戻る / 目次 / 次へ

(7)いまだ進化中

1)

 翔から電話があって、ヤンキースに行きます、と聞いたときは天まで上る気分だった。これでわたしは異なる二つの球団で、翔を迎えたことになる。
 わたし(ボブ・マッカロー59歳)は、ジャイアンツ時代同様、新チームでの翔の役割についてじっくりと話し合った。ヤンキースには外野手が多いので、翔にはDHとして出てもらいたかった。守備の負担が減る分、打撃に専念できるし、投手としての体力も温存できる。わたしは本音で話した。
「わたしは59歳だ。いつまで監督をやれるか分からない。でもきみはまだ若い。これからも進化するだろう。だから、きみが最大限のパフォーマンスを出せるよう、試行錯誤しながら最善を尽くしたい。きみと二人三脚でね」
 翔は快諾した。「監督が望むなら、いかようにも」
 彼は28歳、まだまだ進化できる。彼が投打の二刀流を極めるよう、わたしは最大限の努力をするつもりだった。

 12月に入って、翔はトレーニングを開始した。WSで痛めた左膝は気にならないほど治癒したようだ。新しいトレーニング方法だと聞いたので、見学させてもらった。
 翔はマットの上で床運動をしていた。仰向けにブリッジして胸を反らせ、ヨガ体操に似た恰好である。体の柔軟性が無いと到底できない姿勢だ。
 指導するのは水原というトレーナー。前トレーナーの小田の紹介でチェンジした男だ。年は50歳、本業は整体師だが、スポーツ・トレーニングで独自の手法を開発した。以前から翔のプレーに注目していて、鞭のようなしなりとバネのある動きが、自分の提唱する体幹スポーツに近いと考えていた。そこで翔の持っている能力を最大限開花させたい、という。
 水原はずけずけとものを言う男だが、実直な性格の持ち主のようだ。彼の言う体幹スポーツとは、腕や肩より、胸部や背筋のしなりを使って、投球やバッティングを行う手法だった。
 普通、活躍するスポーツ選手が、これまでと180度違うトレーニングに切り替えるのは、相当の勇気が要るだろう。しかし翔には、理論に納得すれば何事にもチャレンジしてみる勇気があった。

 年が明けてキャンプが始まった頃、翔の動きが目に見えて、以前と変わっているのに気がついた。全身の柔軟性が増し、胸部のしなりと肩甲骨の可動域が、大きく広がっている。
 翔はトレーニングの後に、プールで泳いでいたが、水原トレーナーの勧めで、4泳法に切り替えていた。つまりクロールと背泳ぎにプラスして、平泳ぎとバタフライである。翔に聞けば、高校時代まで水泳の個人メドレー競技もやっていたので、4泳法は難しいことではないらしい。
 投球や打撃の実戦練習では、水原の指導により、『自然体と呼吸法』を意識しているという。全身の力を抜いてゆったりと構える。息を吸い、息を吐く。そして次の動作に移る。一度始動すれば、全身を使うのでトップスピードが出やすい。
 確かに、バッティングのコンタクト率があがり、投球コントロールも良くなっているようだ。

 いよいよ開幕日、わたしはだれよりも早くヤンキー・スタジアムに到着した。白地に縦縞のユニフォームを着ていると、身の引き締まる思いがした。
 球場のグラウンドに出て大きく深呼吸した。収容人員5万人を超える観客席は、下から見上げると迫力があった。ふたたびヤンキースの一員になれたんだな、と改めて実感した。
 ヤンキー・スタジアムは特徴的な形状をしている。外野フェンスが左右非対称の形状で、右翼側が96メートルしかなく、逆に左中間は122メートル、センター124メートルとMLBの球場でも屈指の広さがある。
 それだけにライト方向のホームランが出やすい一方、レフト方向は、2塁打3塁打の長打が出やすい。

 試合が始まって有栖川翔の名前がアナウンスされると、球場内に怒涛のような歓声が沸き起こった。それだけ翔への期待が大きいと言うことだ。
 翔は2番DHで出場したが結果は惨憺たるものだった。4打数ノーヒット、内2三振だった。まだ体幹で打つ技術が、自分のものになっていないようだ。
 第3戦は先発ピッチャーで出たが、これもぱっとしない成績だった。5イニングまでに4点取られ、そこでリリーフに交代させた。
 4月は投打の不調が続いたが、翔は一度始めた体幹野球を、変えるつもりはないようだ。わたしも翔の意志のかたいのは知っていたので、黙って使い続けていた。しかしファンは、ヤジを飛ばす人間が増えていた。翔は気にも留めず、三振しても悪びれず堂々としていた。

 5月に入って最初の試合、それまでの鬱積を晴らすように、翔は打撃で爆発的なパフォーマンスを見せた。
 第一打席、いきなり左中間に三塁打を放った。2打席目には、うまくカーブを捉えて、右翼席にホームランを打った。軽く振り抜いただけなのに、いとも簡単にボールがスタンドに飛び込んだので驚いた。ようやく体幹を使った効果が出てきたようだ。
 翔のバッティングは、力みが消えていた。その日、5打数5安打、ホームラン2本を含むサイクルヒットを達成した。ちょうど7年前、彼が新人のとき、同じヤンキー・スタジアムの初戦で、いきなりサイクルヒットを達成したとき以来のパフォーマンスだった。
 第2戦では、昨日のことがフロックでないことを証明するように、3打席連続ホームランを打った。1本は広い左中間スタンドの最奥に届く、推定145メートルの特大弾だった。

