高齢の会社役員と英語教師の恋
カップルになった証拠に、旅行に行く。新婚旅行と同じだと、親爺さんは決めていました。最初は名古屋から伊勢、そして大阪です。古い友人がいるから、その後は九州だと。身体は小さいが決断は早い人です。男らしい爺(じじい)だと思いました。身近な所にも友人が多い理由も、よく分かります。
名古屋の店は、本当に楽しかったです。共済組合の宿舎に泊まって、一晩中、飲み明かしました。親爺さんは、ニコニコ笑って話を聞いているだけです。でも、店に来る客には何故か好かれるのです。沢山の客がビールを注ぎにやって来ます。警察署の裏の男の店でした。マスターに通りを隔てたマーサージの店を紹介してもらいました。
わたしは素っ裸で、親爺さんは、浴衣で身体を揉(も)んでもらいました。マサージ師は高齢で、私の時には、腰の奥、恥骨のそばまで手をのばします。丁寧に揉んでくれます。若いから、当然、亀頭は固くなり、竿は屹立します。親爺さんは、面白そうに、その様子を見ています。
次の朝、伊勢に向かいました。近鉄の特別快速です。伊勢山田でタクシーを拾って、五十鈴川まで運んでもらいました。決めたのは親爺さん自身です。なぜ伊勢神宮なのかと思いました。よく分かりませんが、親爺さんにも昔があったからです。話してくれました。若い頃、海軍の上官から、養子にもらいたいという話がありました。それが名古屋だったから、懐かしかったのです。
旅行してみて、ますます親子になりました。中学、高校と男子校だったから、親しい男の友人もいます。でもこの爺さんといると、学校の時とは違う感じがするのです。実の父親は、小学二年生の時に病死したので、確かに、父親に憧れていたからだと、思いました。
小柄なおやじですが、どこか安心できるのです。そばにいて、気にならないのはなぜか。何度も考えました。理由は、後で分かりました。「この人が本当の親爺だったらなあ。」男同士の友情は、意識の深層にまで根を張ったもの。抱き合っても、違和感を感じないほどの人間の関係だからです。
画家はグルメで、伊勢の料亭では、海老の天丼を頼んでくれました。伊勢海老が二匹、丸ごとついた、特性のどんぶりです。それから名鉄で名古屋に引き返し、京都に出て、新幹線で、新大阪で降りました。泊まったのは共済組合の宿拍施設でした。
その時にふと考えたことがあります。心臓の事が一つです。50代後半の心臓病の男に水泳はできるか。泳ぐのであれば、当然、トレーニングが必要になる。水泳実技の記憶が、鮮やかに頭に浮かびました。20代前半のはなしです。授業が行われた、W大の室内水泳場が目に浮かびました。
講師は元水泳部OBで、50代後半の人でした。その授業は体系的で、4泳法をきちっと教える方式でした。助手は4年生の水泳部員です。年間実技ですから、土曜日の午後にありました。前期と後期にまたがって、確か20回だったと思います。
水泳が苦手だった私が、泳ぐのが好きになったのも、この授業のおかげです。京都出身の講師は50代の中肉中背の、元国体選手。教えるのが、とてもうまい人。その記憶は、今も記憶に残っています。正しいやり方できちんと学べば、だれでも泳ぐことができる。そのことが実感できました。
クラスは二つに分けられました。初心者クラストと上級クラスです。もちろん私は、よく泳げない初心者クラスです。上級クラスに比べて、教え方はとても丁寧でした。プールの壁を蹴って、まっすぐ身体を進めるのは、蹴伸(けのび)と言います。
何度も、何度も蹴伸の練習を繰り返しました。頭の先から足の先までが、まっすぐにならないと、水中では、前に進まないのです。それが出来なければ、練習は、先に進まない。何度も基本を繰り返して、身体で覚えるのが、水泳の練習だと悟りました。
水中で正しい姿勢を保つの、初心者には、とてもは苦しい。苦手意識のある私には、辛いことでした。どこかに余分な力が入ると、身体がまっすぐに伸びないのです。蹴伸の練習を何度も繰り返した結果、身体がそれを覚えて、とうとう、まっすぐに泳げるようになりました。
「君はよくやった。わしは駄目だと思っていたよ。」 担当教員から、そういわれた時、涙が出るほどうれしかったと記憶しています。運動神経は、ほぼゼロの私です。子供のころから運動は苦手、剣道も柔道も駄目な私でした。教師には、すべて分かっていたようでした。
四泳法の基本を学ぶとき、お手本を見て、すぐにそれを繰り返せるのが、普通の学生です。何度やっても、できないのが私です。授業が終わって、居残り練習を希望しました。時間の許す限り、教師は教えてくれました。でも、なかなかうまく行かない。教師も熱心。学生も熱心。その相乗効果が出たのだと思いました。
これを逃したら、水泳
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