老先生のこと

S先生に出会ったのは、桜のきれいな4月だった。京都の自宅まで、新幹線に乗って校正原稿を届けに行った。わざわざ行ったのは、勤めている研究所の上司が、S 先生の恩師だったからだ。研究所は小規模だが、スタッフは精鋭ぞろいだった。雑誌に先生の原稿を依頼したのは、もちろん上司だが、連絡は助手の私の役割になった。

S先生は、若い研究員の指導に余念がない。月二回、指導のために態々(わざわざ)京都から山梨の研究施設まで、定期的にやって来る。小柄な先生は広島の出身で、投下された原爆に、かかわりを持つ。一命をとりとめたのも、運だけではあるまい。日頃の先生のきちっとした行動が、いざという時の決め手になったと思う。

先生は、もちろん、弟子の育成にも力を注ぐ。まがったことが嫌いな教育者である。小柄で、左腕には、若いころ、鉄棒から落ちてできた骨折跡が痛々しく残っている。広島高等師範から、京都大学の哲学科に進んだのも、たゆまぬ努力と、よき上司に恵まれたからだ。西田幾多郎は、京都大学で目覚ましい業績をあげた人物だが、S 先生は西田学派ではない。初期フッサール研究に始まる先生の初期の研究は、独創的で、以降その研究方法を使って、日本思想や、哲学の新分野で、独自の業績を挙げた。

私は、一度だけ、京都の先生の自宅を訪ねたことがある。戦前は京都市長の公邸だった建物は、戦後は、真二つに分割され、その半分が先生の自宅になっていた。お宅の入り口に立って、建物の内部を見て、呆然とした。家中が本だらけだったからだ。足の踏み場もないほど、雑然としている。京都大学出身の先生が勉強家で、書籍に埋もれていると話しには聞たが、これほどまでとは思っても見なかった。

先生は見かけにはこだわらない。格好もつけない。何よりも、うわべを飾ることは絶対にしないし、何よりそれが嫌いな人だ。広島の実家は農家で、先生も裏庭に自ら野菜を植えて面倒を見ている。私が訪問した時、先生はくつろいだ格好で野菜に水をやっていた。クレープのシャツに、クレープのステテコ。ステテコの下には越中ふんどしが見える。恰好はどうでもいい先生のこと。そんな格好には、気にもかけなかった。
18/08/22 02:51更新 / 向原盛次(集約)
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