 翔はヤンキースに来て、ある試みを続けていた。それは同じ投球フォームで球種を投げ分けることだった。彼はバッターのとき、相手投手がどんな球種で来るか、微妙な投球フォームの違いから予測していた。これを逆に応用して、自分が投手のときに、投球フォームを変えずに、球種を投げ分けようとしたのだ。
 最初のうちはコントロールにずれが生じて、ホームランを打たれ、フォアボールも許した。じょじょに体が慣れてきた。5月頃から、どの球種でもストライクが取れるようになった。体幹のしなりと腕のしなりがしっくりと連動する。水原コーチの体幹トレーニングが生きてきた。

2)

 翔の投球が蘇った。投球回数を重ねるにつれ、同じ投球フォームの再現性が高まってきた。それに従来は、5イニングを過ぎた頃から疲れが見えたが、体幹投法による持続力が出てきた。完投する回数も増えた。その驚異的な体力に、世間では、翔はロボットではないか、というジョークまで飛び交った。
 バッティングでも同様だった。体幹スイングによりバットのヘッドスピードが増して、ボールの飛距離も伸びてきた。フェンスで失速するかと思われたフライが、グンと伸びてスタンドに飛び込むこともたびたびあった。
 打撃が好調であれば、投手もまともに勝負してくれない。ゾーンのコーナーぎりぎりを突いてくる。翔がバッターボックスに立つと、スリー・ツーのフルカウントになるケースが多い。必然的にフォアボールが増え、塁に出れば足を使って盗塁を稼ぐ。相手チームからすれば、翔は手の付けられないバッターだろう。

 翔の活躍は続いた。1割台だった打率もいつしか3割台に入っていた。ピッチャーでも、確実に勝ち星を積んでいた。
 彼の絶好調に引っ張られたかたちで、チームもトップ街道を突き進んだ。7月半ばのオールスター戦前には、2位のチームに10ゲーム差をつけていた。

 9月に入ったとき、有栖川翔が、MVPとサイヤング賞のダブル受賞するのは間違いない、と報道されるようになった。それより人々の関心は、不可能と言われた60―60、つまり本塁打60本、盗塁60個を翔が達成できるかだった。彼は8月末ですでに50―50に到達していた。
 ファンにとって、一喜一憂するゲームが続いた。フォアボールが増えた分、盗塁のほうは順調に数を稼いでいた。しかし、ホームランは思うようにいかない。ピッチャーがまともに勝負してくれないからだ。
 シーズンが終了して、ホームランは2本足らず、58―67に終わった。それでも打率、打点、ホームラン数トップの打撃トリプルスリーに輝いた。投手成績も18勝7敗、防御率1.92の堂々たる成績だった。もっとも翔自身は、自分の成績より、チームがMLBトップの勝率だったことを喜んでいた。

 ポストシーズンでも、それまでの勢いのまま順当に勝ち進んで、リーグ優勝した。WSで大谷翔平や山本由伸投手のいるドジャースと対戦した。大谷はすでに38歳、全盛期の迫力は無かったが、逆に風格が増し、そこにいるだけでオーラを放っていた。
 ヤンキー・スタジアムで始まった第1戦は、シーソーゲームだったが、試合巧者のドジャースが底力を発揮して6対5で勝利した。
 第2戦は翔が先発して、あわやノーヒットノーランの達成かという投球をした。しかし9回の表にツーアウトまで来て、大谷にホームランを打たれた。それでも冷静に、次のバッターをピッチャーゴロに抑えて、3対1で勝利した。
 次は移動日を挟んで、ドジャースタジアムでの3連戦だった。翔はDHとして出場し、5試合目は先発投手を務めた。彼の活躍もあって、ヤンキースは敵地で2勝1敗し、通算3勝2敗でドジャースに王手をかけた。
 ニューヨークに戻っての第6試合は、第1戦と同じようにシーソーゲームだった。9回の表が終了して4対5、ドジャースが1点リードしていた。その裏、観客席はヤンキースの逆転勝利を信じて、大盛り上がりだった。
 相手投手は、敵地のブーイングを浴びながらも、粘りの投球をした。ヒットが2本続いたが、なかなか得点に繋がらない。そして往々にしてこうなる運命か、ツーアウト満塁で、翔に打順が回ってきた。
 昨年、ジャイアンツ時代のWS最終戦で、大逆転の満塁ホームランを打ったときの再現なるか、全員が固唾をのんで見守った。
 強心臓かつ冷静さで慣らした相手ピッチャーは、逃げなかった。
 まずカウント稼ぎに、高いボールから鋭く落ちるカーブを投げてきた。
 並のバッターなら見逃すところだが、翔のバットが一閃した。打球音を聞いただけで、相手ピッチャーは俯いた。
 ボールは高い弧を描いて、ライトスタンドに飛び込んだ。

 4勝2敗でヤンキースは勝利した。翔はWSのMVPに選ばれた。ヤンキースの前回優勝は、日本人の松井秀喜がシリーズMVPに輝いた2009年だから、実に23年ぶりの優勝だった。
 そして、わたしにとって、あきらめていたWS優勝である。翔と同じチームで良かった。わたしはつくづくそう思った。

戻る / 目次 / 次へ

26/02/23 08:25 神亀

top / 感想

まろやか投稿小説ぐれーと Ver2.35b