感がある。
老人に対して警戒心を持たず、すぐ打ち解けることに長ける私は、彼と親しくなりリトル東京の小さなスナックに私のおごりで飲みに行った。
懐かしい昔の大型ジュークボックスで、双葉百合子の『岸壁の母』を聞きながら、二人でビールを飲んで楽しい時間を過ごした。
『岸壁の母』を聞いて「いいなあ〜、いいなあ〜」と言って、何故か?老人はまだ行ったこともない故郷?広島を空想して涙を浮かべていた。
ロサンゼルスでロス在住の日本人男性と知り合い、彼に誘われてアメリカ人の友達数人が集まる住居でのパーティに招待された。私は好奇心から参加したパーティで、マリファナやハッシッシ、ラッシュなどの性的興奮剤なども初めて経験し、サイケデリックで幻想的な世界、性的なエクスタシーの昂揚感にすっぽりとハマってしまった。
ロサンゼルスのダウンタウンは危険だが、好奇心と金銭的な理由で、田中さんに紹介してもらい下町の安いホテルへ宿泊することにした。そのホテルに滞在しているのは、格闘技のボブ、サップみたいに身体の大きい、見るからに怖そうな黒人ばかりだったから思わず身体が委縮してひるんでしまった。
朝、外出すると、驚いたことに刺殺された白人の老人の死体がホテルの前に転がっていた。人種差別が横行しているアメリカ、ロサンゼルスのダウンタウンでは、珍しくも不思議でもない日常風景なのだ。
帰国後、スポーツ新聞を見ていると偶然、私が泊まったホテルが、ロサンゼルスのダウンタウンで危険なホテルとして紹介してある記事が目に止まった。
私がロスからサンフランシスコへ行く朝、田中さんはグレイハンドのバス停まで見送りに来てくれた。またロスに戻って来るまでしばしの別れだ。
初めてのアメリカ旅行、ロサンゼルスからサンフランシスコへと長距離のグレイハンドバスで向かった。途中、バスが煙を出してエンストした。
誰か乗客の一人が、爆発物が仕掛けられていると、騒ぎ始め出したので、全員が一時下車させられるというハプニングがあったが、車の単なる故障で、何事もなく無事にサンフランシスコに到着することができた。
私はアメリカのサンフランシスコを訪れた時、たまたまゲイパレードを見たことがある。「クルージング」の映画みたいに革ジャンで身を固めたハードゲイの凄い肉体のパワーと、様々なファッションに身を包んだソフトゲイのパレードは、陽気で楽しそうな雰囲気に満ちていた。
『花のサンフランシスコ』というスコット・マッケンジーの歌が、当時、流行っていて、美しい花々が咲き誇るサンフランシスコの坂道の階段を歩いたりして、観光旅行気分で一人のんびりと散策していた。
あれは穏やかに晴れた日だった。公園内のテニスコートでは人々がプレイを楽しみ、公園内の芝生には、幸せそうな若いカップルが寝転んでいる微笑ましい光景が眩しい。若かった私はアメリカの自由な空気に解放されて満ち足りた気分に染まっていた。
コカ・コーラを飲み過ぎてオシッコがしたくなったので、何の警戒心も持たずに公園内のトイレへと向かった。
突然、茂みの中から突風のように男が現れて襲われた。背後から黒人の若い男に羽交い締めにされ、トイレに連れ込まれて「マネー、マネー」と怒鳴られ脅された。抵抗すると殺されると思ったが、身長が2メートル近く強靭な肉体を持つ若い男に首を絞められては息もできず、苦しくてもがくしか手はない。数分後、服を破られ、バックも奪われて、あっという間に逃げられてしまった。
私は悔しくて近くに落ちていたビンを割って手に持って、すぐに追いかけたが、カールルイスみたいに足が速い暴漢は、あっと言う間に姿を消してしまった。私は言わば足が短くて遅い「
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