記憶に残るタレント・続
谷啓は芸名であるが、由来は彼がファンだったアメリカのコメディアン、ダニー・ケイを日本語風にしたもの。
名乗り始めた当初は「ダニー・ケイを敬う」という意味で『谷敬』だったが、ファンから「谷底でいつも敬っているんじゃ、ずっと底にいることになる」という指摘を受け、谷をひらくという意味の『谷啓』と改名した。
私が谷啓を知ったのは、彼がクレージーキャッツの一メンバーとして活躍していた頃である。メンバーの中では背が低く小太り気味の体型と、シャイなくせに変なギャグを言う、明るいキャラクターに惹かれた。目をしばたたかせるクセも人間臭くて身近に感じた。
彼が属するクレージーキャッツは、単なるコミックバンドと違って、メンバー全員が音楽演奏について卓越した技量を持っており、質の高い音楽とコメディーを兼ね備えた、異色の存在だった。
その中で谷啓はトロンボーンを演奏していたが、彼の経歴を調べると、結構色々のことに挑戦しているのに驚かされる。
谷啓は高校から大学にかけて、キャバレーや米軍向けにバンド演奏のアルバイトをやっていた。一方で、アメリカのコメディー映画のファンであったことから、喜劇俳優を目指したが、どこの劇団からも相手にされなかった。大学在学中、確かな技術とコミカルな演奏が、原信夫の目にとまり、トロンボーン奏者としてシャープス&フラッツに参加した。
そののち植木等の紹介でハナ肇に出会い「ハナ肇とキューバン・キャッツ」に移籍した。のちにバンド名は、クレージーキャッツと変わる。
谷啓と言えば、多彩なギャグである。
コメディアンとしてテレビのバラエティ番組に出演したときに発せられたギャグの数々――ガチョーン、ムヒョーッ、アンタ誰?この一連のギャグの多くは、谷が仲間と麻雀をやっているときに発する奇声が、起源だという。
谷だァ!というギャグも一時期使っていたが、これは当時の流行語にもなった青島幸男の青島だァ!に対抗する形で発せられたもの。青島とは同年齢で仲が良かった。
いつも目をパチパチとしばたかせながら、人なつこい笑顔で周りを魅了する。温厚な人柄で誰からも愛された人気者は、極度の恥ずかしがり屋でもあった。
そのシャイぶりについてエピソードがある。
谷夫人はペギー葉山の元マネージャーで、結婚前、長年交際していたにも関わらず、谷が一向にプロポーズしないので、夫人の側からプロポーズした。
また、メンバーと一緒の時は、トイレに行くのを覚られないように、わざわざ別のフロアのトイレまで足を延ばしたという。連れションが恥ずかしかったのであろう。
シャイな反面、数々の奇行エピソードにも事欠かない。
家を新築したが、翌年、火事になり全焼。谷はこの時、焼け跡に麻雀牌と卓が残っていたことから、焼け跡で見舞い客たちと麻雀を打った。
また、目立つのを避けるために大きなサングラスをかけて、逆に目立ってしまう、という類の天然なところもあった。
恥ずかしがり屋がゆえに、派手な行動に出ることが多く、常に目立つ外車を乗りこなしていた。また、テレビゲームに嵌ったり、怪奇映画やホラー映画にのめり込んだりした。
そんな子供心を持つ谷であるが、後年は認知症が進んでいたようだ。
谷啓の晩年で印象的なのは、映画「釣りバカ日誌」シリーズの佐々木課長役であろう。
佐々木課長は、上に弱くて下に強い、日本の典型的な中間管理職。いつも釣りに夢中になる主人公の伝助にイライラして、胃薬が手放せない。
そんな生真面目で口うるさい上役の役柄であるが、谷啓が演じると、どことなく温かみがあり愛すべき人物に感じられる。
谷啓は、この映画のシリーズ1作目のとき56歳であったが、彼の遺作となった釣りバカ日誌ファイナルのとき77歳だった。70代にしてサラリーマンを演じられたのは、いかにも谷啓らしい、重厚感とは無縁の軽妙なキャラクターに由るのだろう。
私は、谷啓のどこにでもいるような小父さんの風貌を愛し、時に妄想の中で、遊び仲間として、あるいはベッドパートナーとして、お付き合いした。
