終章 若き統率者

(1)

フジモリの本社は、東京駅と皇居の緑にはさまれた一街区を占めていた。ビルは10階建てのクラシックな建物で、壁面要所には精巧なレリーフが施されている。
この日の朝、フジモリでは臨時の会議が行なわれた。フジモリの全役員は、重厚な造りの広い会議室に集まっていた。磨き上げられたテーブルの上には、各自の席を示す名札と飲み物が置かれていた。それぞれの席についた重役たちは、しばらく雑談を交わした。

藤森喜一郎が、孫の一郎を従えて会議室に入ってきたとき、室内は急に静まり返った。
緊張した空気が流れた。
重役たちは一様に、社長の表情を見て、今日はなにかあるなと思ったのだ。
喜一郎が席に着き、その横の席に一郎が座った。
「みなさん、おはよう」
喜一郎が声をかけると、出席者全員がそろって挨拶を返した。
「今日は、皆さんにお量りしたいことがある。それでわざわざ、忙しいところをお集まりいただいた」
彼は集まった重役たちを、一人一人見回した。それから簡潔に要点だけを話し出した。
「この数年、私の周りで不幸な事件がつづいた。伸郎、司郎のふたりの息子を相次いで失い、孫の芳郎も死んだ。残っているのは、横にいる一郎だけだ」
彼は一郎のほうを、そっと見た。重役の何人かは、内心オヤッと思った。社長のそぶりは、孫の一郎を少し恐れているようすだった。
「フジモリも、そろそろ古い膿を出して、リニューアルする時期にきている。私も来月で80歳だ」
重役たちは、社長がなにを言おうとしているのか、固唾を呑んで見守っていた。
喜一郎はしずかに言った。
「私は来月、兼務をやめ、社長の座をおりる」
とたんに室内がざわめいた。驚く顔、不安げな顔、予想していた顔――重役たちの顔には、思い思いの表情が浮かんでいた。
「しばらくの間は会長として、皆さんの役に立ちたい。しかし、現場の経営にはいっさい口出ししないつもりだ。それから――」
彼は横の一郎を見た。「新社長には、この一郎を推薦する」
今度は、先ほどよりもざわめきが大きくなった。

一郎は無表情に、年配者たちを見ていた。
彼らが驚くのも無理はなかった。弱冠25歳で、執行部門の最高責任者の椅子に座るというのだ。しかも彼には、会社経験はほとんどないに等しかった。わずか2年間ほど、祖父に連れ添ってグループ企業を見てきただけだ。
喜一郎は、重役たちの顔を見渡しながら言った。
「私の意見に、異論なければ挙手をお願いしたい」
何人かが即座に手を上げ、それにつられたように全員が手を上げた。
それを確認して、喜一郎は満足そうにうなずいた。
一郎は祖父にうながされて、立ち上がった。
「ただいまの社長の動議に、みなさんが驚かれたのはごもっともです。私は25歳の若造ですし、会社経験もほとんどありません。また、私自身、ほんとうにフジモリの社長が勤まるのか、正直言って分かりません。
しかし、社長が私を次期社長に推したということは、私の何かを認め、期待するところがあるからでしょう。なぜなら、皆さんもご存じのように、社長は会社経営に、けっして私情を交えるような人ではありません」
横で喜一郎がうなずいた。
「あるいは、社長がよくやる、奇策を用いたのかもしれませんが――」
何人かが、戸惑いがちに溜め息を洩らした。その場がすこし和らいできた。
一郎は全員を見回し、それから言葉を継いだ。
「私はデータでしか、フジモリの実態を掴んでいません。しかしフジモリ内部にも、不合理なところや、闇の部分があるのに気づいていました。先ほど社長が、古い膿を出して、リニューアルする時期にきているとおっしゃいましたが、私はまずフジモリを、血の通った風通しのよい組織にしたいと考えています。皆さんに会社経営を教えていただきながら、自分なりの信念に基づいてやっていくつもりです。そのために、多少の衝突はあるかも知れませんが、私は覚悟しております。どうぞよろしくお願いいたします」
話を終えて一郎が頭をさげると、最初は遠慮がちに、まもなく全員が拍手をした。
会議が終わると、別れ際に何人かの重役たちが、一郎に握手を求めてきた。

「最初にしては、お前のスピーチもまあまあだったな」
部屋に戻る途中で、喜一郎が言った。「ところで、会わせたい人がいるんだ」
一郎は、廊下の途中で立ち止まると、祖父の顔を見つめた。
「会長、その話は済んだ筈でしょう。この前会った女性と結婚するって、言いましたよ」
喜一郎は肩をすくめた。
「もちろんその件は認識している。お前に会わせたいのは、別の用件だ。お前が嫌なら帰すよ――でも、残念だな。わざわざ遠方から呼んだので、すぐ帰すのも気の毒だし」
一郎は溜め息をついた。
「会いますよ。――あまり気分は乗らないけど」

部屋では、伊藤英之が待っていた。その横には――若林博見がひっそりと座
[3]次へ
[7]TOP [9]目次
[*]感想
まろやか投稿小説ぐれーと Ver2.35b