(1)
一郎は大学を卒業すると、東京に戻ってフジモリで働くことにした。アメリカへの留学をとりやめたのは、もちろん若林博見に会えなくなるからだ。そのことで一郎は、祖父と初めて対立した。
「お前は自分で言ってたんだぞ、アメリカで勉強するってな。男は一度言ったことには、責任をもつべきだ」
「ものごとに変化はつきものですよ。お祖父ちゃんの若い頃は、剛球一直線だろうけど、そればかりじゃ長続きしない。ときに変化球も投げる必要がありますよ」
「ふん、22歳の若造が、78歳の私に説教か」
「ぼくはべつに、お祖父ちゃんに説教しているわけじゃないよ。自分の考えを言ったまでです」
「お前をひとりで神戸にやったのは、間違いだったかもしれん。前はもっと、素直な子供だったのに――」
結局、喜一郎のほうが折れた。彼は孫を自分の手元において、フジモリグループの将来の統率者として、帝王学を教えることにした。
一郎は祖父と行動を共にして、仕事を覚えていった。彼はそのとき初めて、祖父の握っている権力の絶大さを知った。グループ企業はいずれもその分野では一流の会社だったが、そこの経営者たちでさえも、一郎の祖父に対しては、まるで天皇陛下に接するようにかしこまっているのだ。
兄の芳郎は、東京の平河町にある藤森家の別屋敷に住んでいた。彼はグループ企業のフジモリテレビにいたが、めったに顔をあわせなかった。また、顔をあわせても、あまり話題がなかった。
ときに兄の風評を聞くことがあった。非常に艶福家で、いつも複数の女性と交際しているという噂だ。そのことは祖父も知っているらしく、芳郎の話題になると、いつも不快そうな表情をした。
叔父の司郎は、同じビル内にいたが、彼の父、喜一郎が一郎のそばにいることもあって、あまり近寄ってこなかった。司郎は、自分の父親を苦手としていたのだ。
しかしたまには、一郎を誘って食事に出かけることがあった。そんなとき、子供のいない司郎は、いかにも一郎がかわいくて仕方がないというように、愛情あふれる態度で接していた。
いっぽう、若林博見の話していた荒川高志は、この春にフジモリから、兄の芳郎と同じテレビ局に移っていた。
一郎は東京に戻って、最初の一カ月ほどを鎌倉の実家で生活したあと、父から相続した財産のひとつだった、広尾のマンションに移り住んだ。彼がそのマンションに住んだのは、丸の内にある会社への通勤が近くなることもあったが、本当の理由は、祖父に詮索されずに若林博見とつきあうためだった。
そのマンションは、彼の父親が生前、ひとりでよく寝泊まりしていた。一郎は、父の匂いを絶つように、部屋の中をすべて改装した。
新居に移ると、身の回りの世話役として、爺やの北沢が嬉々としてついてきた。
一郎は、若林博見から聞いて、気になっていたことを調べようとした。
彼は休暇を利用して、荒川高志の実家をたずねた。目的の家は、古びたレンガ造りのアパートだった。薄暗い階段を上り、2階の端にあるドアの前に立つと、一郎は大きく深呼吸をしてチャイムを押した。
ドアが開き、背の低い、丸々と太った老人があらわれた。老人は、陽に当たったことがないと思えるほど、色が白かった。張りを失った目蓋の下から、水っぽいうるんだ瞳が一郎を見上げ、驚いたように丸くなった。
一郎が話しかける前に、老人はうやうやしく頭を下げ、彼を部屋のなかに招きいれた。
部屋の中は薄暗く、老人の湿っぽい体臭が染みついていた。
息子の高志は、同居していなかった。それに26歳年下の女房は、はるか昔に、どこかの男と駆け落ちしていることも調べていた。
古ぼけたソファーに座っていると、老人がお茶を入れて持ってきた。
「まさか若さまが、こんなむさくるしいところに来られるとは、思いもしませんでした。でも、若さまはたいそうご立派になられました。亡くなられた旦那さまも、きっとあの世でお喜びのことでございましょう」
老人は言葉を詰まらせた。
一郎は無言で、老人が落ち着くのを待った。しばらくして、老人に話しかけた。
「荒川さん、親父の運転手をやめて、何年になりますか?」
「そうですなあ、もう10年ちかくになりますか」
老人の目が、遠くを見つめるような表情になった。
一郎はさりげなく訊いた。
「高志さんと言いましたね、息子さんはお元気ですか?」
老人はとまどった顔で一郎を見た。
「高志は――元気ですよ。今は、フジモリテレビでお世話になっています」
「そう――息子さんは何歳になられます?」
「あのう――高志がなにかしでかしたのでしょうか?」
「いえいえ、なにもしていませんよ。それで、何歳なんです?」
「26歳ですが――」
「あなたとは年が離れすぎているようですね」
老人はつぶやくように言った。
「私は晩婚だったもので――」
一郎はずけずけと言った。
「あ
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