記憶に残るタレント
NHKで1961年から「若い季節」という連続テレビ番組があった。
銀座の化粧品会社を舞台にした、歌あり笑いありのミュージカルコメディーで、出演者には水谷八重子(二代目)、黒柳徹子、森光子、淡路恵子らの俳優陣、三木のり平、渥美清、ハナ肇とクレイジーキャッツらのコメディー陣、それに坂本九、スパーク三人娘(中尾ミエ、伊東ゆかり、園まり)ほかの人気歌手が参加して、NHKならではの豪華タレントが顔をそろえた。当然のことに人気番組となり、3年9か月にわたって放送された。
放映時間帯は日曜日の午後8時からの45分間であった。この番組が終わったあと同時間帯は、大河ドラマに充てられるようになった。
このころ、私は中学生から高校生の時期で、多情多感の年代であった。まだ子供ながら、この番組だけは毎週欠かさずに見ていた。というのも、舞台となった化粧品会社の番頭的存在の熟年管理職が妙に気になったのだ。
演じるのは松村達雄(当時47歳〜)。私はこの番組で初めて彼の名前を知った。そして地味な脇役だが、内助の功的存在の渋い演技と独特の声に惹かれた。
私はこの熟年俳優を見て妄想した、自分の下半身の世話を焼く爺として――。私のフケ専嗜好は、松村達雄によって引き起こされたとも言える。
ほかにこの時期、私のお気に入りの番組は、アメリカのテレビ映画の「ライフルマン」である。チャック・コナーズ演ずる主人公が、無法者と闘いながら一人息子と生きていく姿を描いた物語で、愛用のライフル銃をまるで拳銃のようにくるくる回して、連続射撃の腕を見せるシーンがファンを魅了した。
しかし、私がこの番組のファンだったのは、脇役の熟年保安官に惹かれたからだ。
ポール・フィックスという俳優で、温厚な顔と背は低めで、やや小太り気味の体型をしていた。西部劇スタイルの服装なので、シャツやズボンが身体の線を浮き立たせ、布地で覆われた下腹部――太ももの付け根や肉付きの良い尻――を見るのが楽しみだった。
ちなみに、この番組の制作・脚本に携わったのは、当時駆けだしだったサム・ペキンパー監督である。
話を松村達雄に戻そう。黒澤明監督作品で1970年に公開された「どですかでん」を見て、私はショックを受けた。
映画は山本周五郎の小説『季節のない街』を原作として、下町で貧しくも精一杯生きる人々の生活を描いたものである。題名の「どですかでん」は、六ちゃんという少年が頭の中の電車を運転するときに、口ずさむ文句からきている。
私がこの映画を見て衝撃を受けたのは、脇役で出演した松村達雄(当時56歳)の役柄である。この映画に出てくる登場人物は変わった人ばかりだが、松村達雄の役は、アル中の京太というエロ親父であった。陰湿で得体の知れない男で年中酔っぱらっている。そしてついには、家事手伝いに来ていた姪を犯して、妊娠させてしまう。そのショックで姪は、恋人の酒屋の店員を刺してしまう。
松村達雄は役柄になりきって演技していたが、そこには「若い季節」でみた温厚な熟年サラリーマンの面影は、微塵もなかった。特に、京太が姪を犯すシーンを見たときは、異様な興奮を覚えた。
次に松村達雄を見たのは、山田洋次監督作品の映画「男はつらいよ」である。
この作品は当初、フジテレビ制作・放送のテレビドラマであったが、1969年から映画シリーズとなり50作まで続いている。
渥美清演じるふうてんの寅こと車寅次郎は、国民的人気を博したと言っていいだろう。
松村達雄(当時57歳〜)は、このシリーズの第9作から13作までの、おいちゃん役で出ている。ちょいとスケベでダジャレ好き、典型的な江戸っ子気質で、寅次郎ともつかみ合いの喧嘩をやったりする。その軽妙洒脱ぶりは、まさにはまり役で、私はこの頃の松村達雄が一番好きだった。
山田洋次監督はよほど松村達雄が気に入っていたのか、このシリーズでは、おいちゃん役のほかに、数多くの役柄で松村を出演させている。
