第10章 雪解け

(1)

鎌倉から筑波に戻ると、鈴木千津子から絵葉書が届いていた。彼女も景の休みに合わせたように両親と沖縄に行って、旅先から便りを出したのだ。
最初、父の紹介で彼女に会うときは気分が乗らなかった。ところが、本人を前にすると、案に相違して好印象をもった。千津子は金持ちの娘にありがちな気取ったところもなく、控え目でもの静かな明るさがあった。それに、楚々とした容貌も気に入った。
その後、何回か千津子とデートした。彼女は水彩画を趣味としていたので、いつも美術館に行った。景は、この5つ年下の女性と一緒にいて、パートナーとして申し分ないと思ったが、沸き立つような性的欲求は湧いてこなかった。ふたりが触れ合ったのは、せいぜい手を握るくらいだった。
(これから千津子さんとは、どうなるんだろう?)
景は悩んでいた。父や祖母は、ふたりが結婚することを期待している。彼らはあえて口に出さなかったが、景にはその心情がひしひしと伝わってくる。でも、年配の男性に思いを抱く自分に、千津子さんを幸せにすることが出来るのだろうか。いや、正常な夫婦生活が送れるのだろうか。
そのうえ不謹慎ながら景は、千津子より彼女の父親のほうに惹かれるものを感じていた。鈴木清司は、嘉一の同級生ということもあって、藤森家と親交を結んでいた。もともと千津子と会ったのも、父親同士の縁からだった。
鈴木清司は育ちの良さを思わせるおっとりした物腰と、男の甘い色気を含んだ風貌をしていた。景はこの年配者に会うとき、いつも淡いときめきを覚えていた。

そして――鎌倉の屋敷で、飯島という用心棒が言っていたことが思い出される。兄の秀和が、3人がかりで安田を犯したと言う話だ。それに父の屋敷に泊まった時、秀和の部屋から出てきた栗原の憔悴しきった様子。あのときも、兄は栗原に性的な暴行をくわえていたのだろう。
景自身、年配の男性に性的欲望を抱いている。現にスコット氏や坂本千秋の義父と肉体的な関係を結んでいる。それを考えると、自分は秀和兄さんと同類の人間なのだろうか、と思っていやな気分になる。

坂本千秋から電話があった。
「よう、鎌倉はどうだった?」
千秋のいつもの、のんびりとした声。
景の心の中で、たちまち暖かいものが広がった。
「別にどうってことないですよ。何の用ですか?」
「おいおい、何の用ですか――は無いだろう。私がせっかくご機嫌伺いしたのに」
景はニヤリとした。
「それは有り難うございます。でも、ほかに何か用事があるんでしょう?」
「――」
一瞬、電話の向こうが沈黙して、そして声が聞こえてきた。「きみは老獪になってきたね――まだ若いのに。実はこちらにスーパー銭湯が出来たんだ。どうだ、きみも入りに来ないか」
(千秋さんの裸が見れるんだ)
にわかに、心がときめいた。それをぐっと抑えて、景は返事をした。
「いいですねえ。じゃあ、今度の日曜日に行きます」
日曜日は、ひょっとしたら千津子からデートの誘いがくるかも知れないが、今の景には、千秋のほうの優先順位が上だった。
「じゃあ、日曜日。いったん私の家に寄ってくれ。銭湯行きは義父の提案だからな」
「えっ――ということは、トシじいちゃんも一緒に行くの?」
「もちろんそうだよ」
(あのじいちゃんの裸なら、見飽きたな)
景は不満そうに言った。
「千秋さんって57歳にもなって、まだ父兄同伴じゃないと、どこにも行けないの?」
「バカ、57歳と言うな!まだ3日あるんだ」
千秋が憤慨したように怒鳴った。

――◇――

その年の大晦日に、景と祖母は、那須にある藤森家の別荘に招待を受けた。
藤森宗春が、たまには山で正月を迎えるのもいいものだぞ、と誘ったのだ。
サヨは一も二もなく、承諾した。
「おばあちゃんも、物好きだなあ。冬山はすごく寒いんだぞ」
「厚着をしていくわ。それに暖炉で薪を燃やすなんて、なつかしいわ。私が子供のときは、家に暖炉があったのよ」
サヨは子供のようにはしゃいでいた。
「仕方がないなあ。栗原さん、お聞きの通りです。冬ごもりの支度をお願いしますよ」
栗原が何かいう前に、サヨが言った。
「冬ごもりだなんてオーバーよ。栗原さん、支度なんてなにもないわ」
「でも、ほっかほかカイロは持っていかないと。おばあちゃんは寒がりだからね」
「ありがとう、気を遣ってもらって。じゃあ、景のためには、何か夜食を買っていかないとね。あなたって、よく夜中に起きだして、冷蔵庫の中をあさってるから」
「おばあちゃん、ぼくが欠食児童のように言わないでよ」
「あら、夜食はいらないの?」
「それは、あるに越したことはないけど――」

栗原は微笑みながら、ふたりのやりとりを聞いていた。
景坊ちゃまのアパートは、目黒のお屋敷とは雲泥の差があるが、狭いだけに生活感があった。彼は景坊ちゃまの部屋に、布団を
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