愛欲の海(13)

向田さんと柳原さんは、年の離れた親子のようなもの。その馴れ初めは、米国シカゴにまで、遡る上ります。

シカゴ―五大湖のほとり

画家の爺さまとわたしは、北米シカゴの日本人の邸宅に逗留しています。屋敷の主は、柳原伸之助75歳です。ロスに居住する日本人グループの禅(ぜん)さんの紹介で、シカゴ・オヘア空港経由で、五大湖のほとりの柳原さんの邸宅までやってきているのです。

ところで驚きました。二人の爺さまの口がとてもよく似た形なのです。典型的なおちょぼ口です。舌の内側は間違いなく、ビロードのような、ぬめぬめの膜が張ってあるはずです。キスをすれば、忘れられなくなる。絶品の唇(くちびる)。それが二つ並んでいるのです。

先に立って階段をそろそろ降りて来るのは、シカゴの爺さまです。二人は、ウマが合ったのでしょう。本当に仲が良くて幸せ一杯です。初対面ですが、気が合って身体を重ねてしまったのでしょう。ハプニングですから仕方がない。階段の下に待つ相方は、心配です。

ぞろぞろとやってくる日本人の爺さまたち。お土産の藍染(あいぞめ)の手拭いを、一人ずつ渡します。懐かしそうに日本から来たカップルを見ています。ビールで乾杯です。それから、好きな酒を手に取ります。幹事役は、中年の日本人です。挨拶の交換が最初です。

無礼講です。画家の爺さんの所へも、邦人のフケが沢山来て、お酌をしていきます。シカゴの爺さんは、一重(ひとえ)の和服姿で寛(くつろ)いでいます。二世、三世になると、英語だけ話す人もいますが、この爺さんは、英語の聞き取りは、とても上手なのです。

耳で覚えた本物のビジネス英語。学校の英語は、読む、話す、聞くと、体系的ですが、実践志向ではない。現地の英語は、耳から学ぶ英語です。だから原則的に書くのはダメ。実際の英語は、スラングが入ったり、訛りがあった、教科書とは、随分かけ離れています。

立食パーティーが終わって、殆どの人が引きあげます。。シカゴの爺さんと、ごく親しい仲間だけになります。そして、皆で茶室に移動します。画家は持参したねずみのお召しに着替えます。私は三つ揃いのまま。シカゴの爺さんの身内だけの薄茶の茶会が始まります。

 ニューヨークの禅堂

ふと、昔訪ねた、ニューヨーク禅堂を思い出しました。剃り跡も真青(まっさお)な碧眼僧が出てきたので、吃驚(びっくり)しました。早朝5時の事です。街はまだ、霧に沈んでいる頃です。私は亡くなった娘を思い出して、電話帳で禅堂を探してやってきたのです。

びっくりしたのは相手も同じ。娘の菩提をともないたいという私の申し入れを受けてくれました。そして、白人僧侶の勤行に付き合います。日課の経文を読み上げる僧侶に唱和して一時間でした。阿比留文字の経文を日本式に読み上げる方式には、少しだけ違和感がありました。

でも、それが済んだ後、でシッティングするかと聞きます。北米では座禅はシッティング。一中は20分、二中だから計40分です。そのすぐ後に中庭に移動して、抹茶のご馳走に与(あず)かりました。ニューヨーク禅堂、8月15日早朝の、忘れられない記憶でした。それ以来の茶会です。

見事な袱紗捌(ふくささば)きです。シカゴの爺さまが、茶を持てなしてくれました。もはや、シカゴにいるという意識は消え去り、古い友人と懐かしい人の輪の中にいる。そんな感懐(かんかい)に耽(ふけ)りました。茶を点てる爺さんの、神々しい姿。ほんとに素敵ですね。

画家の爺さまは、若い頃、洋画を学び、今は、岩絵具で日本画を書いています。その作品は、ここには持参していないのですが、シカゴの爺さまは、関心があります。爺さまの周囲(まわり)は、もちろん日本語が堪能な人ばかり。だから通訳なしで日常会話が楽しめるのです。

その晩、日本から来たカップルは柳原さんの離れに泊まることになりました。画家の爺さんと、シカゴに爺さんの、かりそめの恋は、すでに書きましたので、省略します。でも、縁(えにし)は、不思議なもの。シカゴの爺さまの茶の師匠は、向原伸之助さんでした。

滋賀県生まれの向田(むこうだ)さんに、シカゴの爺さんが出会ったのは、まだ16歳の頃です。小規模な貿易商を営んでいた向田さんは、アメリカに連れて行く相棒を探していました。生涯独身を貫いた向田さんは、無類の男好き。しかも美形好みの男性でした。

 24時間の教育訓練

まもなく還暦を迎える向原さんと、子供だった爺さまが、セックスに明け暮れていた訳ではないのです。もともと向原さんは、中堅商社N社の辣腕の営業マンでした。その彼が名古屋で貿易商社を立ち上げて、間もなくシカゴの店主になっていくのには訳がありました。

N社は、北米進出に大きく後れを取っていました。中西部のシカゴに出ることにしたのも、出遅れが主な理由で
[3]次へ
[7]TOP [9]目次
[*]感想
まろやか投稿小説ぐれーと Ver2.35b