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(2)エースで首位打者

1)

「ハイ、マコト。元気でやってるかい」
 昼過ぎに、スティーブから電話があった。彼はスポーツ医学の教授で、同じスタンフォード大学のキャンパス内にいるが、職場が離れているのでそう簡単には会えない。
「元気だよ。それで何だい?」
「ひょっとして、今夜、暇かと思ってね」
 彼とは7日前に、親密な夜を過ごしたばかりだ。それで言った。
「スティーブ、この前会ったばかりじゃないか。わたしたちはそんなに若くないんだ」
「そうじゃない。チョッピーノのうまい店を見つけてね。料理を楽しみながら、きみと健全な夜を過ごしたいと思ったんだ」
 スティーブは健全な夜を強調した。チョッピーノというのは、シーフードを使った料理で、トマトスープを絡めた海鮮シチューだ。わたしの好物なのを知って、電話してきたようだ。
「だったら大歓迎だ。チャイナタウンかい?」
「いや、シスコまで行かない。シリコンバレー内にある店だ。じゃあ19時、車で迎えに行くよ」

 わたし(小田誠、54歳)は、スタンフォード大学の野球部専属のトレーナーをやっている。若い選手たちの体調管理がおもな仕事だ。スポーツ選手だけに、肘や肩、足などの故障者が多く、彼らのリハビリも指導している。
 スティーブとは、オラクル・パークの野球観戦で、ぐうぜん隣り合わせの席に座って以来の付き合いだ。最初の頃は、医学博士という肩書にしり込みしたが、彼のフランクな性格もあって、今はすっかり打ち解けた間柄になっている。

 スティーブに連れて行かれた店は、大学から1キロほど離れたところにある、こぢんまりした店だった。店に入ると、頭の禿げた中年の店主が、満面の笑みで迎えてくれた。そして窓際の席に案内した。その所作の端々に、スティーブに対する好意が見て取れる。
 ひょっとして同好の士?一瞬、そう思った。確かにスティーブは、ぽってりしたわたしにくらべて、スマートな体型をしている。わたしより背が高いが、アメリカ人にしては小柄なほうだ。彼がモテ筋なのは認めるが、この店主が好意を寄せているとなると、話は違う。なにしろスティーブは、わたしの10年来のパートナーだからだ。

「きみのところに、エースで首位打者という日本人選手がいるね」
 食事のあいまに、ふとスティーブが言った。
 わたしはドキリとした。その若者とは艶めいた関係を持ったばかりだったからだ。それでも何食わぬ顔をして言った。
「有栖川翔のことだね」
「アリス?不思議の国のアリスかい?」
「違う。アリスガワだ。日本では旧家の出だよ」
「そう。混血のようだけど、日本人の留学生?」
「ああ、専門は建築学を学んでいる。それに特待生扱いで奨学金は全額無償っていうから、優秀な学生なんだろうね」
 有栖川翔が野球部に入部したときから注目していた。入部時の身体計測で、身長187センチ・体重90キロとあった。日本人では背が高いほうだが、野球部ではさほど目立った体格でもない。それより、スイス人の血が入っているというハンサムな顔立ちに惹かれた。わたしは若好みではないが、この青年にはゾクリとする興奮を覚えた。
 あのとき監督は、わたしと新人をわざわざ自室に入れて紹介した。
「翔は投打の二刀流をやっている。それだけに疲労も大きいと思う。体調のケアはしっかりやって欲しい。それにきみたちは同じ日本人だ。仲良くな」
 監督がわざわざ言うからには、特別な選手だろう。当時はそう思った。

「CMに出てるのも彼だろう?すごいハンサムボーイだ」
 スティーブの声が聞こえた。妙に若者のことを気にしているようだ。
「ああ、紳士服のCMね。若者に人気があるようだ」
 いまTVや街のスクリーンに流れているCMについては、作成前から翔に聞いていた。彼が野球部に来て1年半近くなり、わたしたちはすっかり馴染んでいた。試合後の治療で、翔の身体をマッサージしてやってるときだった。
 若者は言った。今度、紳士服ブランドのCMに出ることになった。その準備のために、モダンダンスを習っている、と。
 わたしは多少面食らって、なぜモダンダンスを習う必要があるのか、と聞くと若者は笑いながら、CM撮りといっても動画の撮影で、徹底した演技指導があるからだと言った。
 確かにいまTVで流れている映像を見ると、モダンダンスを習った成果は出ていた。すっきりとしたスーツ姿の若者の動作の端々に、清々しさと、何とも言えない男の色気が滲み出ていた。

「マコト、今夜は物思いにふけることが多いようだが、何かあったのかい?」
 スティーブに訊かれて、わたしは我に返った。
「いや、ちょっと疲れてるだけだ」
「それはいかんな。お大事に。――ところでそのアリスガワという学生、いつかわたしのリハビリテーション・センターに連れてきてくれないか。いろいろ計測してみたいんだ」
 そのあとスティーブは、くどくどと補足説明しだした。
(今夜食事に誘ったのは、このためだったんだな)と思ったが、わたしは黙って聞いていた。どうやら彼は、野球部の試合に出ている翔を見て、すばらしい筋肉の動きに魅了されたようだ。それで筋肉や神経の働きを、調べてみる気になったのだろう。最後に彼は言った。
「計測値が出れば、より能力を高めるトレーニング方法をアドバイスできるかも知れない」
 若者がパワーアップできるのなら、願ってもないことだった。わたしは、自分のことでないので約束できないが、できるだけ希望に添えるように努力する、とだけ伝えた。

2)

