| 戻る / 目次 / 次へ |
(1)特別な子 |
|
1)
「今度の夏休み、ジイジとアメリカに行くことになった」 息子の翔がやってきて、何の前触れもなく言った。これまで何度もあったことなので、とくに驚かない。で、とりあえず聞いてみた。 「じゃあ決めたのか?」 「いや、まだだ。でも、シスコかロスの大学のどちらかにする。それで現地見聞した上で決めようと思っているんだ」 どうせ祖父の入れ知恵だろうと思ったが「金はどうする?」とだけ聞いた。 「飛行機代はジイジが出してくれる。向こうの滞在費用は、大学側で用意してくれるそうだ」 それで話は終わりとばかりに、息子は部屋を出ていった。 わたし(有栖川昌三、44歳)は、私大の体育学講師をやっている。一時期、プロ野球選手だったが、目立った活躍も無く、32歳のとき今の職業に鞍替えした。かたやボランティアで、少年野球の監督を10年近く続けている。私に下心があって、一人息子に野球をさせたいと思ったからだ。 妻のあゆみとは、野球選手だった時代に知り合った。あゆみが民放テレビ局の取材に来たときだ。一目惚れだった。同じ年齢の彼女は、スイス系ハーフ、こだわりのないネアカな性格をしていた。付き合いだした頃から、いつも主導権は彼女にあったように思う。結婚するとき、あゆみの姓、有栖川とすることに決めたのもそうだった。 結婚後、あゆみの親族を知るにつれ、ちょっと引け目を感じていた。妻の父、有栖川仙一は、大学4年生のときゴルフの全英オープンで優勝している。しかも2学級特進して大学に入っているので、優勝したときは弱冠二十歳だった。 そのとき、あゆみの母となるスイス人の女性と結婚した。翌年大学院に進学して、今度はアメリカのマスターズで優勝した。当然プロゴルファーになるものと思われたが、周囲の予想に反して大手企業に就職した。経営的な才覚もあったのだろう55歳で社長に就任、そのあと会長になり、65歳の現在、ほかの企業の非常勤取締役に収まって、暇な毎日を過ごしている。 義父の子供は、あゆみを筆頭に5人いる。義弟の貴史は、テニスプレーヤーのときウインブルドンで3回優勝している。現在はスイスの首都ベルンにある日本大使館で働き、現地女性と結婚して二人の子供をもうけている。 あゆみと貴史はスイス人の先妻との間の子供だが、先妻は不慮の事故で若くして亡くなっている。そのあと大学時代の同級生だった日本女性と再婚し、3人の娘に恵まれた。あき(安紀)ゆき(友紀)みき(美紀)である。末っ子の美紀はプロゴルファーとなり、国際メジャー大会で2勝している。ちなみに、次女から4女までの名前は、長女あゆみの名前を3分割して名付けている。義父本人は名前の由来を秘密にしているが、あゆみ曰く、腹違いの姉妹にはバレバレだと。 「夏休みに翔がアメリカに行くんだって」 晩飯のあと、あゆみが後片付けをするのを手伝いながら、話しかけた。 「そうね。スタンフォード大かUSCのどちらかにするんだって」 あゆみは食器を洗いながら言った。 「USCって?」 「南カルフォルニア大学。どちらも私立で名門校よ」 「たしかスタンフォードって、貴史さんが留学していた大学じゃないか?」 「そう、弟の行ってたところ。多分そっちにするんじゃない」 先ほど留学費用について、ネットで調べたことを思い出した。 「留学費用って4年間で2〜3千万くらいかかるんじゃないか?」(こんな費用、とてもわたしの安月給じゃ払えない) 「そうみたいね」 あゆみはこともなげに言った。「でも奨学金制度があって、全額支給のケースもあるそうよ。それに足らなければ、父が出してくれるわよ」 「あまりお義父さんの世話になるのもなあ――」 「あら、いいじゃない。父は金の使い道に困ってるんだから」 あゆみは悪戯っぽく笑った。 リビングに戻ると、テーブルの上に写真アルバムが置かれていた。妻がまとめている写真集で、いわば翔の成長記録のようなものだ。ここにあるということは妻も感傷的になっていたのだろう。 ページを開いてみた。一番先に、翔の生まれたときの写真があった。下に妻のコメントが書かれている。「看護婦さんは、ほかの赤ちゃんより手足が大きいと言う。きっと背の高いハンサム坊やになるんだろうな」 その予想は当たっていた。18歳の今では186センチになる。白人の血が入っているので、幼児のときから他の子供たちと違っていた。色が白く、クリッとした瞳――西洋人形のように可愛らしかった。 幼稚園のときの写真もある。半袖シャツと半ズボン姿の翔が、笑顔でVサインを送っている。横には泣きじゃくる子供の姿があり、女の先生があやしている。この時のことはよく覚えている。夫婦で幼稚園の運動会に行ったときだ。