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(2)川筋もん |
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愛川孝志は九州北部地方で生まれ育った。故郷の北九州市は、『無法松の一生』の舞台となったように、『川筋もん』と呼ばれる気質の人間が多い。義理人情に厚く仲間を大切にする。竹を割ったような性格で、さっぱりして裏表が無い。弱い者を助け、強い者には屈伏しない。気が荒く喧嘩っ早い――などと言われる。
5人兄弟の末っ子だった孝志も、まさにそんな性格をしていたが、「気が荒く喧嘩っ早い」だけは、正反対のようだ。むしろ温厚かつのんびり屋で、人と争うことが嫌いだった。 その上、彼には不思議な才能があった。生まれながらにして、人の感情が読み取れるのだ。相手に触れたとき、その人の感情が意識の中に流れ込んでくる――自分に好意を持っているのか、嫌っているのか。 大学4年のとき、福岡市内で開かれた就職会場で、東京に本社のあるゼネコンの面接を受けた。地方大学生の朴訥な話しぶりでは、洗練された東京の面接官から高評価を得るのは難しい。そのことは彼自身も、面接を受けている最中に、肌で感じていた。 意気消沈して自宅に戻った孝志のもとに、なんとそのゼネコンから、合格通知が届いた。実は面接のとき、たまたま福岡出張で同席した重役が、愛川孝志を将来有望な若者として強く推したのだ。 こうして孝志は、大学卒業と共に、22年間生まれ育った北九州を離れ、大都会東京での生活をスタートさせたのである。 一か月間の研修期間を経て、配属された先は建設本部だった。本部長の水原良尚は、なんと採用面接のとき居合わせた重役だった。しかし孝志は、この重役のお陰で入社できたことを知る由もない。 一級建築士の資格を得た孝志は、いろんな建設現場を担当した。その間、社員の間で盛んだったゴルフを覚えた。孝志は、学業よりスポーツのほうが得意だったので、すっかりゴルフにハマった。 水原本部長もゴルフが趣味だっただけに、よく建設本部で親睦ゴルフコンペが行われていた。このとき孝志は、本部長に同伴することが多かった。浦和にある独身寮が水原本部長の自宅に近く、孝志は社用車に同乗して、本部長を送り迎えする役目を仰せつかっていた。 父親と同年代の水原本部長は、公私にわたり孝志に目をかけてくれた。たまの休日には重役の自宅に呼ばれたりもした。重役は中肉中背、親分肌の人柄で、会社でも一目置かれている存在だった。 孝志は大柄な体格をしているが、特別な才覚があるわけでもない。そんな彼を、本部長が目をかけてくれること自体、不思議だった。 水原は夫人を早くに亡くして、家では一人娘の千恵子が、中年の女性を使って、家事を差配していた。孝志より2つ年上、よく気がつく勝ち気な女性だった。 その娘がどういうわけか、孝志を見初めた。女っ気が無く、口数の少ない孝志をなぜ好きになったのか、これも彼女の父親同様、不思議なことだった。 必然の成り行きだったのか、あるいは水原の巧妙な誘導だったのか、二人はほどなく結婚した。 孝志にとって千恵子は、二つ年上の姉さん女房であると共に、会社重役の令嬢でもあった。しかも、夫人を亡くした水原のために、新婚生活は親と同居して送ることになった。 並の神経の持ち主なら、窮屈な思いがするだろうが、孝志はさほど気にしていなかった。屋敷は広くて、義父と顔を合わせるのは、せいぜい朝食時くらいだったからだ。それに重役を送り迎えする社用車も、孝志は同乗することを遠慮して、通勤電車を利用していた。 それから10年の間に、夫婦は4人の子供に恵まれた。いずれも女の子ばかりだった。子煩悩の彼は、子供たちが可愛くて仕方がない。社用のゴルフが無い休日には、終日、娘たちの遊び相手になった。上の娘は、そんな父と結婚したいなどと出来ないことで駄々をこねた。 しかし女房は、4人目の子供を産んだあと、夜の要求を拒むようになった。孝志の特異能力をもってしても、その原因は読めなかった。ただ、孝志に対する愛情が感じられなくなったこと、それかと言って孝志を嫌っているわけでもない。 要するに千恵子にとって、孝志は子孫を残すための種馬くらいにしか考えていなかったようだ。 夫婦の絆が薄れたのとは対照的に、義父である水原との絆が深くなった。 水原のお伴で一泊のゴルフ旅行に行ったときのことだ。夜、ホテルの自室で風呂上がりの涼をとっていると、義父の部屋に呼び出された。 義父の部屋に行き、ふとした拍子で二人の手が触れあったとき、孝志は全てを悟った――義父が自分に何を求めているのかを。 そのとき自分の中で何が起きたのか、後で考えても理解できなかった。ただ誘われるまま裸になり、口淫され、獣の姿形をとる義父を背後から貫いた。 めくるめく快感だった。あっというまに昇り詰め、熱い精液を相手の体内に噴出した。 このとき孝志は35歳。そして義父はちょうど60歳。義父は同じ会社の副社長に就任していた。 その夜を境に、二人は人目を忍んで肉体の交わりをつづけた。 会社の重役を辱めるという、恐れ多い行為――女房の父親を犯すという、異常な行為――年配の男性と肛門性交する変態的行為――水原良尚と同衾するときは、いつもそんな後ろめたさがあった。しかしそれ以上に、抑えられた性欲を解き放つという、快楽のほうが勝った。 もともと孝志は頑健な肉体をしており、精力のほうも並外れて強かった。