| 戻る / 目次 / 次へ |
(7)生体認証 |
|
気がつくと、ぼくはベッドの上にいた。いつしか眠っていたようだ。体がだるかった。お尻もひりひりする。
ベッドの横にリョウがいた。心配そうにぼくを見ている。 ぼくは訊いた。「あの男は?」 「部屋を出て行った」リョウはドアのほうを見た。「どこに行くのか、後をつけてみた。そうしたら中庭の部屋に入っていった」 (中庭の部屋?何があるのだろうか――) 男については考えることが多かった。水原陽造と呼んだとき、男は名字が違うと言ったが名前は否定しなかった。だから名字は母親の姓だが、水原啓太の嫡子の陽造とみて間違いないだろう。それに、すでにぼくの父さんは死んでいたわけだから、島に来てくれと書いた父名義の手紙は、陽造が出したのだろう。 ぼくを島に呼び寄せて、何が目的なのか? 印鑑を探している、と陽造は言っていた。では水原家の財産狙いなのか?いったい水原家の財産は、どれくらいあるのだろう。 あれこれ考えても仕方がない。それにぼくは、ある考えが浮かんでいた。それを陽造が戻って来る前に、確かめてみようと思った。 そこで東側の2階廊下の端、パソコンのあった部屋に行った。 パソコンの蓋を開け、電源が入っているのを確かめた。画面にPWとBIOの文字が浮かび上がった。ぼくが閃いたのは、BIOは生体認証のことではないかと思ったのだ。水原家の血を引くぼくなら、ひょっとして――。 ぼくはBIOの文字をクリックして、右の掌を画面にぴったりと合わせた。少しして、ピッと電子音がした。画面が明滅して、株式会社コスモの表示が出た。 ドキュメント欄を見ると、会社の諸資料が項目ごとに並べられ、欄外に(俊郎)と(MEMO)の表示があった、 ぼくは(俊郎)のドキュメントを開いた。 (俊郎へ) わたしが死んだあと、もしもお前がこの屋敷に来て、もしもこのパソコンを開くことができたなら――。 もしもの仮定が多いけど、お前のためにこのメッセージを残す。 まずお前に謝らなければならない。こんなに長い間、お前のもとから離れていたことを。おそらくお前は、わたしのことを恨んでいるだろうな。 あの事故のことは、いくら悔やんでも悔やみきれない。私のミスで母さんが帰らぬ人となり、お前も重度のショックから記憶を失った。 わたしは弱い人間だ。そして自分勝手だった。わたしは、警察から、マスコミから、いや世間全てから逃げ出したかった。それで親友のG・Gにお前を託して、わたしは綾乃の生まれ故郷に向かったのだ。 今さらわたしには、お前の父親だと名乗る資格はない。でもお前のために何かしてやりたかった。そこでお前のお爺さんと相談して、大きな財産を残した。それを受け取るかどうかは、お前の意思に任せる。もしその気があるのなら、綾乃の部屋に標(しるし)を残した。その標を持って、コスモ本社の社長、大野賢治氏を訪ねてごらん。 ※このパソコンを開くPWはToshi29だ。これを知らずに開くのは、お前しかできない方法を設定した。すでにこの文章を見ていると言うことは、お前はクリアしたのだな。 もうひとつの(MEMO)を開いてみた。父さんがこの島に来て以来の、覚え書きのようなものだった。 (MEMOの抜粋) ・気がついたら、綾乃が幼少期を過ごした島に来ていた。そんなわたしを、綾乃の父親、水原仙一氏はごく自然に迎えてくれた。娘を失った恨み言をひとことも言わずに。 ・綾乃が幼少期に使っていた部屋で寝泊まりした。精神的に落ち着いてくると、死んだ綾乃への思い、東京で暮らす俊郎への思いが募った。 ・義父の仕事を手伝いだして早くも1年になる。東京にあるコスモ本社と新規投資などの業務調整をやることが主な仕事だ。コスモはビル事業をやっているが、本質的には水原家の資産管理会社だ。 ・G・Gあてに仕送りするほかに、俊郎になにかしてやるすべがない。