名乗り始めた当初は「ダニー・ケイを敬う」という意味で『谷敬』だったが、ファンから「谷底でいつも敬っているんじゃ、ずっと底にいることになる」という指摘を受け、谷をひらくという意味の『谷啓』と改名した。
私が谷啓を知ったのは、彼がクレージーキャッツの一メンバーとして活躍していた頃である。メンバーの中では背が低く小太り気味の体型と、シャイなくせに変なギャグを言う、明るいキャラクターに惹かれた。目をしばたたかせるクセも人間臭くて身近に感じた。
彼が属するクレージーキャッツは、単なるコミックバンドと違って、メンバー全員が音楽演奏について卓越した技量を持っており、質の高い音楽とコメディーを兼ね備えた、異色の存在だった。
その中で谷啓はトロンボーンを演奏していたが、彼の経歴を調べると、結構色々のことに挑戦しているのに驚かされる。
谷啓は高校から大学にかけて、キャバレーや米軍向けにバンド演奏のアルバイトをやっていた。一方で、アメリカのコメディー映画のファンであったことから、喜劇俳優を目指したが、どこの劇団からも相手にされなかった。大学在学中、確かな技術とコミカルな演奏が、原信夫の目にとまり、トロンボーン奏者としてシャープス&フラッツに参加した。
そののち植木等の紹介でハナ肇に出会い「ハナ肇とキューバン・キャッツ」に移籍した。のちにバンド名は、クレージーキャッツと変わる。
谷啓と言えば、多彩なギャグである。
コメディアンとしてテレビのバラエティ番組に出演したときに発せられたギャグの数々――ガチョーン、ムヒョーッ、アンタ誰?この一連のギャグの多くは、谷が仲間と麻雀をやっているときに発する奇声が、起源だという。
谷だァ!というギャグも一時期使っていたが、これは当時の流行語にもなった青島幸男の青島だァ!に対抗する形で発せられたもの。青島とは同年齢で仲が良かった。
いつも目をパチパチとしばたかせながら、人なつこい笑顔で周りを魅了する。温厚な人柄で誰からも愛された人気者は、極度の恥ずかしがり屋でもあった。
そのシャイぶりについてエピソードがある。
谷夫人はペギー葉山の元マネージャーで、結婚前、長年交際していたにも関わらず、谷が一向にプロポーズしないので、夫人の側からプロポーズした。
また、メンバーと一緒の時は、トイレに行くのを覚られないように、わざわざ別のフロアのトイレまで足を延ばしたという。連れションが恥ずかしかったのであろう。
シャイな反面、数々の奇行エピソードにも事欠かない。
家を新築したが、翌年、火事になり全焼。谷はこの時、焼け跡に麻雀牌と卓が残っていたことから、焼け跡で見舞い客たちと麻雀を打った。
また、目立つのを避けるために大きなサングラスをかけて、逆に目立ってしまう、という類の天然なところもあった。
恥ずかしがり屋がゆえに、派手な行動に出ることが多く、常に目立つ外車を乗りこなしていた。また、テレビゲームに嵌ったり、怪奇映画やホラー映画にのめり込んだりした。
そんな子供心を持つ谷であるが、後年は認知症が進んでいたようだ。
谷啓の晩年で印象的なのは、映画「釣りバカ日誌」シリーズの佐々木課長役であろう。
佐々木課長は、上に弱くて下に強い、日本の典型的な中間管理職。いつも釣りに夢中になる主人公の伝助にイライラして、胃薬が手放せない。
そんな生真面目で口うるさい上役の役柄であるが、谷啓が演じると、どことなく温かみがあり愛すべき人物に感じられる。
谷啓は、この映画のシリーズ1作目のとき56歳であったが、彼の遺作となった釣りバカ日誌ファイナルのとき77歳だった。70代にしてサラリーマンを演じられたのは、いかにも谷啓らしい、重厚感とは無縁の軽妙なキャラクターに由るのだろう。
私は、谷啓のどこにでもいるような小父さんの風貌を愛し、時に妄想の中で、遊び仲間として、あるいはベッドパートナーとして、お付き合いした。
22/12/05 21:23更新 / 神亀