女房との夜の生活を閉ざされて、気も狂わんばかりの欲求不満に悶々としていた。だからある意味、義父は孝志にとって救世主のような存在だった。 親密なひとときを過ごしているとき、義父は怒張した孝志の分身を掴み、まじまじと見ながら言う。 「全長が上反りなのもそそられるが、亀頭の先端から縁までのカーブが、何とも言えない魅力なんだ。力強くて、芸術品のような優美さもある。それにカリ首が発達しているので、竿との段差が大きい。この段差が、わたしを狂わせるんだ。きみは天性の色事師だよ」 時の経過と共に、肉の交わりによる快楽だけだった二人の関係は、精神的な愛情へと発展していった。またこの頃には、義父も正直に、胸の内を吐露するようになっていた。 「――最初の出会い、福岡の面接会場できみを見たとき、いい年をしてときめきを覚えたんだ。そんな気持ちになったのは、初めてだった。そして今、密かに温めていた想い――きみと男同士の衆道ができて、こんな幸せなことはない――」 水原は70歳まで会社役員を務めたあと、完全リタイアした。 そのころ孝志は、総務部長として職場を異動していた。本社管理部門は初めてだったので、なにかと覚えることが多かった。 課長の飯田俊之は、背が低くて見た目、可愛らしい独身男だった。この男、見た目に反して、小憎らしいことを平気で言う。それは新参者の孝志に対しても同様だった。 「部長、ご存じとは思いますが、コンプライアンスは健全な企業の命ともいえるものです。ですからこの際、ガツンと厳しく言っておくべきです。あ、もちろん資材部には、部長からすでに厳重注意されていると思いますが」 万事がこの調子で、チクチクと刺すように言う。これでは新しい職場でがんばろうとする孝志の、精神衛生上はなはだ宜しくない。 しかし孝志とて、純情だった青年期を過ぎて、今や45歳の壮年男だ。そのうえ公私にわたって、海千山千の水原良尚に鍛えられてきた。 そこでのんびりと言った。 「もちろん資材部には厳しく注意するつもりだよ。ところでコンプライアンスに関しては、きみが専門家だ。どうだろう、資材部の問題点を、きみのほうでまとめてくれないか」 言って、励ますように飯田の肩に手を置いた。そこで「えっ!」と思った。 意外なことに、自分に対する愛情を感じたのだ。それも性的な興奮を。(こいつ、おれに欲情してるのか?) 飯田俊之という社員が少し分かったような気がした。31歳にして独身、博多の童人形のような可愛らしい風貌――。女を愛すより、男に愛される、色子タイプの男だ。それとなく注意していると、ときおり孝志の股間に注がれる飯田の視線を感じた。それに丸っこく小ぢんまりとした体型の割には、尻が大きく横に開いている気がする。すでに男を知っているのだろうか。 温厚な孝志にしては、不似合いな考えが浮かんだ。(ここは趣味と実益を兼ねて、飯田を性的に取り込めば、総務部の仕事も円滑にいくかもしれん) ほどなく機会を得て、孝志は飯田を手籠め同然に犯した。孝志が初めて能動的にしかけた男色行為だった。飯田も最初は、拒む仕草をみせたていたが、そのうち孝志の逞しさに虚飾を拭い去っていた。 義父に比べると締まりの良すぎる秘門を、時間をかけて指で解し、そのあと己が分身を突き入れた。義父とも違う、新鮮な快感だった。そして、苦しがる相手を苛める、嗜虐的な悦びもおぼえていた。 孝志が52歳になった年、義父が死んだ。享年77歳だった。義父は遺言状を残して、資産の半分は千恵子に、残りは4人の孫娘たちに遺していた。 そして孝志には封書を残していた。 「きみには世話になった。おかげでわたしは、幸せな人生を過ごすことができた。ところで、死者の思いは残された者が決める、とだれかが言っていた。わたしを意地悪な者にするのも、善良な者にするのも、きみの今後の生き方次第だ。できうれば――愛してるよ、だから俺のことは気にせず新たな愛を育みなさい――と言える寛大な人間に、わたしをしておくれ。きみを愛した良尚より」 義父独特の言い回しだった。すでにほかの男、飯田と愛の行為を経験している孝志は、多少気まずい思いがした。 ![]() 義父が死んで1週間後、千恵子から話があると言われた。 「別れて欲しいの」 いきなり宣告されて驚く孝志に対し、千恵子は冷静に話しだした。 「あなたと父の関係は、前から知っていた。陰に隠れて何をやっていたかもね。でも父が死んだ今、わたしが我慢する理由は無くなったわ。だから、すぐにでも出て行って欲しいの」 孝志は反論の余地もなかった。 結局、二人は協議離婚した。水原良尚の残した資産は、千恵子や娘たちが暮らしていく上で潤沢にあった。 孝志は、今後、彼が得る収入はすべて彼自身で自由にできる、という条件で家を出て行った。 いわば、裸一貫で家を追い出されたようなものだった。 しかし彼には隠し資産があった。生前の義父が、孝志名義の銀行口座に2千万円の預金をしてくれていたのだ。 そして救われたのは、娘たちとの絆はそのままにしても良いということだった。 長女はすでに結婚して家を出ていた。次女は会社で働いていて、末の二人は大学生だった。 こうして孝志はふたたび、独身生活に戻ることになったのである。 |
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26/09/07 22:55 神亀
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