(2)

(2)

藤森芳郎は、呆然としていた。彼はたったいま、執事の湯浅から、遺産額の大ざっぱな数字を聞いたところだ。
「正確な額はこれから調べますが、ざっと見積もって、500億円は下りません」
500億!芳郎の予想さえしなかった額だった。爺さんの資産がたっぷりとあるのは分かっていたが、まさか親父の遺産がそんなにあろうとは――。
彼は乾いた唇を舌先で湿らせながら、執事にたずねた。
「それで、おれにはいくらくるんだ?」
「旦那さまは、遺書を残しておられませんでした。法定相続によれば、奥さまが半分、若旦那さまと一郎さまが4分の1ずつ、ということになります」
芳郎は素早く計算した。――と言うことは、125億円か。使いごたえのある額だ。あのがめつい親父も、死んで初めて俺たちに、いいことをしてくれたわけだ。
(遺産が手に入ったら、まずは大型クルーザーでも買うか。そして女どもを乗せて遠出する。もちろん、男は俺ひとりで――)

湯浅洋平は、若主人があれこれ思案しながら、ときおりにんまりと微笑む姿を、じっと観察していた。
父親の代から藤森家の執事だった湯浅は、小さいときから父親の生き様を見て育った。彼の父親にとって、藤森家の人間は、神聖侵さざるべき存在だった。
洋平は父親に似ていた。背は低いほうで中肉、人好きのする若々しい顔をしていた。性格的にも父の血を引いていた。温和で、我慢強かった。
洋平は大学を卒業すると、藤森喜一郎の専属秘書としてフジモリに入った。
そのとき初めて、藤森一族の偉大さを知った。彼らの支配する組織は、想像を超える巨大さだった。銀行と商社を母体として、不動産、科学技術先端産業、リゾート産業――子会社だけでも、百を超える企業の中枢部がフジモリだった。
洋平は藤森喜一郎のもとで、多くを学んだ。そして彼には、膨大な量の情報を区分整理し、まとめあげる才能があった。
藤森喜一郎は、そんな彼を重宝した。喜一郎が、社長の座を息子の伸郎にゆずり、会長にしりぞいたとき、洋平は父親のあとを継いで藤森家の執事になった。しかし洋平は、単なる執事にとどまらなかった。彼は大旦那さまの私設秘書であり、藤森家の家計をとりしきる税理士でもあった。
また彼は、藤森家内部の複雑な人間関係を、すべて知っていた。その中には、一般人には信じられないような秘密もあった。しかし彼は、それらすべての極秘情報を、穏やかな顔の裏に隠して、おくびにも出さなかった。

「ところで湯浅、一郎は神戸に戻ったのか?」
若主人の問いに、湯浅はハッと顔をあげた。
「いえ、まだこちらにおられます。おそらくお母さまの部屋におられると思いますが」
「そうか、おれも帰る前に、ちょっとおふくろに挨拶するか」
芳郎は立ち上がった。

母の部屋には、湯浅の言ったとおり、弟の一郎がいた。
「よう、一郎。いつ神戸に戻るんだ?」
「今日、戻るよ。このあと、お祖父ちゃんのところに寄ってからね。兄さんもいっしょに行くかい?」
芳郎はあわてて断った。
「俺はいいよ。もう家に戻るからな」
祖父の人を見透かすような目つきや、思わず竦み上がるような叱咤の声――芳郎は、祖父が大の苦手だった。
「母さん、気を落とさないでくれよ」
芳郎は、心にも無いことを言った。父と母がお互いに疎遠だったことは知っていた。おそらく母は、父が死んでホッとしていることだろう。
「ありがとう、芳郎。でも私は大丈夫よ、これまでも――」
寿子が、途中で言葉を途切らせた。
息子たちは、母親がそのあと何を言いたかったのか、痛いほど分かっていた。ひっそりと家に閉じ込もり、お茶や生け花をする毎日。彼らが小さいとき弾いていたピアノも、いつのまにかやめていた。彼らにとって母親は、いつも空気のような存在だった。

芳郎は母親の横顔を見ながら、遠い過去のことを思い出していた。彼が母親の秘密を知ったのは、12歳の時だった。
夜中に目を覚ました芳郎は、喉の渇きをおぼえ、自分の部屋を出た。両親の部屋の明かりがついていたので、声をかけようとしたとき、母の呻き声を耳にした。それは痛みを訴えるのではなく、妙に悩ましい調子だった。
好奇心にかられて、彼は襖を細めに開けた。
祖父が母親の上にのしかかっていた。芳郎は悲鳴をあげようとした。しかし、金縛りにかかったように、声が出なかった。
そのとき芳郎は気づいた。なにか様子が違っていた。祖父は母親を押さえつけ、奇妙な動きをしている。
芳郎のほうからは、祖父の大きな尻が見えていた。それがもくもくと母親の体に向かって動いている。祖父の体の下で、母親はしきりに呻き声をあげている。
祖父の動きにつれ、ふたりの体の間から、猫がミルクを舐めるような濡れた音がした。
ふたりが何をしているのか、芳郎は理解した。口に出して言うのも恥ずかしいことを今、自分の母親と祖父
[3]次へ
[7]TOP [9]目次
[*]感想
まろやか投稿小説ぐれーと Ver2.35b