寅次郎の仲人、定時制高校の林先生、住職、大学教授、医者――などの役柄で、松村達雄はこの寅さんシリーズを支えていた。
黒澤明監督の遺作となった1993年封切りの映画「まあだだよ」で、松村達雄は初めて主役を演じた。黒澤監督が敬愛する随筆家、内田百閧フ役柄である。映画は教職を退いた内田百閧ニ教え子たちの交流をほのぼのとしたタッチで描いたもの。
タイトルの「まあだだよ」は、宴席での内田百閧フスピーチのとき、教え子たちの「まあだかい?(死んだかい?)」に対して、百閧ェ「まあだだよ」と答えることに由来する。
この映画製作の裏話では、黒沢監督(当時82歳)は演技指導で松村達雄(当時78歳)をかなり厳しく扱いたらしい。まるで同性愛のサドマゾ関係である。
この映画を見た内田百閧フ親族たちは、まさに百閧サっくりと驚いたそうだが、私好みとしては、そんなリアルにメイキャップしなくても、と思った。時代背景は、GHQの姿もあったので、終戦後間もない頃からで、百閧T5歳から80歳にかけてくらいだろう。
昔の人は老けて見えるのか、松村達雄の顔は、目元や頬が黒ずんだメイキャップで、私の好きな彼のイメージとはかけ離れていた。
私のお気に入りのシーンは、教え子たちが50人ほど集まった、先生の健康長寿を祝う会で、百閧ェ歌うところである。「おいっちにの薬屋さん」という歌で、途中から即興で、戦後社会を風刺した内容を面白おかしく歌っている。
これを松村達雄が、独特の声質で歌い続ける。これがいいのである。この唄声を聞いただけで、この映画を見た価値があると思った。
松村達雄は2005年、享年90歳で世を去った。出来得れば、生前の彼と直にお付き合いしたかったが、そんなの無理な話である。せめて私の記憶に残る彼の出演作品を振り返って、私の好きな松村達雄を偲ぶ話とした。
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銀座の化粧品会社を舞台にした、歌あり笑いありのミュージカルコメディーで、出演者には水谷八重子(二代目)、黒柳徹子、森光子、淡路恵子らの俳優陣、三木のり平、渥美清、ハナ肇とクレイジーキャッツらのコメディー陣、それに坂本九、スパーク三人娘(中尾ミエ、伊東ゆかり、園まり)ほかの人気歌手が参加して、NHKならではの豪華タレントが顔をそろえた。当然のことに人気番組となり、3年9か月にわたって放送された。
放映時間帯は日曜日の午後8時からの45分間であった。この番組が終わったあと同時間帯は、大河ドラマに充てられるようになった。
このころ、私は中学生から高校生の時期で、多情多感の年代であった。まだ子供ながら、この番組だけは毎週欠かさずに見ていた。というのも、舞台となった化粧品会社の番頭的存在の熟年管理職が妙に気になったのだ。
演じるのは松村達雄(当時47歳〜)。私はこの番組で初めて彼の名前を知った。そして地味な脇役だが、内助の功的存在の渋い演技と独特の声に惹かれた。
私はこの熟年俳優を見て妄想した、自分の下半身の世話を焼く爺として――。私のフケ専嗜好は、松村達雄によって引き起こされたとも言える。
ほかにこの時期、私のお気に入りの番組は、アメリカのテレビ映画の「ライフルマン」である。チャック・コナーズ演ずる主人公が、無法者と闘いながら一人息子と生きていく姿を描いた物語で、愛用のライフル銃をまるで拳銃のようにくるくる回して、連続射撃の腕を見せるシーンがファンを魅了した。
しかし、私がこの番組のファンだったのは、脇役の熟年保安官に惹かれたからだ。
ポール・フィックスという俳優で、温厚な顔と背は低めで、やや小太り気味の体型をしていた。西部劇スタイルの服装なので、シャツやズボンが身体の線を浮き立たせ、布地で覆われた下腹部――太ももの付け根や肉付きの良い尻――を見るのが楽しみだった。
