(2)
木原酒造の主要施設は、大きな損傷を奇跡的に免れていた。これも紳一の祖父、宗一郎が、酒造工場や本社屋を堅牢なものに建て替えていたおかげだ。
このときばかりは紳一も、祖父の先見の明に感謝した。
とはいっても、すぐに操業再開というわけにはいかなかった。醸造設備類が被害を受けていて、建物自体もあちこちが傷んでいた。それに5本の井戸のうち2本は、地震で水みちが変わったのか、水が出なくなっていた。
バイクや自転車を利用した従業員たちが、三々五々、会社に集まってきた。
急遽、一番大きな会議室が地震対策本部の部屋にあてられ、折り畳みテーブルや椅子、電話、テレビなどが運び込まれた。
紳一の指示により、ホワイトボードが並べられ、対処すべき項目が次々に記入されていった。壁には兵庫県の地図が貼りつけられ、若手社員によって、取引先の酒類販売店がプロットされていた。
紳一は木原社長をわきに、中央の席にどっかりと座ると、集まったメンバーにてきぱきと指示を与えていた。
「速水課長、女子社員と手分けして、社員の安否を確かめてください。おそらくこちらからの電話は、繋がりにくいでしょう。連絡のあったのをチェックするんです。本人だけでなく、家族の人たちや家の状態も確かめて。一段落ついたら、連絡のない社員には、近くの公衆電話から連絡を試みてください。そのほうが通じやすい」
「福井次長、太田といっしょに工場の状態を調べてくれ。社員の志気を上げるためには、一日でも早く仕事を再開させたいんだ。機器メーカーやゼネコンとも、作業の段取りをとりつけてくれ。原建設には、わたしから応援をお願いする。
あ、植田課長、無事だったか。あんたは本社家屋のチェックだ。危険なところがあれば、立ち入り禁止にするんだ。それから、空調その他の設備のチェックもだ」
「あれっ、青柳取締役、自宅の方は大丈夫だったのですか?じゃあ、取締役には炊き出しをお願いしますよ。社員のためだけじゃない。おそらく震災で、路頭に迷っている近隣の人たちが多いはずです。こんな寒い中だから、暖かいものが必要でしょう」
「社長、体育館を近隣の人たちに開放しますよ。仮の宿舎に使えますからね。それから、水がこれからの貴重品になる。山本、きみが井戸水の管理をしろ。近隣の人たちにも分けてやってくれ。ただし、無駄使いはいかん」
その日、紳一は深夜まで働き詰めだった。一段落ついて社長室に行くと、急ごしらえのベッドで仮眠をとっていた叔父が、目を覚ました。彼はわずか1日で白髪が増え、額には皺が刻み込まれ、ゆるんだ下目蓋に疲労が色濃くにじみ出ている。
「さっき優子に連絡がつきました。とくに変わったことはありません。叔母さんや子供たちは、ぐっすりと眠っているそうです」
紳一の言葉に、昇は弱々しく微笑んだ。
「すまん、おまえには苦労をかける。わしは、なんの役にも立たんな」
「何を言うんです。社長は、デンと座っていればいいんです。社長が悠然としていれば、社員たちも安心するし、それだけ志気もあがります。だから、深刻な顔をしちゃあ駄目ですよ」
紳一はハーフコートを脱いだ。
「明日も早いんだから、もう寝ましょう。布団がないんだ。横に入れてください」
彼は叔父の横にもぐりこむと、数分後には健康的な寝息を立てていた。
日が経つにつれ、予想を超える震災規模の大きさが明らかになってきた。被災者の数は、公表されるたびに増加していった。
木原酒造でも社員がふたり死亡し、家族を失ったり、倒壊や火災で家を失ったりした社員もいた。
地震発生当日からいち早く震災対策にとりくんだ木原酒造は、その後も順調に復旧作業が進み、1ヶ月後には醸造部門を除いて、ほぼ平常どおりの企業活動ができる目処がついていた。
復興作業は、すべて紳一が中心になって進められていた。彼は災害対策本部長として、すべての情報に目を通し、判断し、指示を出した。その合間には、各現場にも足を運び、細かい指示を与えた。
その1ヶ月間、彼は2度しか自宅に戻らなかった。疲労が蓄積した彼の顔は、厳しさが増して、ますます彼の父親、先代社長の木原繁に似てきた。
毎日が辛い作業の連続だったが、うれしい発見もあった。それは、普段はさほど目立たないが、この非常時に意外な真価を発揮する人物もいたことだった。
とくに、おっとりとして口数の少ない北田相談役は、おおいに役に立った。彼は紳一の気づかない点をアドバイスしてくれ、そして自らも進んで現場に赴いた。専務の大園も支援チームの陣頭指揮をとって、会社関係者の葬儀や、被災した社員の家の復旧活動を支えていた。
――*――
地震が発生して2ヶ月が過ぎ、木原酒造は復旧活動の慰労会を行った。
午後半日を臨時休業にして、それまで近隣住民の臨時避難場所になっていた体育館が、会場にあてられた。被
[3]
次へ
[7]
TOP [9]
目次[*]
感想