G・Gの便りによれば、息子は元気に暮らしているという。息子の夢を見て、夜中にふと目を覚ました。涙がとまらない。 ・1996年にこの屋敷で起きた不幸な事故を知った。水原壮一郎と次男の啓太そして執事の息子――3人はなぜ死んだのだろう。あまり知られたくない出来事なのか、義父も執事も話題を避けている。 ・義父は中庭にある機械室の秘密について話した。機械室の下に、古くからある洞穴がある。中世のころ、瀬戸内で活動していた村上水軍が、金や銀の財宝隠しに使っていた洞穴のひとつだと言う。それを先代の壮一郎が発見し、密かに企業興しの財源とした。まるで夢物語のようだが、コスモの莫大な資産を考えれば、あながち絵空事でもないだろう。 ・2022年2月、執事が急性肺炎で亡くなった。先代から仕えていた彼の死は義父にとって相当なショックだったようだ。 ・コスモ本社の大野社長から連絡があった。小山陽造と言う男が、会社を訪ねてきた。故人の水原啓太と血の繋がる息子だという。財産分与が目的のようだ。義父は、本人を島に寄こすよう、大野社長に指示していた。 ・小山陽造が島にやってきた。持参した書類や面談から、彼が水原啓太の子供であることが確認された。義父によれば、弟の面影があるという。 ・陽造は金銭的な財産分与を希望していたが、生憎右から左に動かせるような現金は手元に無い。結局、しばらく屋敷に同居することになった。義父は陽造をあまり信用していないようだ。それでも、陽造が屋敷の雑事をやってくれるので、わたしにとってはありがたい存在だった。 ・義父の提案で、俊郎を後継者にすることに決めた。もちろん本人はこのことを知らないし、また知ったとしても、本人の意思は分からない。わたしは生物工学の知識を応用して、標を屋敷内に隠した。それを探し出すのは、俊郎にしかできない方法だ。心配なのは、小山陽造には隠しているが、それがいつかは露見するのではないか、ということだ。 父さんのパソコン資料を読んだあと、自分の気持ちを整理してみた。あまり感慨は湧かなかった。それでも、少なくとも父さんのやってきたことや思いは分かった。ぼくの失った記憶は戻らないが、あともう少し――何となくモヤモヤした気分になっている。あとは隣の部屋で、隠された標(しるし)を探すことだ。すでにぼくには当てがあった。 リョウは何も言わず、黙ってぼくについてきた。 隣の部屋は、母さんが幼少期に使っていた部屋であるとともに、父さんがこの屋敷に来てから使っていた部屋だ。 ぼくは部屋に入ると、迷わず壁にある母さんの写真のところに行った。写真のガラス面に掌をあてがうとき、心臓がドキドキした。 ガラス面が曇って波打つように明滅した。ついでカチッと音がして、フォトフレームが開いた。中には小さなケースと分厚い冊子が収められていた。 ケースの中身は古めかしい印鑑だった。これが父さんの書いた資料にあった、標なんだろう。 冊子は2冊あった。開くとアルバム帳だった。生まれたての赤ん坊の写真――。ページをめくるにつれ、いろんな場面や人物が登場したが、すべて中心にいるのは男の子だった。それが2冊に渡って続いている。 もうぼくにはわかっていた。ぼくが生まれたときから5歳までのアルバム――。ぼくの写真が多くあることに、両親の愛情を感じた。 最後のページに、どこかの観光地の写真があった。若い男女の写真、二人の前には男の子。 父さん――母さん――。 突然襲った強い思いに、ぼくはへなへなとくず折れた。当時の記憶が蘇ってくる。涙があふれてきた。 ふと見上げると、リョウが感動したような面持ちでこちらを見ていた。ぼくは黙ってうなずいた。 リョウもうなずき返した。そして小さな声で言った。 「――記憶が戻ったんだね」 気持ちが落ち着くとぼくは言った。 「今度はリョウの番だ」――次に行く先は分かっていた。 |
|
26/08/10 12:38 神亀
|