第2章 イギの峡谷
(1)
気がつくと、ウータンは見知らぬ家に寝かされていた。彼は裸だった。胸や手足に白い包帯が巻きつけられている。起きあがろうとして、体中の痛みに息をつめた。
「まだ、起きあがらぬほうがいい」
深いバリトンの声がした。
そちらに顔を向けると、僧服を着た男がむこう向きに座っていた。その大きな背中を見て、ウータンはふと父親の姿を思い浮かべた。
男が振り返った。その顔は、父親よりはるかに若かった。30代の前半くらいか。彫りの深い精悍な顔をしていた。切れ長の双眸が、すずやかにウータンを見た。
「あんな高いところから落ちて助かるとは、おまえはよっぽど運が強いようだな」
男は手にすりこぎ棒と鉢を持っていた。彼は立ちあがると、ウータンの枕もとにどっかりと腰を落とした。かなりの長身だ。それに鍛えぬかれた体格をしている。僧服の上からでも、筋肉の盛りあがった分厚い胸がうかがえた。
男はすりこぎ棒で鉢をかき混ぜながら、ひとりごとのように言った。
「おれはケインだ。おまえは?」
「あ――ウータンです。あなたがぼくを助けてくれたのですね。ありがとうございます」
「なあに、礼には及ばん。それにどのみち、おまえの落ちた谷は、おれがねぐらとしている所だ」
「ぼくはどのくらい寝ていたのですか?」
「まる一日だ」
ウータンは頭をめぐらせて、部屋のようすを見た。部屋は小さくて、家具らしきものはほとんどない。壁に、鉄製の長い槍がかけられている。穂先が二つ又になったものだ。
ウータンは谷に落ちる寸前、ギリウスがその槍に突かれるのを見ていた。
「あのう――ケインさんが、ぼくを襲った男を退治したのでしょう?」
「ああ――さん付けで呼ばなくていい。ケインでけっこうだ。それで、なんであの男に襲われたんだ?」
「わかりません。あの人はそれまでなんともなかったのに、きゅうに敵意をむき出しにして――」
ウータンは、ぼんやりとつぶやいた。
ケインは手の動きをとめた。
「そろそろ良さそうだな。薬を塗りかえるぞ」
彼はウータンの包帯を剥がした。驚いたことに、たった一日で傷口が塞がっている。
「ふむ、だいぶよくなったな。もう一度、薬をぬれば、それで直るだろう」
ケインは鉢から、なにやらドロドロとした緑色の軟膏を指ですくい取り、ウータンの傷口に塗りつけだした。
彼は作業をつづけながら、ウータンに言った。
「おれの特製の傷薬だ。よくきくぞ」
そして、ウータンの顔を見た。「それにしても、おまえ、奇妙な術をつかうんだな」
ウータンは怪訝そうに、ケインの顔を見返した。
「奇妙な術って?」
「あの男の顔に炎をぶつけたじゃないか。どうやって炎を出した?」
「あれは、ぼくがやったのですか?――わかりません」
ウータンは、あのときのことを思い出そうとした。なにも思い出せなかった。ケインは、じっとウータンの顔をみていたが、肩をすくめた。
「まあいい――おまえの潜在能力の、なにかが働いたんだろう」
そう言うと、傷口に包帯を巻き始めた。
つぎの朝、ウータンはすっかり回復していた。もう体のあちこちの痛みもない。包帯を取ると、傷は嘘のように治っていた。うっすらと傷痕があるくらいだ。
驚いたウータンは、ケインに聞いた。
「あのう、ケインは魔法がつかえるのですか?」
「魔法?ばか言え。おれは僧侶だ。傷薬がきいたんだよ」
ケインは苦笑すると、ウータンの顔をまじまじと見た。
「それより、おまえ、もうすっかり良くなっただろう。狩りにつきあってくれ。しばらく肉を食っていない。鹿でも捕まえようじゃないか」
ふたりはさっそく狩りに出かけた。峡谷は、大きな岩の転がる渓流が、深い緑の森を分割していた。
途中、高い滝が流れ落ちる所に出た。その下に水の溜まりがあって、透き通った水のなかで大きな魚影が数匹、泳いでいるのが見えた。
「ケイン、ちょっと泳ごうよ。ついでに魚も捕れる」
ウータンはケインを誘った。彼は小さいときから、泳ぐのが大好きだった。
ケインは顔をしかめた。
「おれは遠慮する。じゃあ、おまえは魚を捕れ。おれは森に行って、鹿を捕ってくる」
その口ぶりからすると、ケインはどうやら泳ぎがあまり得意ではなさそうだ。彼は槍を持って、森の奥に入って行った。
ウータンは素っ裸になると、水のなかに入った。山の水は、縮みあがるほど冷たかった。それでも首まで水につかっていると、ぎゃくに水の暖かみを感じてきた。
彼はゆっくりと泳いだ。水の冷たさが、肌に心地よかった。ウータンは泳ぎながら、ふとトマ王のことを思った。
(王さまも水につかるのが好きだったな。今ごろは、何をしているのかな)
泳ぎ疲れると、河原にあがって大岩の上に横たわった。
高い太陽の光が、彼の全身にふりそそいでいた。彼は心地良さそうにあくびをして、水の流れを見
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