ちなみに、この番組の制作・脚本に携わったのは、当時駆けだしだったサム・ペキンパー監督である。
話を松村達雄に戻そう。黒澤明監督作品で1970年に公開された「どですかでん」を見て、私はショックを受けた。
映画は山本周五郎の小説『季節のない街』を原作として、下町で貧しくも精一杯生きる人々の生活を描いたものである。題名の「どですかでん」は、六ちゃんという少年が頭の中の電車を運転するときに、口ずさむ文句からきている。
私がこの映画を見て衝撃を受けたのは、脇役で出演した松村達雄(当時56歳)の役柄である。この映画に出てくる登場人物は変わった人ばかりだが、松村達雄の役は、アル中の京太というエロ親父であった。陰湿で得体の知れない男で年中酔っぱらっている。そしてついには、家事手伝いに来ていた姪を犯して、妊娠させてしまう。そのショックで姪は、恋人の酒屋の店員を刺してしまう。
松村達雄は役柄になりきって演技していたが、そこには「若い季節」でみた温厚な熟年サラリーマンの面影は、微塵もなかった。特に、京太が姪を犯すシーンを見たときは、異様な興奮を覚えた。
次に松村達雄を見たのは、山田洋次監督作品の映画「男はつらいよ」である。
この作品は当初、フジテレビ制作・放送のテレビドラマであったが、1969年から映画シリーズとなり50作まで続いている。
渥美清演じるふうてんの寅こと車寅次郎は、国民的人気を博したと言っていいだろう。
松村達雄(当時57歳〜)は、このシリーズの第9作から13作までの、おいちゃん役で出ている。ちょいとスケベでダジャレ好き、典型的な江戸っ子気質で、寅次郎ともつかみ合いの喧嘩をやったりする。その軽妙洒脱ぶりは、まさにはまり役で、私はこの頃の松村達雄が一番好きだった。
山田洋次監督はよほど松村達雄が気に入っていたのか、このシリーズでは、おいちゃん役のほかに、数多くの役柄で松村を出演させている。
寅次郎の仲人、定時制高校の林先生、住職、大学教授、医者――などの役柄で、松村達雄はこの寅さんシリーズを支えていた。
黒澤明監督の遺作となった1993年封切りの映画「まあだだよ」で、松村達雄は初めて主役を演じた。黒澤監督が敬愛する随筆家、内田百閧フ役柄である。映画は教職を退いた内田百閧ニ教え子たちの交流をほのぼのとしたタッチで描いたもの。
タイトルの「まあだだよ」は、宴席での内田百閧フスピーチのとき、教え子たちの「まあだかい?(死んだかい?)」に対して、百閧ェ「まあだだよ」と答えることに由来する。
この映画製作の裏話では、黒沢監督(当時82歳)は演技指導で松村達雄(当時78歳)をかなり厳しく扱いたらしい。まるで同性愛のサドマゾ関係である。
この映画を見た内田百閧フ親族たちは、まさに百閧サっくりと驚いたそうだが、私好みとしては、そんなリアルにメイキャップしなくても、と思った。時代背景は、GHQの姿もあったので、終戦後間もない頃からで、百閧T5歳から80歳にかけてくらいだろう。
昔の人は老けて見えるのか、松村達雄の顔は、目元や頬が黒ずんだメイキャップで、私の好きな彼のイメージとはかけ離れていた。
私のお気に入りのシーンは、教え子たちが50人ほど集まった、先生の健康長寿を祝う会で、百閧ェ歌うところである。「おいっちにの薬屋さん」という歌で、途中から即興で、戦後社会を風刺した内容を面白おかしく歌っている。
これを松村達雄が、独特の声質で歌い続ける。これがいいのである。この唄声を聞いただけで、この映画を見た価値があると思った。
松村達雄は2005年、享年90歳で世を去った。出来得れば、生前の彼と直にお付き合いしたかったが、そんなの無理な話である。せめて私の記憶に残る彼の出演作品を振り返って、私の好きな松村達雄を偲ぶ話とした。
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22/12/03 22:15更新 / 神亀