目 次
風の新之輔第一部 - 第一部豊の国(八)
(八)

翌朝、小壺芳美は新之輔の身体に巻いた晒しを外して、傷の様子を見た。
幸い、炎症を起こしている箇所はなかった。塗り薬を施して、新しい晒しを巻いた。
ひと晩眠ったので、新之輔の顔は生色を取りもどしていた。
芳美は、滋養強壮と解熱、解毒の薬を昌造に渡し、それぞれの用法を説明した。それから惣吉とともに城に出かけた。惣吉は主人のお供で大手門まで行って戻るが、芳美は明日の朝まで城に居なければならない。
いっぽう昌造は、新之輔が起き上がれる状態ではないので、その日、一日家にいて、主人の世話をした。

芳美は城に上がると、昨日城中で起こった事件の情報を得ようとした。
引継ぎの席で、前日当番の医師は事件について一言も触れなかった。おそらく箝口令が敷かれているのであろう。
そこでお城坊主に目を付けた。彼らは城内の使い走りをしているだけに、色々の情報を持っていた。
芳美は、医師控室の前を通りかかったお城坊主を呼び止めた。
「稚加丸どの、昨日は何があったのですか?」
「刃傷沙汰です」
ひとこと言って稚加丸は、ずるそうな目つきをした。「これ以上は、口止めされていますので――」
「教えてくださいよ」
芳美はお城坊主を隣の空き部屋に誘った。黙ってついて来るところをみると、条件次第では話すということだろう。
芳美は、懐から一分銀を取りだして、それを見せ金に質問した。
「刃傷沙汰となると、医師として興味があります。いったい何があったのですか」
稚加丸は、芳美の手にある一分銀を見て、すらすらと話しだした。
――風間新之輔が、首藤宗顕さまを切り殺した。それを取り押さえようとしたところ、風間が抵抗して、家臣たちが多数傷を負った。死者も六人出た。風間も傷を負ったが、最後は裏の崖から海に落ちた。おそらく命は助かっていないだろう――。
「なぜ風間新之輔は宗顕さまを切ったのですか?」
「それはおそらく――」
稚加丸は言いかけて、思い直したように「やめておきます。憶測を言っても仕方ありません」と言って口をつぐんだ。
それ以上話す気はないようだ。芳美は一分銀をお城坊主に渡すと、部屋に戻った。

翌日、城から戻った芳美は、いつも通り、昼から往診に出た。最後に呉服屋の主人の腰痛を診たとき、ふと思いついて布地を買った。新之輔の着物を作ろうとしたのだ。
「お世話になっている先生から、お代は取れません。どうぞ、お薬代の一部とお考えください」
呉服屋の主人は気前よく言った。芳美はありがたく受けることにした。
家に戻る途中、馴染みの仕立屋のいる長屋に寄った。ひとりで細々とやっている中年の女で、患者として診てやったこともある。
芳美が長衣の大きさを伝えると、女は言った。
「あら、先生の着物じゃないのですか。ずいぶん大きな方のようね」
「ああ、知人が嫁を貰うことになった。その祝いだ」
「それはおめでとうございます」
女はさして気にも留めなかった。

次の朝、芳美は早めの朝餉をとり、まず新之輔の傷の手当てをした。
だいたい医師の一日は忙しい。午前中は訪れる患者の診察、昼からは外に出ての往診、そして夕刻から薬の調合をする。
昼までは三人の患者がきた。中年の女は腹痛、五十代の隠居は腎虚、そして若い大工の男は腕の骨折だった。
それぞれの治療を済ませ、薬を与えて帰したあと、芳美は一息入れた。
この日、往診予定は無かったので、昼からは休みにした。
昌造が奥の部屋から出てきて、「町の様子を見てきます」と言った。特別な変装の才があるのか、今はよぼよぼのご隠居の格好をしている。彼は木の棒を杖代わりにして、外に出て行った。
芳美は茶を飲みながら、小者に言った。
「惣吉、新之輔さまの様子をみてくれ。起きられているのなら、粥を食べさせたい」

