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(8)未知数の男

1)

 ヤンキースに移籍して2年目、翔はこれまでの野球人生で、最も充実していると思えるプレーをしていた。静と動――身内でみなぎるパワーを抑制し、一瞬で解き放つ。そのタイミングが本能的に出来た。
 投球時の球の切れとコントロール、打撃時の選球眼とミート率の高さ。それらをコントロールする無我の境地といえる集中力。全てが絶好調だった。
 スタート月の4月は打撃のほうが好調で、打率は5割台で推移した。バレルゾーン(打球角度26〜30度、打球速度158キロ以上)で球を捉える確率が高くなり、ホームランや2、3塁打の長打が多い。フォアボールで出塁すれば、即座に盗塁する。
 異次元の活躍に、ヤンキースファンは大喜びだった。
 5月に入った頃、今度は投球に凄みが出てきた。同じ投球フォームで球種を投げ分ける技術は、すっかり身についていた。ストレート、カーブ、スライダー、シンカー、スプリット。相手バッターにとって、次にどの球が来るか予測が難しい。しかもどの球種も、コントロール良くコーナーを突いてくる。必然的に三振をとる確率は、飛躍的にあがっていた。

 野球解説者は、翔をレジェンドたちと比較することさえ、やめていた。同じ日本人、大谷翔平選手が西海岸ドジャースの顔となったように、有栖川翔は東海岸ヤンキースの顔となっていた。
 彼の一挙手一投足が観衆を沸かせた。翔の人気は、ホーム球場だけではなかった。アウェーの試合でも、翔が出場すれば、満席となることが多かった。敵地では彼が登場すると盛大なブーイングが起こるが、ホームランでも打とうものなら期せずして大歓声が沸き起こる。
 中でも翔がかつて所属していた、オリオールズやジャイアンツのホーム球場では、翔の昔のユニフォームを着て観戦する客も見られた。翔はファンサービスにつとめ、帽子にサインしたり、一緒の撮影に応じたりした。
 ニューヨークの街を歩くと、翔の電子看板が目立つようになった。CMの申し込みが殺到し、ボブのエージェント会社は整理するのに大わらわだった。彼らは決して手抜きせず、申し込み企業の経営状態や製品の質まで精査して、CMを受諾する企業を選別した。それは全て翔のイメージを守るためだった。

 今や有栖川翔は、野球界のスーパースターの地位まで駆けあがったが、彼は決して祖父、仙一の戒めを忘れたことが無かった。
 それは頂点に登った人間が陥りやすい罠――慢心や驕りがもたらすリスクだった。有名人のスキャンダルや事件事故は枚挙にいとまがないほどだ。だからじいじは言う、偉くなればなるほど稲穂の心を持て、と。
 一方、有名人になれば、もうひとつのリスクも増える。家族や家に対する犯罪リスクだ。
 ニューヨークにはいくつかの高級住宅地があるが、翔はアッパー・イースト・サイドに居を構えた。この地区はマンハッタンとクイーンズの間、イーストリバーに浮かぶ細長い島で、治安と教育環境に優れ、一方で、川沿いの景観が魅力的なエリアである。
 翔は、女・男・男の3人の子供に恵まれていたが、家族が安心安全な日常生活を送れるよう、万全の対策を行っていた。ガードマン付きコンドミニアムの部屋は300uほど、ゲストルームを備え、日本からの訪問客にも対応できた。
 信頼のおける日本人の初老女性を家政婦として迎え、多忙な彩香の手伝いをさせていた。

 リスクとは別の懸念事項もあった。翔と彩香のルーツは日本にある。その日本を離れて、12年近くになる。長女の安里は早くも7歳だ。彼女にはアメリカ人の友達もできて、毎日活発に過ごしているが、日本語よりも英語の方に慣れている。翔としては、子供たちに日本の文化を学んでほしかった。
 でもアメリカにいる限り、日本人の心は身につかない。やはり日本独特の気候風土や現地の日本人たちに触れてこそ、日本の国を誇りに思えるものだ。
 このことは、妻の彩香と事あるごとに話し合った。彩香も迷っていた。子供たちが成長して、国際社会で活躍するのなら現状でいいが、片やベースの部分では日本人の心を持って欲しい、というような意見だった。
 結局、できるだけ日本に旅行して、子供たちに日本の文化を体験させる、ということでお互い納得し合った。

 ヤンキース球団では、選手に対して野球技能だけでなく、社会的な立ち居振る舞いも求めていた。例を言えば、ヤンキースでは髭を伸ばすことを禁じていたが、数年前、整った髭に限り解禁するとされている。
 レジェンドと呼ばれるヤンキースのОB選手たちを見れば、野球だけでなく社会的にも多大な貢献をしている。
 翔もこれまで慈善事業や団体に、多額の寄付をしてきたが、彩香に言われて、文化的行事もやってみようと考えた。
 ニューヨークの画廊を借りて、これまで描き貯めた絵の個展を開いた。街風景や在籍したオリオールズ・ジャイアンツ・ヤンキースの球場風景、選手たちのプレー風景など。
 大半が水彩スケッチだが、中には時間をかけて描いた油絵もある。個展は、入場制限しなければならないほど大盛況だった。特にプレイヤーの迫力ある絵が人気だった。絵を売ってくれと熱望するファンもいた。
 そこで個展が終了して、完成度の高い絵をオークションにかけた。売上金は全額、ニューヨーク市に寄付した。

2)

