沖縄というところ
沖縄は、まだ古き良き日本が生きている所という感じです。個人的には、気候、風土が気に入っていて、何度でも行きたいスポットです。これまで、数回、訪問しています。寒いのが苦手な心臓病患者は、一週間も経(た)たないうちに、元気になるから、不思議な所です。もちろん気候は、健康を左右する大事な要因です。
相方の爺さんは、高齢の70歳です。でも沖縄に行くと元気になります。小柄で、手先の器用な日本画家です。針も上手に使って、裁縫(さいほう)も上手に熟(こな)します。着物の解(ほつ)れなどは、あという間に直してくれます。子供の頃には、裁縫は、正式の授業科目でしたから、何ら違和感はありませんでした。
たとえば、祭礼の時は、お揃(そろい)を誂(あつら)えてくれます。爺さんの背丈は160センチ、私は170センチです。10センチの差がありますが、胴長ではないので、ズボンの股下はまったく同じ。70センチですから、爺さんのズボンを穿(は)くことができます。それを見て、爺さんは、笑っています。
爺さんと沖縄に出かけたのは、合計、二回です。一回目は、8月の中旬、季節の上では秋のはじめ、まだ暑いときです。二回目は、春の上旬です。いずれも私の都合に合わせてくれた訳です。爺さんは大の旅行好きでした。日頃の出費を控えてでも、なるべく長く現地で過ごしたいのが、爺さんの願いでした。
二人の息子
爺さんの家族について、少しだけ触れておきます。50歳の時に連れ合いをなくし、一人になりました。再婚しなかったのは、息子たちが反対したからです。特に次男は首を縦(たて)に振(ふ)りませんでした。母親についての気持ちが強かったからだと思っています。子供は男の子が二人です。長男は航空会社勤務で、私が爺さんに出会ったときは、一緒に暮らしていました。
次男は音楽大学の卒業生。卒業後は、スタジオを経営していました。奥さんは、音大の後輩で、子供にも恵まれていました。奥さんは埼玉県出身で、実家は楽器店でした。実家の両親が、とても理解があり、大宮市郊外にスタジオを出すときには、資金援助までしてくれたといいます。
私は、ご長男とはとても気が合って、爺さんと3人で、よく食事をとりました。私立の名門大学の卒業生で、常識を弁(わきま)えた人です。顔もいいのですが、私と同年代の人。でも、まだ結婚していません。理由を聞きたかったのですが、爺さんは、何も聞くなと、首を横に振ります。だから、聞かない方がいいと思いました。
爺さんの家族の事に、も少しふれなければなりません。大事なことは、すべて話すことができるような関係です。二人の息子さんとも、うまくやっているようです。爺さんは、人に対する接し方がとてもソフトです。相手に、威圧感や、緊張させない術(すべ)があります。浅草の飲み屋で出会ったのですが、静かで目立たないから、爺さんから声がかかるとは思ってはいませんでした。
すでに触れましたが、店のマスターは、岩手の出身者です。東北の訛りが、どうしても消えない人です。でも、気配りが利いて、客あしらいが抜群の人でした。爺さんと私の行きつけが同じだったので、縁(えん)ができたのだと思います。何度目かの出会いの後に、マスターから声がかかりました。
「Hさんが、あんたと飲みたいと言っている。どうする。」
とても気楽な調子でした。「えっ」と思いました。というのは、マスターを通して都合を聞くことのは、滅多(めった)ない事だからです。「同意」したのは、爺さんは小柄で、小顔、腹も出ていない。嫌いなタイプはなかったからです。それに、断れば、相手を傷つけてしまう。それは避けたい。行きつけの店は大事にしたいからです。
相手をどう選ぶかは、一番大事なことです。どんな基準で選ぶかが分からなければ、いい人とは出会えない。心と身体(からだ)のどこが好きかが分からなければ、望む人とは出会えないのです。これは決して過言ではない事です。難しいのです。基準が分かるには、遊び始めてから、普通、5年から6年かかるのが普通です。
上野の店に行く
マスターの紹介で、上野の店に出かけました。浅草のひさご通りの突き当りの国道で、タクシーを拾い、上野の店まで運んでもらいました。店では、2時間ほど飲んで、いろいろ話をしました。
今やっている仕事の事、食事の好き嫌い、今まで付き合ってきた人のことなど、いろいろ聞かれ、できるだけ、誠実に答えました。元公務員だったので、話題豊富で、過去に付き合っていた相方もいた人でした。こちらが聞いた事にも、つつみ隠さず答えてくれました。
別れる際に、次回に会う日時を指定ました。初めて会った時から約半年が経っていました。この関係を維持したいと、ハッキリ自分の意思を表明した瞬間でした。もちろん、相
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