奥の部屋に行った惣吉は、なかなか戻ってこなかった。
不審に思って奥に行くと、惣吉は布団の横に正座して、新之輔の寝顔をじっと見ている。
「やはり似ておられる――」
惣吉がふとつぶやいた。
それを聞きとがめて、芳美は背後から聞いた。
「惣吉、似ているとは、誰にだね」
惣吉はハッとして振り返った。
「いえ――独り言でございます」
「独り言はわかっている。新之輔さまが誰に似ているのだね」
しばらく考えたすえ、惣吉はおもむろに言った。
「それにお答えするには、最初から話さねばなりません」
芳美がその場に腰を落とすと、惣吉は姿勢を正して話しだした。

「もうずいぶん昔になります。手前は、このお方のお父上の風間佳右衛門さまに、お仕えしたことがございます。ちょうどお屋敷では、旦那さまが奥方さまを迎えられて、華やいだ雰囲気がある頃でした。
ところが、奥方さまは御輿入れされて半年ほどして、姫さまをお産みになられました。奥方さまは、お城の奥女中としてお仕えしていたとき、すでに身籠られていたのです」
惣吉は、その意味が芳美の頭に浸透するのを待つように、しばし口を閉ざした。それから続けた。
「その頃から、お城のお殿さまが、旦那さまのお屋敷にやって来られるようになりました」
芳美は口を挟んだ。
「お殿さまとは、今の羽室のご前のことか」
「さようでございます。お殿さまは海滑におられる間は、ひと月に一度はお屋敷にお越しになり、その夜はお泊りになることもございました。それから五年ほどして、今度は男のお子さまがお生まれになりました」
惣吉は、床に伏せる新之輔のほうを見た。
「そのお子が、ここにおられる新之輔さまです」
「ではお前が先ほど言っていた、似ているとは――」
「手前は、旦那さまがご家族と共に江戸に移られたとき、お暇を頂きました。ですから、その後のことは存じません。
でも、このたび新之輔さまのお顔を拝見して、確信いたしました。新之輔さまは、お殿さまのお子だと」
「――!」
もしやという思いはあったが、惣吉の口からはっきり聞くと、芳美は愕然とした。
惣吉はつづけた。
「今考えますと、腑に落ちることがございました。
手前がお屋敷で庭の植木をいじっているときのことでした。池の畔で、お殿さまと旦那さまがふたりきりで、お話をされていました。そのとき、この先、男子が生まれなければ、余の落胤として表に出さねばならん、とおっしゃるお殿さまの声を聞きました。
あれはきっと、お世継ぎのことを話されていたのだと思います」

新之輔は目を閉じていたが、眠ってはいなかった。
期せずして聞いた、自分の出生の秘密。しかし、それを知ったところで、さほどの感慨を覚えなかった。子どものころからなんとなく感じていた。小柄な父と自分は似ていない、と。それに首藤宗定を父親代わりに慕った期間が長かっただけに、自分が宗定の庶子であるという話も、自然に受け止められた。
そしてふと疑問に思った。今のお上は、新之輔が腹違いの兄だと知っているのだろうか。知っているからこそ、今回の策略を謀ったのだろうか。

同じ頃――。
昌造は、漁師たちの集落に来ていた。そこに住む里の者と次の手配をするためだった。
「――舟の漕ぎ手は誰だ」
「権太に頼もうと思う。あやつ、下関には何度も行っている」
「じゃあ、三十日の夜四つ(午後十時)に来る。万一、緊急の事態が生じたら、例の合図を上げる。そのときは取り急ぎ、浜のほうに舟を寄越してくれ」
昌造は懐から丁銀の包みを取りだし、男に渡した。
「五枚ある。向こうに着いたら残り五枚だ」

昌造は首藤宗定のもとで働く前から、独自の組織に属していた。里の者と呼ばれる特殊集団で、羽室山周辺の山村に住んでいた。
主を持たず、自分たちが住まう里山に危機が迫ったときだけ、秘密裏に活動する。田畑を耕す者、山に入って木を切り出す者、狩猟をする者、と職はさまざまだ。しかし、いざというときのために、それぞれの特技を活かした殺人技を身につけていた。
また彼らは、情報網を張り巡らし、海滑の城下町や漁師村にも、根と称する密偵を住みつかせている。
その組織に目を付けたのが、当時の藩主、首藤宗定であった。
宗定は、黒鉄衆を影目付として、秘密任務に使っていた。黒鉄衆は甲賀の流れをくむ忍者集団だった。しかしその一方で、地元に根付く里の者の価値も知っていた。
黒鉄衆は報酬だけで動く。より高い報酬を払うところがあれば、容易に今の雇い主を裏切るだろう。
それに比べ、里の者は、もともと地元を守るために出来た秘密部隊であるから、地元を裏切ることは無い。
昌造は里の者だが、宗定に命を救われた縁で配下となった。その後、孤児となった風間新之輔の養育係となったのだ。