 シーズンの中間点が過ぎても、翔の活躍は続いた。
 けっして闘志むき出しではなく、自然体でプレーする。それでいて投げても打っても走っても、超人的な活躍をする。球場を訪れた多くの観衆は、毎回、大満足で帰って行く。今日はいいものを見た、と。
 翔の活躍する姿は、まるで映画を見ているようだった。変わらぬ投球フォームから繰り出される球に、打者のバットが空を切る。たわんだバネの揺れ戻しで、急加速するスイングから弾き飛ばされる弾丸ライナー。草原を疾駆する豹のような走塁――。

 別次元の人間であるかのように、超人的なパワーと持久力を発揮するプレースタイルに、ある学者が詳しい調査に基づいた解説をした。
――有栖川翔のあらゆるプレーをスロー再生して、動きを分析した結果、他の選手に無い驚異的な事実に気づいた。
 投球動作で片足を前に踏み出したとき、普通なら下半身に引っ張られて、上体も同時に前にいくものだが、有栖川の場合、胸がまだ後ろに残っている。しなった胸部の戻りに腕が追随して振られる。胸部の柔軟性があるからこそ出来る投球動作である。
 その昔サイヤング賞を5回受賞したランディ・ジョンソンの投球を見て、『ゴム鉄砲』のようだと比喩されたが、まさに有栖川の投球スタイルがそれだ。
 バッティングも特徴的だ。通常は腰のねじりと腕の振りでスイングされる。有栖川の場合は、腰のねじりより胸と背筋のねじりの方が大きく、そのねじり戻しに引っ張られる形で、腕が振られる。だからスイング軸が安定して、ボールをよく見ることが出来るし、腰、胸、腕のわずかな時間的ずれにより、てこの原理でバットのヘッドスピードが上がるのだ。まるで日本の民芸玩具『でんでん太鼓』のようだ。
 ひとことで言えば、有栖川翔のプレースタイルは、肉体の驚異的な柔軟性のもたらす体幹プレーである――と結論付けている。

 2年目のシーズンが終了した。翔は投打にわたって、自己最高の成績をあげた。投げては24勝3敗、防御率1.70、奪三振323、打っては231安打、打率0.381、ホームラン65本、打点152。しかも判で押したように、盗塁も65に積み上げて、人類未踏といわれた、本塁打と盗塁65―65を達成していた。このとき翔は29歳、ベテランと呼ばれる年齢の端境期だった。

 しかし翔の念頭には、シーズン成績の数字は無かった。これから始まるポストシリーズ。いかにWS連覇をなしとげるか。
 スタンフォード大学のころは、今の自分をまったく予想していなかった。小田に会って理想的な肉体をつくり、水原には体幹野球を教えられた。その体幹野球でさえ、まだまだ改善の余地がある。彼は自分の中にまだ未知なるものがあり、限界は押し広げられる、そのことを強く信じていた。
 そしてなにより、野球を楽しむこと。楽しければ、どんな辛いトレーニングも苦にならない。いつも前向きの気持ちにもなれる。
 いま彩香のお腹には4人目の子供がいる。子供たちにとって、野球漬けの自分はどうあるべきか?それは野球と同じだかも知れない。子供たちと過ごす時間も最大限楽しまなくちゃあ。
 そういえば、元トレーナーの小田が日本に戻った。どうやら彼は60歳を過ぎて、残り人生の永住の地を日本に決めたようだ。それにしても住所を聞いたときは驚いた。なんとジイジの家の住所だったからだ。前に一度紹介しただけだったのに、いったい二人に何があったのだろう?
 もろもろの思いを胸に秘めて、翔はあらたなチャレンジに取り組み始めた。

 その頃、日本の有栖川仙一宅では。
 目覚めたときは6時だった。仙一はキングサイズのベッドの上で両腕を開き、気持ち良く伸びをした。上布団をめくっても、寒さを感じないほど空気が弛んでいる。起き上がって窓のカーテンを開けた。早咲きのサクラがピンクの花びらを蕾から覗かせている。ここはマンションの3階、眼下には都心とは思われぬ樹木が広がっている。
(春はあけぼの、ようよう開きゆく蕾が、おれの春情をさそう――か)
 仙一がうそぶいて振り返ると、ちょうど小田が寝室に戻ってきた。パジャマに包まれた小太りの小さな体、シャワーでも使っていたのか髪が湿っている。
「マコトちゃん、こちらにおいで」
 仙一は小田をベッドに誘った。(ちょいと乙なことでもやるか)
「センさん、朝っぱらからなに盛ってるの?」と言いながらも、誠はベッドに近寄る。それを強く抱きすくめて、仙一は丸っこい全身を愛撫しだした。
「この体がおれを狂わせる」と言いながら、誠の衣類を引き脱がしていく。
 淫らな指が尻穴にもぐり込んだとき、誠は「ひっ!」と体をすくめた。
「うん、どうした?もっと太いのが欲しいのか?どうれ、良く見せてごらん」
 股座を大きく開かれて、誠がいやいやをする。
 春の早朝、76歳と64歳の爺が、淫らな行為に没頭していく。

(あとがき) 

 最後までわたしの妄想につき合っていただいて、ありがとうございます。深くお礼申し上げます。また、最後は文を汚したことをお詫び申し上げます。文中、実在の名前もありますが、もっともらしく書くための方便です。他意はございませんので、ご勘弁ください。神亀

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26/02/24 08:08 神亀

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