(2)
石川聡は、黴臭いベッドのなかで、体を丸めて震えていた。逃げ出す気力はすっかり失せていた。階段の下には凶器をもった恐い男がいたし、もし逃げ出せたとしても、彼の父親を殺すと脅されていたのだ。
無理やり連れてこられたときは、生きた心地がしなかった。部屋に男たちが入ってきて、彼の服をむりやり脱がせたとき、アメリカの悪夢がまざまざとよみがえった。彼は気が狂ったように、悲鳴をあげていた。
麻薬を打たれたのは一度きりだが、そのときの陶然とした気持ちを忘れることができなかった。すべてがピンク色に包まれて、カメラの前で相手をした醜い筋肉マンのような男でさえも、親密な相手に思えてくる。
そのとき階下で、男の怒鳴り声、ドスンという物音がした。ついで階段を上がってくる足音。これからまた、いやらしいことを――聡の体に震えが走った。
ドアが開き、聡はそこに懐かしい顔を見た。
「さあ、聡くん、家に帰ろう」
荒川高志が、部屋に入ってくるなり言った。
高志は、石川聡を自分のアパートに連れ帰った。聡は一言も口をきかなかった。彼はソファーの片隅にうずくまり、膝を抱えて、じっとテレビを見ていた。
彼らが聡に何をしたか、推測はついたが、聡には質問しなかった。
高志は食事の用意をしながら、聡に風呂に入るように言った。聡は従順にしたがった。
食事のしたくはできたが、聡はなかなかバスルームから出てこなかった。
心配になった高志は、バスルームの中をのぞいた。浴槽の中を泡だらけにしながら、聡は頭からずぶ濡れになり、体をタオルでこすっていた。まるで今まで彼の体に触れた、男たちの痕跡を消し去ろうとするように、ゴシゴシと力を入れて――。
高志のパジャマを着た聡は、不恰好だが、顔に艶がでて、健康そうに見えた。しかし食欲はなかった。スープは飲んだが、肉にはほとんど手をつけていない。
高志は、聡の父親が殺されたことを、いつ言おうかと迷っていた。少なくとも今夜でないことは確かだ。聡の顔は表情を失って、いつ精神力の限界に達するか心配だった。
高志はできるだけ優しく言った。
「聡くん、しばらくここで、私といっしょに生活しよう」
聡は、無表情な顔で高志を見ていたが、やがてポツリと言った。
「でも、父さんが――」
高志はどう答えていいか分からなかった。石川が家にいないことをごまかせば、聡はそのうち藤沢の家に行こうとするだろう。そしてまた、敵方に捕まるかも知れない。
「聡くん、きみのお父さんは藤沢の家にいないんだ」
聡はぼんやりと高志の顔を見た。ふいに、彼の目に涙が浮かび、ほほに流れ落ちた。
高志はあわてた。
「おい、聡くん、どうしたんだ?」
聡は涙を流しながらも、その顔には人間らしい表情が浮かんでいた。こぢんまりとした丸っこいあごが震えだした。彼は震えながら言った。
「父さんは――殺されたのですね――」
高志は何も言えなかった。そして、そのこと自体が聡の問いに対する答えになっていた。彼には、あわれな若者を抱いてやることしかできなかった。小刻みに震える体を撫でてやりながら、高志はつぶやいた。
「大丈夫だよ、聡くん。これからは、私がきみを守ってやる」
驚いたことに、聡のほうからしがみついてきた。
株式会社フジモリの経理担当重役、依田は、緊張した表情で自宅の応接室にいた。彼の前には、藤森家直系の若者、藤森一郎が、冷たい視線で彼を見ていた。その左腕は、白い包帯で肩から吊るされている。
それを見て、彼は自責の念にさいなまされた。彼がちょっと口を滑らしたばかりに、若者が命を狙われたのだ。
「どういう訳か、ぼくは命を狙われた。そしてぼくの代わりに、藤井頭取のお孫さんが殺された。それでもあなたは、ぼくに話すことは何もないと言うのか?」
一郎は冷たい口調で言った。
その一言で、依田の虚飾はもろくも崩れ去った。彼はすべてを白状した。
クラブのママとの情事。忌まわしいビデオによる脅迫。巨額な融資の強要。悩み抜いたあげく喜一郎社長に打ち明け、あっさりと社長の許可を得たこと。そして不正融資を一郎に追及されて、顔を合わせた根元につい洩らしたこと。
彼は質問されるままに、岩井組との関わりも話した。依田の憶測だが、喜一郎社長と岩井組の岩井会長とのつきあいは、ずっと以前からあったようだ。亡くなった伸郎社長から、以前聞いたことがあるが、横浜フジランドの開発のときに、伸郎社長に岩井を紹介したのも、当時の喜一郎会長だった。
一郎は、依田の話を聞いていて、慄然とする思いだった。それと同時に、冷たい怒りがこみあげてきた。体中の血がざわめいたが、頭の中は妙に醒めていた。
キーマンは父ではなかったのだ。あの父でさえも、踊らされていただけなのだ。
一郎がこれまで敬愛してきた祖父の喜一郎、その人物といずれは対決しなければならないと思
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