(3)
若者との交流は深まったが、伊藤はまだ若者と他人行儀な話し方をしていた。本音は、太田のように若者と気楽に会話をして、冗談のひとつも言いたかった。しかし、彼はそこまで入り込むことができず、いつも、もどかしさを覚えていた。
7月の後半に若者の姿を見なくなった。
太田に聞くと、若者は夏休みの間、アルバイトのため高知に行ったと言う。なんでも、漁の手伝いで、重労働だが給料が高いので出かけたらしい。
若者のいないゴルフの打ち放し場は、練習していても味気なかった。伊藤はそのとき初めて、若者の存在が自分にとって、どれほど大きなものになっていたかに気づいた。
伊藤の心の空白はつづいた。毎日が味気ない生活となった。とうとう彼は、8月のなかばに休暇をとると、若者の働く高知に出向いた。
伊藤英之は、高知に来るのは始めてだった。
コバルトブルーの海と遮るもののない地平線。真っ青な空を背景に、湧き立つ入道雲。見るもの全てが伸びやかで、おおらかだった。
英之は空港からタクシーで漁港に乗りつけた。車からおりると、ちょうど卸し市場の片づけが終わったのか、褐色に日焼けしてがっちりとした体格の男たちが、三々五々、市場から出てきた。
若者はすぐに見つかった。あいかわらずのジーパンに半袖シャツ姿――体格のいい男たちの間では目立たないが、以前よりも精悍に見えた。すっかり小麦色に日焼けしていたが、その端正な顔は、ここでは場違いな感じがした。
なつかしい若者の姿を見て、英之の胸がざわめいた。その気持ちは、感極まって泣き出しそうなほどだった。彼は弾む気持ちをおさえて、若者のほうにゆっくりと歩み寄った。
若者が彼に気づいて、驚いた表情をし、それからにっこりと微笑んだ。
その笑顔を見て、英之の胸の中で、暖かいものが広がった。彼は若者に近寄ると、我知らず抱き付いていた。
藤森一郎は、遠く高知の地で伊藤の姿を見たとき、驚くとともにうれしくもあった。温厚で控え目な年配者。その人が抱き付いてきたときには、少しびっくりした。年配者はよほど嬉しかったのだろう。それとも南国情緒に感激して、オーバーなジェスチャーをしたのだろうか。
一郎は、伊藤を自分の宿舎に連れていった。アルバイト期間中、漁師の家の6畳ひと間を借りていたのだ。
お茶を出すと、一郎は伊藤の向かいに座りながら言った。
「魚臭いでしょう。匂いが服の生地までしみついていますから」
伊藤がほほえんだ。
「かまわんよ。私は、魚が好物やから」
「でも、びっくりしましたよ。まさか伊藤さんが、高知まで来られるとは――」
「ふと思い立ったんや。私は暇なんでね。しかし、きみはまた見事に日焼けしたね。別人のようだ」
「毎日、海に出ていましたからね。でも伊藤さん、いいタイミングで来られましたよ。実は今日が仕事納めで、明日か明後日には、神戸に戻ろうと思っていたところです」
一郎は、まぶしそうにこちらを見る伊藤にほほえみかけた。
「ちょっと着替えをします。これから桂浜でもご案内しましょう」
一郎は部屋の隅に行くと、裸になってパンツを履き替え、服を着た。伊藤のいる前で全裸になることに、何の躊躇も見せなかった。
ぜい肉ひとつない肉体とドキッとするような性器を垣間見て、伊藤の心が騒いだ。
「荷物は置いててください。狭いけど、今夜はここに泊まってください」
そう言うと、一郎はドアを開けて、部屋の外にむかって声をかけた。
「小母さん、お客さんが来てるんだ。今晩ここに泊めていいですか?」
人の良さそうな声が返ってきた。
「おや、お客さんかい?いいよ、蒲団はまだ余裕があるからね。晩ごはんも用意しようか?」
「いいよ、小母さん。街に出て食べてくるから。ありがとう」
一郎は、伊藤のほうに振り返った。
「さあ、出かけましょう。給料をもらって、めずらしく懐があたたかいんです。今夜はぼくがおごりますよ」
ふたりは、坂本竜馬の銅像のある高台にいた。縁石に腰掛けると、一郎は遠くの海を眺めながら言った。
「ここにくると、本当に心が晴れ晴れとします。なんだか、今までのいやなことが、きれいさっぱり洗い流されるようです」
伊藤は、一郎の横に腰掛けながら言った。
「きみはこれまで、ずいぶん苦労してきたみたいやね」
「苦労とは違いますよ。ただ一時期、父との精神的葛藤で悩みましたけど――」
一郎は、年配者の視線を感じて、あわてて言い足した。「いや、それも過去のことです。今はすっかり吹っ切れていますから」
しばらくふたりは黙り込んで、海を眺めていた。
伊藤がぽつりと訊いた。
「きみは独りっ子かい?」
「5つ年上の兄がいます。兄は結婚していて子供もいますよ」
「そう――てっきり、きみの名前からして、長男やと思っていたよ」
「よくそう言われます。ぼくの名前は、祖父が自分の名前からとって、つ
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