愛欲の海の続きです。相方の爺さんの回想です。爺さんはなくなっても、思い出の中に、生きています。今も、雲の上から見ているに違いないのです。
紹介された親爺と逢瀬(おうせ)を重ねました。マスターの知り合いの店でのことです。そのうち、親爺の知った店があるのが分かりました。新橋の店です。感じのいい店です。客は顔見知りが多いからでしょう。どこでも気軽に声をかけくれる。おやじはいつも笑顔でした。
公務員の時に通った馴染みの店でした。おやじは元公務員。。詳しい話は長いので、端折(はしょ)りますが、厚生省を皮切りに、公安関係も含めて警察庁へと移って、最後は会計検査院でした。もちろん、知り合いも沢山います。
なぜ公務員になったのか。恥ずかしそうに答えました。父親が勧めるたからだよと。
実力がなかったので、受かったのは、公務員中級でした。勉強すればもっと上に行けたのにと、悔しそうでした。実家の飯塚市の家は豊かで、子供の頃は、何不自由のない暮しでした。それでも将来を考えて父親が決めた道でした。
話は前後しますが、子供のころ絵が好きだと父親に言うと、さっそく画家を連れてきました。その教師が優秀な人で、基本を丁寧に教えてくれたそうです。デッサンは、物を正確に把えることです。穴のあくほど見続ければ、だんだん物は大きくなり、細部まではっきりと見えるようになる。物をよく見ること、それが画家の第一歩だそうです。
一年ほどたった日のある日、ついに言いました。私は驚きませんでした。
「お前を描く。裸になれ。」
衣類はすべて外し、「ふんどし」までとりました。初めて裸を曝したのは、約二時間。親爺のモデルでした。
画家はじっと見ています。動いてもぜんぜんかまわないのです。目が突き刺さるとは、この事だと知りました。最初で最後のモデルです。画家は変わっていました。頭に焼き付けたからゆっくり描く人です。じっくり見て、脳に焼き付けてから初めて描くのです。だから後は見なくていいのです。頭でいつでも再生できるのです。それがこの画家の目のすごさでした。
画家は、慎重に先まで考えて、物事を進める人でした。もちろん、私が初めての人ではありません。かなり有名な映画俳優と付き合った経験がありました。
画家の目から見て、その俳優には、欠点がありました。おまえの身体(からだ)は、バランスがいい。どこをとっても問題はない。だが、その俳優には、欠点がありました。足の指の形が小さくて、バランスを欠いているのです。本人も気にしていました。二人でいるときには、毛布やバスタオルを、掛けて、見えないようにしてあげました。
憶えているのは、俳優の事です。高島屋のそばの老舗のうなぎ屋が、彼の実家でした。逢瀬を楽しんだ後、別れは本当に辛かった。「別れたくなくて、ぐずぐずしています。付いていきたいのに家には入れてもらえない。男同士の付き合いは、あくまで遊び。そう俳優はわり切っていました。おやじは家に入れてもらえなかったのです。ちょっと悲しい話ですね。
だから余計に、やさしくしてくれました。親爺は私を家族にしてくれました。どこに入っていいのです。居間も、書斎も、寝室にもです。わざわざ断らなくていいのです。家族の一員だからです。親爺がそう言いました。そして、頭の先から足の先まで、着るものは、すべて揃えてくれました。裁縫の上手な人で、「ふんどし」まで縫ってくれました。六尺の末端も、丁寧に縫い込んであります。
寝間は20畳ほどの大きさで、書斎を兼ねています。すみに大きなダブルベットが一つ置いてあります。画家は普段は、そこで一人で寝ています。初めて泊めてもらった日の事です。私はベットの脇で寝るものと、決めていました。
「馬鹿。こっちに来い。」
強い力でと引っ張られ、口づけされました。格好のいい、おちょぼ 口です。もちろん初めてのキスです。身体は小さくても、腕っぷしは強いのです。剣道で鍛えた身体なのです。意識の中では、私も爺さんも、紛れのない伴侶になりました。だから、破格の扱いでした。
「粗末でもいい。でも、ちゃんとしたものでないとな。わしがやらせてもらいます。」亡くなった父母の想いを私に重ねていたのです。新たなせがれのために、すべて揃えてくれました。着物から洋服まで。少しずつ身の回りが変わっていきました。(つづく)
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