第2章 藤森家の人々

(1)
新幹線が東京駅に着くころから、上原景は地に足がつかない思いだった。
父は日本でも一流企業の三友商事の社長だ、と祖父から聞いていた。初めて会う父親に、景の胸中は期待と不安でいっぱいだった。
会社の所在地は、地図で調べるまでもなかった。東京駅から歩いて行けるところにあったからだ。
ビルはガラスと鋼鉄で覆われた、近代的な建物だった。高い天井の広々としたロビーを通り抜け、カウンターで用件を言うと、若い受付嬢は値踏みするように景を見た。それから電話でてきぱきとやりとりをして、丁重な口ぶりで15階にお越しくださいと告げた。
エレベーターの中で、景はふたたび鼓動の高鳴るのを覚えた。エレベーターが15階で停止し、扉が開くと、中年の女性が彼を待っていた。
景は秘書のあとについて歩きながら、落ち着きなく様子をうかがった。ふかふかした濃紅色の絨毯に、深い色調の木の壁――すべてが豪華でどっしりとして、景を威圧するようだった。

部屋の中で景を待っていたのは、母の葬式のときに泣いていた中年紳士だった。高価な仕立てのダークスーツを着て、男は立ち上がりながら、景に向かって微笑んだ。
「きみに会えるこの日を、どんなに待っていたことか――」
男は言葉を詰まらせた。黒目勝ちのつぶらな瞳に、涙がにじんでいた。
「失礼、長旅で疲れただろう?さあ、こちらに来て、座りなさい」
景は背中を押されるままに、ソファーに向かった。男の体から、かすかにいい香りが漂ってきた。
2人が向かい合わせに座ると、男は改めて景の顔をまばゆそうに見た。
「きみはハンサムだね。それに、背もすごく高い。身長はどれくらいあるんだね?」
「184センチ――」
景はぶっきらぼうに答えた。
「ほう、それはすごい!」
男はおおげさに目を丸めて、感心した素振りをした。景はニコリともせずに姿勢を正すと、男に向かって言った。
「上原景です。母の葬式のときにあなたをお見掛けしました。あなたが、ぼくのお父さんなのですか?」
男の顔にとまどった表情が浮かんだ。彼はあわてて自己紹介した。
「これは失礼。私は藤森嘉一です。そして、きみの父親だよ」

秘書がお茶を持ってきた。ふたりはその間、しばらく無言でお互いの様子をうかがっていた。
(この人が、母さんの愛した人か――)
血色のよい艶やかな温顔と小さめの目鼻立ち、二重瞼の瞳がいかにも優しそうに輝いている。景は父の顔を見ながら、自分の心の動きを感じとろうとした。
嘉一は咳払いすると、口を開いた。
「きみのお母さんのことは、とても残念だ。あんなに元気だったのに――」
景は聞いた。
「あなたは――藤森さんは、これまでもぼくの母に会っていたのですか?」
嘉一は、戸惑った表情で返事をした。
「いや、直接には――どうして、そんなことを聞くんだね?」
「だって藤森さんは、ぼくの母が元気だったって言われたでしょう」
「ああ――そうだったね。直接、お母さんに会ってはいないが、折に触れ、姿を見たことがあるんだ」
「と言うことは、陰ながら見ていたと言うことですか?」
嘉一は顔を赤らめた。
「――ああ、そうだ。きみたちのことが気になってね」
景は、なおもしつこく質問した。
「母は、そのことに気づかなかったのですか?」
「何度かは私に気づいたと思う。でも彼女は、表立って私と会うことは避けていた。彼女は、努めて私のことを忘れようとしていたようだ」
そこで嘉一は、話題を変えた。「景くん――私のことを他人行儀に、名前で呼ばなくてもいいんだよ。お父さんで結構だ」
景は無表情に、父の顔を見た。
「これまでずっと、お父さんなんて呼んだことがないものですから。言いにくくて――」
「そう――」
嘉一は、少し悲しそうな表情で息子を見た。「でも慣れるためには、そう呼ばないとね」
景は黙っていた。
嘉一もそれ以上は、しつこく追求しなかった。
「ところで、きみは高校3年生だったね。大学はどこを受験するの?」
「神戸の大学を受けます。家から通えますから」
「――じゃあ、東京に来るつもりはないんだね?」
「ええ、祖父母が神戸にいますから」
ふと瞼に、祖父母の顔が浮かんだ。神戸で別れて1日と経っていないのに、彼らが懐かしく感じられた。と同時に、無性に神戸の家に戻りたくなった。そこには、つつましいが、明るさと優しさに満ち溢れた生活があるのだ。

嘉一は、沈黙しがちになる息子の様子をじっと見ていた。
彫りの深い整った顔と、日本人放れした手足の長い立派な体格。二重瞼の思慮深そうな目は、マリ子の面影を強く宿していた。顎の線とやや小さめの口は、嘉一の父親に似ている。彼は、この青年が自分の息子だということに、嬉しさと誇りを感じた。できることなら、この若者を両腕で抱きしめてやりたかった。そして、これまで離れ離れになっていたことを詫びた
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