(3)
宴会が始まった。社員たちはめいめいのグループに別れ、寿司やツマミの乗った折り畳みテーブルを囲んで、酒盛りをした。
あちこちから久しぶりに、明るい笑い声が湧き起こりだした。その中でも木原紳一のいる席は特に賑やかだった。そこでは、もっぱら紳一が、皆を笑わせていた。彼は、スピーチのときの神妙な態度などケロッと忘れて、底抜けにはしゃいでいた。
「まあ、これまでしんどいことばかりだが、たまにはいいこともあったな」
「部長、いいことって、どんなことでっか?」
横に座っていた、杜氏の笠原が訊いた。
「そうだな――まずは、社長とひとつ蒲団で寝たことだ。あんなことは、滅多にない経験だ。社長のふっくらとした暖かい体――あれは最高の抱っこちゃん人形だったな」
「――」
「なんだよ、みんな、そんなに黙り込んだりして。べつにおれは、社長のお尻を貸してもらったわけじゃないぞ」
「部長――聞こえまっせ」
笠原が後ろに目配せしてささやいた。
紳一は、そっと背後を振り返った。
後ろのテーブルには、木原社長ほか北田相談役、大園専務たち、会社ビップのお歴々が座っていた。そして、彼らの席は妙に静かだった。
「気にするな。連中、歳とともに耳が遠くなってんだから」
紳一の言葉に、ほかの社員たちは、気弱げに微笑んだ。
「それから、何と言っても最高に嬉しかったのは、おとうちゃんの顔を見たときだよ」
紳一は、笠原の丸っこい体を抱き寄せて、頬擦りした。「家が潰れたって聞いたので、心配してたんだ。おとうちゃんの元気な顔を見たときは、思わずジーンときたな。ほんと、おとうちゃんの笑顔は、最高の疲労回復剤だよ」
笠原が恐縮して、丸っこい体をますます丸めた。
「有り難いこってす。部長にそう言っていただくと、なんか元気が湧いてきますわ」
「社宅の住み心地はどうだい?」
「おかげさまで、女房と一緒に快適に暮らしています」
「そうか。ところで今回は、奥の院の年寄りどもも、結構役に立ったじゃないか。これまでは、骨董品的価値しかないと思っていたけどな」
「部長、奥の院って、なんのことです?」
江口がおずおずと尋ねた。しかしその顔は、紳一の答えを予期しているようだった。
「おや、江口。お前、知らないの?本社の相談役室から専務室にかけてのコーナー。考えてみれば、戦後の貧困期を耐え抜いてきた年寄りたちだ。いざとなると、頼り甲斐があるな」
紳一は大声で言うと、ひとり、脳天気に笑った。
――*――
「木原部長、ご苦労やったな。きみのおかげで、うちの会社もなんとか、もとの軌道にもどすことができた」
「いえ、私ではなく、社員の皆さんのおかげです。私ひとりでは、何もできなかった」
「ふむ、お前にしてはえらく謙遜した言葉やな。まあそれだけ、お前も大人になったってことか」
紳一は社長室にいた。部屋には、北田相談役と大園専務が同席していた。
「ところで社長、そろそろ災害対策本部長の席を、下ろさせてもらいます。これから自宅の復旧にとりかかろう、と思っているんです。それに社長宅の建て替えも、どっちみち私の仕事になるでしょうからね」
「もちろん、わしの家の建て替えは、おまえに頼むつもりや。分かった、おまえの後任を考えておこう。もっとも復旧活動は、ほとんど片がついてるが」
「とんでもない。これからが本番ですよ。建物施設の補強や販売店の再整備――やるべきことは、いっぱいあります。それに、今回の地震を教訓に、災害対策のマニュアル作成も必要です。緊急連絡網、非常時の行動基準、救助資材や食料の備蓄――マニュアル作りは、真山取締役が適任でしょう」
「わかった。それでお前――」
木原社長は、紳一の顔をうかがうように見た。「本当に、辞表は撤回するんやな?」
「勿論ですよ。これからSプロジェクトを、いよいよ本格的に始動させなくちゃあならないでしょう?」
紳一の言葉に、年配者たちはあっけにとられて若い部長の顔を見た。3人はしばらく声も出せなかった。
社長が、ようやく気を取り直して言った。
「おまえ――こんな非常事態で、あの件はしばらく延期やろうが」
「どうしてですか?むしろ計画を早める絶好のチャンスですよ。いま神戸は、震災の影響でオフィスも住宅も、圧倒的に不足しています。このままだと、企業や住民の多くが、ほかに移り住んでしまいますよ。
だから神戸市の復興のためにも、できるだけ早く、働く場所や住まいを供給するのが、わたしたちの役目でしょうが。
それに今回の震災は、高価な犠牲を払いましたが、いろいろ学ぶべき点もありました。建物の耐震対策や、管理上の災害対策など。Sプロジェクトも、大幅な計画の手直しが必要ですね。それから――」
「ちょっと待て!」
一気にまくしたてる紳一を、社長が遮った。「あの計画は、まだ正式に承認されたわけやない
[3]
次へ
[7]
TOP [9]
目次[*]
感想