(3)

(3)

突然、なにも聞こえなくなった。
床も壁も天井も、何も見えなかった。
まるで漆黒の中空に浮かんでいるような感覚だった。
唯一、遠くのほうに、ボーッとした小さな明かりが見えていた。その明かりは、陽炎のように揺らめいていた。
ウータンはゆっくりと前に進んだ。
何かが体を押し包んだ。それは、密度の濃い雲のような感じだった。水中を歩くように、手足が重たくなった。
それでも彼は歩きつづけた。

すでに、だいぶ歩いているはずなのに、前方の明かりは、ちっとも近づかなかった。
そのとき前方から、空気を切り裂く鋭い音が聞こえてきた。目を凝らすと、陽炎のような影が浮かびあがった。
見ているあいだに影が実体化した。憎悪にゆがんだ醜い顔が、闇に浮かびあがった。峠でウータンを襲ったトマ城の兵士、ギリウスだ。その顔は火傷して醜くただれていた。
それが幻影であるとわかっていたが、あまりにも生々しかった。長い腕で長剣を振りまわし、空気を切り裂く音が明確に聞こえてくる。
ギリウスはずんずん迫ってきた。
(これは幻影なんだ)
ウータンは自分に言い聞かせた。
しかし、彼の頭の中では、恐怖が理性を裏切ろうとしていた。裸で、しかも剣を持たない彼は、絶望的な無力感を覚えた。それでもかろうじて、その場に踏みとどまっていた。
ウータンは自分を鼓舞するように、大声で言った。
「おまえなんか恐くない。悪霊よ消え去れ!」
ギリウスの動きがのろくなった。その顔に怯んだような表情が浮かんだ。
ウータンは思い切って前に出た。
そのとたん、ギリウスの姿がフッとかき消えた。
ウータンは前に進みつづけた。明かりはまだずっと先だ。

ふたたび、いいようのない不安感がウータンを襲った。
ひたひたと小さな足音がした。
何かが向こうからやってくる。こんどは小さな太った影だ。
裸のトマ王だった。
ピンク色に膨れあがった腹が、歩くに連れてタプタプと揺れ動いた。
青い瞳が異様に輝いていた。氷のように冷たくて、邪悪な光を宿した目――。
にせトマ王だ!
裸の王は猫なで声で言った。
「ウータン、こちらにおいで――」
その声を耳にした途端、ウータンは凍りついたように立ち止まった。背筋に悪寒が走った。ウータンもにせトマ王も裸だった。トマ城の湯浴み場のことが、いちどきに思い出され、体中の毛が総毛立った。

にせトマ王は、よちよちと近づいてきた。丸っこい体型の滑稽さにもかかわらず、その姿は無気味だった。
ウータンは身震いするほどの恐怖をおぼえ、立ちすくんでいた。頭の中で、さまざまな情念が渦巻いた。恐怖、憎悪、嫉妬、絶望――。
(だめだ、このままじゃ、トマ城の二の舞だ)
彼は目をギュッと閉じて、頭を振った。ユーミンの笑顔が目に浮かんだ。ケインやハーブ、サキの笑顔も浮かんできた。
(そうだ、ぼくには仲間がいる)
彼は目を開けると、まっすぐに、にせトマ王の幻影を見た。
もうためらうことはなかった。彼は前に進み出た。
にせトマ王の喘ぐようなため息が聞こえた。ふたりが衝突しそうになったとたん、にせトマ王の姿が幻のように通り過ぎた。

あとは何も起きなかった。
もはや迷うことなく、前に歩きつづけた。陽炎のような明かりが近づいてきた。
目の前に祭壇があった。絹のクッションの上に、丸い石がのっていた。直径5センチほどの大きさだ。真珠のような光沢をして、かすかに光を発していた。
ウータンは両手を伸ばすと、石をそっと手のひらに包み込んだ。父の剣を手にしたときのような、暖かい感触が伝わってきた。
気がつくと、いつのまにか法の間は、明るくなっていた。壁や天井に、見慣れない文字がびっしりと書かれていた。ウータンは玉を大事に持って、広間に引き返した。

「ほう、たいしたもんだ。やはりおまえは、わしの見込んだだけはある。その石はおまえたちのものだ」
広間に戻ると、エウスが満足そうにうなずいた。
「ありがとうございます。――ユーミン、これはきみが持っていたほうがいい」
ウータンが近づくと、ユーミンが尻込みするように後ずさった。その視線は、ウータンの股間に注がれている。そこでウータンは、自分が素っ裸であることに気づいた。
ウータンが服を身に着けたところで、ユーミンはようやく石を手に持った。
「この太陽の石は見覚えがあります。ひょっとしたら、イリスの像についていた石かもしれません」
ユーミンがつぶやいた。それから石を両手で抱くと、うっとりとした表情を浮かべた。
「なんだかとても暖かい気持ち。安心感――それに充実した力が、体中に広がってくるような――」
「それが太陽の石のパワーじゃ。その石は、この先、お前たちを助けてくれるじゃろう」
エウスが満足そうにうなずいた。

ウータンは、エウスと出会ったときに抱いた疑問を口にした。
「あのう、大広間にある壁
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