(3)
一郎は、会社の仕事がおもしろくなってきた。彼の肩書きは社長秘書となっていたが、給料など社内の等級的には、新入社員と同じだった。
しかし、彼には特権が与えられていた。全ての重要会議に、出席することができるのだ。いつも社長兼会長の祖父の背後に腰掛け、黙って会議の進行を見守った。
会議が終わると、祖父は一郎に感想を訊くことがあった。
一郎が見当外れの意見を言うと、祖父は鋭く過ちを指摘し、どこがどう違うかを根気よく教えてくれた。
これまでは祖父とプライベートな話題しか口にしなかったが、こうして会社で、仕事上のいろいろなことを話し合うにつれ、一郎は祖父の偉大さにあらためて気づいた。
祖父の話は奥が深く、しかも広範囲の視点でものごとを考えていた。
それに80歳に近い年齢なのに、記憶力はまったく衰えを見せていない。彼の頭脳の中には、これまでの膨大な経験がきちんと整理され、必要なときには即座に引き出されるようだった。
その祖父を頼って、多くの財界人や政治家たちが、毎日のように訪れていた。
一郎には、祖父のいる社長室のふたつ隣りに、専用室が与えられていた。前に祖父が会長のとき使っていた部屋だ。
最初のうち、豪華な部屋をひとりで使うことに、なんとなく気が引けていた。
祖父と一緒でないときは、デスク上のパソコンを使って、フジモリやグループ企業の各種データを調べた。彼にはどんなデータにもアクセスできる、コードが与えられていた。彼は人から教わる以上のことを、パソコンから得ることができた。
ときどき、一郎がある企業の業績や課題をすらすらと話して、祖父が驚きの目で彼を見ることがあった。それがまた嬉しくてますますパソコンを使ってのデータ分析に熱中した。そのことだけが、祖父に対して、一郎が優位に立てることだった。
また一郎は、祖父に同行して、グループ企業を訪問することが多かった。彼らの会社規模は、大株主のフジモリよりはるかに大きかった。
フジモリは、本社ビルの3フロアをオフィスとして使用し、あとは関連会社に使わせていたが、主要なグループ企業は、殆どが大型ビルを一棟、丸ごと使用していた。しかも彼らは、国内外に多くの支店網を張り巡らせているのだ。
そんな大企業にたいしても、一郎の祖父の影響力は大きかった。行く先々で、どの企業の重役たちも、一郎の祖父に対してうやうやしく接していた。まるで封建時代の君主にたいする臣下のようだった。
「なんで彼らは会長にたいして、もっとざっくばらんな話し方をしないんでしょうか?彼らだって、大企業の最高責任者なのに」
あるとき一郎は、祖父に訊いた。彼は公用のときは、祖父のことを会長と呼んでいた。
祖父は、おもしろそうに一郎の顔をながめた。
「彼らは、私の個人的な歴史にたいして、敬意を払っているんだろう」
「と言うことは、会長が歴史のある年長者だから?」
「お前、私を骨董品のように思っていないか?年を取るだけじゃだめだ。権威を身につけないとな」
「だけど、彼らの態度は権威を前にしてではなく、権力を前にしているように見えますよ。権威に対してなら、もっと心の通いあう、ざっくばらんさがあってもいいと思うな」
「それは彼らの問題だ。私はべつに、権力をひけらかしているつもりはない」
一郎は、そうは思わなかった。
たしかに祖父は権力を誇示するわけではなかったが、相手のレベルに下がってやる心遣いもなかった。そのことが、かえって相手に圧力を与えて、偉大な経済人を前に、萎縮してしまうのだ。
そんな中で、ハイテク企業であるフジモリ電子の川勝会長だけは、祖父にたいしても物怖じせず、ざっくばらんな態度で接していた。
彼はでっぷりと太った体型で、人をくったようなとぼけた味と、尊大さが入り交じったような老人だった。一郎は川勝会長をみるといつも、神戸時代の太田医師を思い浮かべた。それほどふたりは雰囲気が似ていた。
「ほう、きみが会長のお孫さんですか。さすが会長に似ている。なかなか立派な青年だ。会長も将来がお楽しみですなあ」
喜一郎は嬉しさを押し隠して、平然と言った。
「なあに、これからどうなるか分からん。まだ原石だからな」
「しかし、会長の血を継いでいますからな。あとは磨きかた次第ですかな」
老人たちふたりが、一郎のことをまるで石のように言うのを聞いていて、一郎は退屈そうにしていた。
それを見て、祖父が一郎に向かって言った。
「なんだ、一郎。なにか言いたいことがあるのか」
「いえ、とくに――」
「いや、その顔はなにか言いたそうだ。お前がそんな表情をするときは、なにか腹に一物持っているときだ」
「一郎くん、遠慮なく言いたまえ。もの言わぬは腹ふくるる技なり、と言うだろう」
向かいから川勝会長が言った。
一郎はしかたなく言った。
「いえ、私が石なら、皆さんは
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