第9章 変質の兄弟

(1)

執事の栗原は、若主人の部屋の前でためらっていた。部屋に入れば、要求されることは分かっていた。それも景さまが来られているときに。
栗原は藤森家の会計をあずかっていたが、それに秀和坊ちゃまが目をつけて、旦那さまに内緒で小遣いを強要しだした。若主人の脅迫と暴力、彼はそれに屈して旦那さまにも言えずにいた。
その上、彼の体に対して行われる男色行為――。もうこんなことは終わりにしたかった。しかし、いま部屋に行かなければ、いずれはひどいお仕置きをされる。彼はあきらめたように溜め息をつくと、そっとドアをノックした。
「お坊ちゃま、お呼びでございましょうか?」
栗原は部屋に入ると、おずおずと言った。秀和はベッドの縁に腰掛けて、何気ない口ぶりで言った。
「金が要るんだ。ちょっと用立てしてくれ」
予想通りの要求だった。栗原はせめてもの抵抗を試みた。
「お坊ちゃま、それは私よりも、旦那さまにお願いしたらいかがでしょうか」
「おまえは、おれに逆らうのか!」
秀和は執事に近寄ると、彼の体をベッドのほうに突き飛ばした。栗原はベッドの縁に腰を打ちつけて、低くうめいた。スリッパは、どこかに吹っ飛んでいた。振り返ると、若主人が険悪な表情をして、近づいてきた。
栗原は懇願した。
「ご勘弁ください。もうこれ以上、旦那さまをだますことはできません」
「ぎゃあぎゃあ騒ぐな。だったらおまえの金を出せ」
「おいくら必要なんですか?」
秀和はあごを撫でながら、ずるそうに考えた。
「そうだな――200万でいい」
「200万円だなんて――」
「持ってないのか?」
「それは――貯金をおろせばありますけど」
「だったらおろせよ」
秀和は平然と言った。
栗原はあ然として、首を振った。
秀和は執事の丸っこい体を引き上げると、その腹を殴りつけた。
「おれの言うことがきけんのか」
秀和は、執事の体をベッドの上に押さえつけると、もう一度腹をなぐった。
栗原が苦痛にくぐもった悲鳴を上げた。それでも彼は、若主人の要求を拒みつづけた。
「もうご勘弁ください。――こんなことは、いつまでも続けられません」
「うるさいっ!いい根性をしてるじゃないか。だったらどこまでもつか、試してやる」
秀和は顔をゆがませると、執事のズボンのベルトを緩め、その体を強引にうつ伏せにして、ズボンをずりさげた。白い尻がむき出しになった。
「可愛らしい尻をしてるじゃないか。よし、久しぶりに可愛がってやる」
秀和は自ら下腹部をむき出しにすると、栗原の体に覆いかぶさった。
「ひっ――うわああっ!」
強引に背後を犯されて、栗原は悲鳴をあげた。

苦痛と屈辱に打ちひしがれて、栗原は若主人の部屋を出た。早く自分の部屋に戻って、忘却の眠りに就きたかった。そのとき彼は、客室のドアが開いているのに気づいた。
「栗原さん、ちょっといいですか?」
上原景が開いたドアのところで、執事に声をかけた。
栗原はビクッとした。まさかお坊ちゃまは、先ほどのことを――。しかし、この背の高い一風変わった若い客人は、何の表情も見せずに彼の方を見ていた。
景は執事を部屋に入れると、静かな口調で話しだした。
「兄はあなたに何をしたのですか?悲鳴のような声が聞こえましたが」
彼は執事の顔を、真っ直ぐに見た。「もしも兄があなたに暴力を振ったのなら、その理由を聞かせてください」
栗原は、客の顔をまともに見れず、前の床をじっと見つめていた。小ぢんまりとした顎が、かすかに震えている。
景は再度、尋ねた。
「どうなんですか?」
栗原は、恐る恐る顔を上げた。その目が涙で潤んでいた。
「いいえ、暴力だなんて――そんなことはございません」
執事は、蚊の鳴くような声でつぶやいた。
景は追求した。
「では、あなたは――兄の部屋で、何も起こらなかったと言うんですか?」
栗原は下を向いた。
「はい――なにもございません」
「そうですか。あなたがそう言われるのなら、ぼくは何も言うことはない」
景は部屋を横切り、ドアを開けた。「おやすみなさい」
「おやすみなさいませ」
栗原はうなだれて、部屋を出て行こうとした。

「栗原さん」
景は執事を呼び止めた。「ぼくは父にお願いして、しばらくの間、ぼくのアパートに手伝いをよこしてもらおうと思っています。それで、もしも父があなたに、ぼくのアパートに行ってくれと言ったなら、あなたは来てくれますか?」
栗原は驚いて景の顔を見あげた。彼は小さな声で言った。
「もちろん旦那さまのご命令とあれば、喜んで参ります」
「ぼくは人に強要するのはきらいです。命令うんぬんではなく、あなたの意志をお聞きしているのです」
栗原はおずおずと言った。
「坊ちゃまのもとへなら、喜んで参ります」
「そう――ぼくの祖母は高齢で、手助けが要るんです。でも手伝いと言っても、ぼくのアパートでは
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