――**――

七日あまりは平穏に時が過ぎた。
新之輔の金創は傷口が塞がって、体力も普通に歩けるほどに回復した。芳美が仕立屋から持ち帰った着物も、新之輔の丈に合って、すっきりと着こなしている。
昌造は自分の立てた計画を、新之輔と芳美に話した。
「舟で長門の下関港まで行く手配をしております。そこで西廻り海運の船に乗り込んで、大坂まで行こうと思います」
昌造は、傷を負った新之輔の体力を考えて、舟を使うことにしたのだ。
西廻り海運とは、北の酒田を出発して、西廻りに、新潟や直江津など途中の港で米やその他の荷を積みながら、下関を通って大阪までいく沿岸航路である。
「下関でどうやって船に乗り込むのですか」
芳美が訊いた。
昌造はあっさりと言った。
「分かりません。まあ、向こうに行って考えましょう」
「じゃあ、わたしも連れて行ってください」
唐突に芳美が言って、新之輔と昌造は顔を見合わせた。
「お上から逃れる旅です。一緒に来たら、芳美どのも犯罪人として手配されますよ」
と言う新之輔に、芳美は笑って答えた。
「新之輔さまたちを匿っているわけですから、すでにわたしは犯罪人です。それに、若い頃いた大坂や京に、もう一度行きたいと思っていました」
「でも、惣吉さんはどうします」
芳美がなにか言う前に、板の間から惣吉が顔を見せた。
「すみません、声が聞こえたものですから」
惣吉は一言断って、話した。「手前はもう年ですから、お暇を頂きます。日向に息子家族がいます。そちらに参ろうと思います」

四人は出立する日に備えて、手荷物を整えた。
昌造はどこから入手したのか、新之輔のために一本の刀を持ってきた。いっぽう芳美はあらかじめ、惣吉に給金を渡しておいた。

予定日の二日前の夕刻、ひとりの男が慌ただしく駆け込んできた。
町に住む里の者だった。隠れ家が藩の者に知れて、まもなく追っ手が来る、と言うのだ。
四人は手筈通り、すぐ行動に移った。
まず惣吉を家から出した。昌造は裏庭に出て、合図の花火を二本打ち上げた。薄闇のなか、赤い火矢が上空目がけて、一筋、二筋と垂直に上がっていく。
それから三人は、裏庭から葦の茂る草地に入った。砂浜に辿り着くと、葦の葉陰で舟を待った。
(合図に気付いただろうか)
予定より二日早いだけに、昌三は若干、不安になってきた。

舟の到着を待っていると、ずいぶん長い時間に感じられた。
ふと芳美の家のあたりから、声が聞こえてきた。そっと覗き見ると、裏庭のあたりに捕り手たちの姿があった。そのうち数人は、こちらのほうに向かっている。
(戦うしかないか)新之輔は鯉口を切って、身構えた。
そのとき、昌造が小声で言った。
「舟が来ました。いいですか、走りますよ」
三人は一斉に走り出した。
小舟が浜を目がけてまっすぐやってきた。一人の男が、櫂を漕いでいる。
「見つけたぞーっ」「こっちだーっ」
背後で、叫び声が上がった。追っ手が気付いたようだ。
三人は水の中に入った。そこへ舟が近づいた。
背の高い新之輔が、芳美の身体を抱き上げて、船に乗せた。その間、昌造が舟の向きを変えようとした。
それを手伝って新之輔は船の向きを変えると、昌造を抱えて船に入れた。それから自分も舟に乗り込んだ。
すかさず男が櫂を使って、海へと漕ぎ出した。
濃さを増す宵闇の中、浜に出てきた追っ手の姿が小さくなっていく。
[16/12/29 06:12 神亀]
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