(2)
伊藤英之は毎朝、仕事に出かける前にゴルフの練習をするようになった。常務取締役を退任した後も、監査役として会社に残った彼は、時間的にも余裕があった。朝は9時に家を出ればいいし、午後6時には帰宅できる。
ときどき仕事のあとも練習場に来た。そこに着くと、まず青年の姿を目で追った。それは、ひとり住まいの彼にとって、新たな楽しみになっていた。
しかし、彼と若者とのつきあいは挨拶程度で、それ以上の親しいつきあいには発展しそうになかった。
逆に、太田はあけっぴろげの性格から、若者に対してずけずけとものを言い、それがかえってふたりの親密度を増しているようだった。
若者のほうも太田がいると、くつろいで話をしていた。
月日が過ぎ、英之はますますこの真面目な若者が気に入った。若者は育ちのよさをうかがわせるおおらかな性格と、傷つきやすいデリケートな面をもっていた。
伊藤はいつしかこの若者に対して、死んだ息子の残像を重ねていた。
年配者たちとアルバイトの大学生の接点は、いつも練習場だった。ほんのひとときの若者とのやりとりだったが、彼らは三人三様の接し方をしていた。
太田はいつも若者をからかい半分に遇し、池田は淡々としたさわやかさで接していた。
若者は太田といるときは、ユーモアに富んだ会話の意外な才能を見せた。彼は太田の毒舌にもひるまず、ウイットの利いた会話で、ぎゃくに老人をへこますこともあった。
そして伊藤本人はあいかわらず、若者とある一定の距離を感じていた。
一年ほどの間に、若者のゴルフの腕前は、長足の進歩をとげていた。体から力みがとれ、ゆったりとした伸びやかなスイングから、プロ並のスピードと軌道をもつボールが繰り出される。若者は、身長170センチそこそこで、大柄な太田より背が低かったが、軽やかなスイングで、太田よりはるか遠くにボールを飛ばしていた。
ある日、まったく進歩のあとが見られない太田が、やっかみ半分に言った。
「さすがに若いだけあって、上達も早いな。わしも、もうちょっと若いうちからやっておけばよかった」
しっとりと汗をかいた若者が、小休止して太田を振り返った。
「ゴルフの上達に、年齢はあまり関係ないことですよ」
「ほう、じゃあ、なんでわしはきみのように、うまくならんのや?」
太田が、若者の言葉のあげあしをとった。若者は困った表情をしている。それを見て、太田はますます、図に乗ってくる。
「さあさあ、ボクちゃん、言ってごらん。歳に関係ないんなら、わしときみの違いはなんや」
ふたりのやりとりを横で聞いていて、伊藤は若者に助け船を出そうとした。
そのとき若者が、さらりと言った。
「才能と体力、それにやる気ってところです」
それを聞いて、太田がうれしそうな顔をした。これで彼にとっては、絶好の暇つぶしができたってわけだ。彼は、ネズミを前にした猫のように、若者を見た。
「はっきり言ってくれるやないか、ボクちゃん。しかしなあ、練習はプロ並み、本番はドシロウトって多いぞ。ボクちゃんはどっちのほうかな?」
若者は顔を赤らめた。太田はそれをみて、揉み手をせんばかりにうれしそうな顔をしている。そのうち舌舐めずりでもして、ゴロニャアと鳴きだすのではないかと思える。
伊藤は、若者がかわいそうになってきた。
ところが、若者も負けていなかった。彼はのんびりとした口調で言った。
「さあ――ぼくは本番に強いほうですから。体重ではとても先生にかないませんけど、少なくともゴルフでは、先生よりましだと思いますよ」
若者の思わぬ逆襲に、太田の反撃は、ひと呼吸遅れた。
「――ボクちゃん、言ってくれるやないか――可愛らしい顔をして。よし、こんど本番で勝負しようやないか」
若者は困った表情をした。
「そのう――ぼくは、あまり余裕がなくて――」
「心配するな、プレー代はわしが出してやる」
すかさず太田が言って、伊藤のほうを見た。「お父ちゃん、あんたもやるんやろ?」
勝負はもらったと言わんばかりの太田に対して、伊藤はうなずきながらも、若者の生活を推し量った。洗い晒しのジーパンに綿のシャツ姿の若者は、清潔だがいつも質素な服装をしていた。それにゴルフの練習場以外にも、ときどき他所でアルバイトをしているようだ。家からの仕送りはないのだろうか?
しかし伊藤は気兼ねして、その質問を口に出さなかった。
本番のゴルフでは、年配者たちはさんざんの出来だった。
それにひきかえ、その日が初体験の若者は絶好調だった。糸を引くようなドライバーショット、よくコントロールされたセカンドアイアン、しかも天性の感があるのか、パッティングもうまかった。ここ一番での若者の集中力は、驚嘆するほどだった。
「ボク、前に池があるよ。ボールを入れるとチャポンって音がするんだ。ボールをくれてありがとう、って言ってるのかなあ
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