 有栖川翔は新人のときから、桁外れの能力を発揮した。投げては並み居る打者を三振か、打ちそこないの凡打にしとめ、打っては柵越えを連発する。しかも足が速く、いとも簡単に盗塁する。ライト守備の反応も良い。
 一人何役もこなしながら、そのひとつひとつで抜群のパフォーマンスを発揮する。練習量も他の選手の倍近くこなしている。しかも夜は、体幹を整えるため、スイミングプールに通うのを日課としている。
 それだけに、トレーナーとしてのわたしの役割も増えていた。他の選手より、翔に費やす時間が圧倒的に多いのだ。監督はそれを容認していて、ついにはトレーナーをもう一人増やす決断をした。

 練習後のマッサージで、初めて翔の身体に触ったときは衝撃だった。見た目は贅肉ひとつ無い、筋肉質の締まった体つきだが、筋肉が意外にやわらかいのだ。この柔軟性が、すばらしいパフォーマンスを生みだすのだろうと思った。
 しかし若いだけに、性の欲求は人一倍強いようだ。疲れ切った体にマッサージを施しているとき、股間がムクムクと膨らむことがあった。本人は困った顔をしているが、わたしは素知らぬ顔をしていた。
 あるときシカゴの遠征試合で、大会優勝した。その日の夕方、選手やスタッフが参加して、ホテルで祝勝会をやった。そのときだれかが翔を指名した。
翔は少しアルコールを入れていたが、思わぬ才能を見せた。なんとヨーデルの掛け声を上げたかと思うと、マイケルジャクソンの真似事をし出したのだ。切れのあるダンスに、やんやの喝采が起こった。
 その夜、翔はわたしの部屋に来て、マッサージを受けていた。そのとき若者が股間を膨らませているのに気づいて、わたしは思わず言った。
「今日はガールフレンドがいないから、欲求不満のようだね」
 翔はチラッとわたしを見て、「ガールフレンドなんかいないです」と言った。
「でも大学では、きみが女性連れの姿を何度も見たよ」
「ああ、あれ――確かにぼくは、複数の女性たちとアバンチュールを楽しんでたけど――祖父の忠告があって――」
 彼の話によると、日本にいる祖父の忠告は、やりたい盛りの若者が精の放出意欲を持つのは自然なことだが、決して相手の女性を傷つけるな。心の性愛まで入り込むのなら、その女性と結婚しろ。単に性欲を発散させるのであれば、男の尻も選択肢のひとつだ、と言われたのだ。
 その話を聞いて、わたしはふと悪戯心を起こした。
「きみさえよければ、わたしのお尻でもいいよ」
 冗談のつもりだったが、若者の熱っぽい瞳を見て、冗談が本気になった。

 この道のベテランと自負していたが、自分の未熟をつくづく思い知らされた。まるで荒れ狂う嵐に巻き込まれたようだった。30分後、若者はすっかり満足して眠りにつき、その傍らでわたしは、青息吐息でベッドに突っ伏していた。

 翔が大学4年生の7月、メジャーリーグのドラフト会議が行われ、ボルチモア・オリオールズから1巡目指名を受けた。ドラフトの指名は予想されたことだったが、チーム全員でお祝いしてやった。
 オリオールズはアメリカンリーグ東地区に所属するチームで、本拠地は首都ワシントンにも近いメリーランド州ボルチモアにある。
 翔自身は、オリオールズから指名されて、複雑な心境のようだ。地元ジャイアンツ球団の関係者数人と親交があったし、ロスアンジェルスにあるドジャース球団からも、何かと資料提供を受けてきたからだ。しかし両球団ともルール(指名権順位)に従い、「将来FAとなったときは、ぜひわがチームに」と紳士的に要望するにとどめているようだ。
 翔はオリオールズに入ることを腹に決めたとき、わたしのところに来た。
「小田さん、先方の球団が了承すれば、ぼくの専属トレーナーとして、ボルチモアまで来てくれますか」
 スティーブのことがあったので迷ったが、最終的に翔を選んだ。
 翔はオリオールズ側との契約交渉を、大学の推薦した代理人任せにしていた。それでも必須条件を二つだけ出していた。ひとつは投打の二刀流を続けること、もうひとつは、わたしを専属トレーナーとしてスタッフに加えることだった。
 最終決定した契約金は、なんと700万ドル、日本円にして約10億5千万円という高額なものだった。

 このころ翔は、同じ留学生だった日本人女性と恋仲になっていて、二人は大学の卒業式のあとすぐに、サンフランシスコの教会で結婚式を挙げた。二人の両親は、はるばる日本からやって来た。もちろんわたしも、その式に招待されたが、翔と関係したことがあるので多少後ろめたい思いがした。
 花嫁の名前は、彩香(さやか)。200メートル個人メドレーの水泳選手で、はきはきした物言いをする現代女性だが、反面、日本人の慎ましさも持っているようだ。結婚式のとき、すでに彼女のお腹には翔の子供を宿していた。

 オリオールズに入団して、翔のプロ野球生活が始まった。春季キャンプでは、さほど目立った活躍はできていないようだった。それでも持ち前の能動的性格と会話力で、チームメンバーたちと早くも馴染んでいる。
 オープン戦は不調でも、翔とわたしは焦らなかった。大学時代から続く独自のトレーニングで、翔の肉体は理想的な進化を遂げていた。そして技術面では、投げる、打つ、走る、捕る――実践を想定して、ひとつずつ丁寧に練習した。
 トレーニングに要する時間は、他の選手の倍以上かかったが、愚直なほど繰り返し続けた。
 訓練の甲斐あって、翔はロースターの40人枠に残り、3月末にはアクティブロースターの26人枠にも入ることができた。わたしはわがことのように、喜びをかみしめた。これから翔の新しい人生が始まるのだ。

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26/02/17 08:29 神亀

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