翔は駆けっこ競争でぶっちぎりのトップになった。驚いたのはその走りっぷりだった。まるで陸上競技の選手のようなフォームで走っていた。後で我が子に言うと、無邪気な答えが返ってきた。 「テレビで陸上のお兄ちゃんが言ってたの。両手を大きく振って、膝を高く上げなさいって」 翔が特別な子だと思い始めたのは、この頃からだった。 愛くるしい笑顔が魅力だった翔が、小学校に入った頃からあまり表情を出さなくなった。その理由はあとで知った。 リトルリーグの試合で優勝したときのことだ。翔が代表して優勝トロフィーを受け取ったが、あまり嬉しそうな顔をしていない。 「どうした、嬉しくないのか」と聞くと、「嬉しいよ」と息子は答えた。「でも、負けたチームが――可哀そう」 翔がそう思ったのは、幼稚園の運動会で、負けたタッちゃんが泣いていたのを見てからだった。その前で喜んだらタッちゃんが可哀そう、と言う。わずか5歳のときに感じて、ずっと覚えていたのには驚いた。 中学校の卒業写真を見ると、翔の身長がずば抜けて高いのが分かる。成長期に入った翔は、他の子どもたちと違った身体的特徴が目立ってきた。手足が長く、骨盤が大きい。日本人のような農耕民族ではなく、騎馬民族の体型だ。 好奇心旺盛な性格もはっきりしてきた。何がきっかけになったのか知らないがスイス人のお婆ちゃんのルーツを調べたい、と言いだしたことがある。 そして14歳の夏、ジイジの資金援助で1ヶ月間スイスに単身旅行した。スイス在住の貴史叔父さんの手配で、祖母の親戚筋の家にホームステーした。この時ヨーデルのクラブに通って、歌唱法を習っている。後で聞くと、コンサートで初めてヨーデルを聞いて、すっかりとりこになったという。思い立ったらすぐ行動に移すのは、いかにも翔らしい性格だった。 スポーツに関しては、小さいときから自慢の息子だった。わたしが近隣の少年野球の監督を引き受けたとき、翔は6歳で野球を始めた。だれが教えたわけでもないのに、翔は両手利きだった。そこで投げるのは右、打つのは左右どちらでも出来るスイッチヒッターにした。 翔は小学校から中学校まで、野球のほかに水泳も続けていた。水泳は祖父の勧めだった。バランスよく全身を鍛えるのに良いという。翔は野球だけでなく水泳でも活躍して、個人メドレー競技で中学生の新記録を出していた。また母親の影響もあって、音楽や絵画の教室にも通っていた。 しかし高校に入ると、すべて均等にこなすのは無理で、野球に主力を置くようになった。ちょうど大谷翔平がプロ野球の世界で、投打二刀流という新境地を開いた頃だった。翔はあこがれの人の名前の一部に、自分と同じ字があるのも何かの証(しるし)と思ったようだ。 翔は高校野球でめきめきと頭角を現し、その活躍は、野球関係者の関心を引くようになった。甲子園に出場していないのに、対外試合でのノーヒットノーラン数やホームラン数が超高校級で、名前だけは知られていたのだ。 そして3年生になった今年春先から、日本プロ野球界だけでなく、アメリカのスポーツ有力大学やメジャー球団からも多数のオファーが来ていた。翔は自分の進路を、高校恩師やわたしに相談していたが、最終的にはジイジのアドバイスを優先したようだ。 2) 翔がスタンフォード大学に入学して1年が経ったころ、わたしは思い切ってアメリカに渡り、翔に会いに行った。 サンフランシスコ国際空港に到着すると、息子が出迎えてくれた。健康的に日焼けした明るい笑顔――。わずか1年のご無沙汰だが、息子がまばゆく見えた。それだけ大人になったということだ。 翔は友人に借りたというスポーツカーで、南に向けて走った。大学までは30キロほど、先に予約していたホテルに寄った。チェックインを済ませ、部屋に荷物を置いた。すべて翔が手続きしてくれたので助かった。わたしは英語が苦手だが、翔は子供のときからあゆみに英会話を教えられていたので、現地アメリカ人とごく普通に会話している。 そのあとスタンフォード大学に行った。広大な敷地に驚いた。大学と言っても色んな機関があり、ひとつの都市ほどの規模だ。濃い緑の中に、橙色の瓦葺屋根の建物が散在している。ゴルフ場やハイキングのできる丘陵地もあるという。 学生寮の駐車場に車を止め、翔の部屋に案内された。途中、顔見知りらしい学生たちに声をかけられたが、女性が多いのに驚いた。2階にある部屋は、ベッドと机、書棚が一体になった棚、それにクローゼットがある個室だった。書棚に英文の書籍がずらりと並んでいる。 「こんな難しい本を読んでいるのか?」 驚いて聞くと、翔は肩をすくめた。 「そうだよ。いくら野球留学といっても、学業のほうもきっちりと勉強しなければならない。落第すれば奨学金を打ち切られるかもしれないからね。勉強のほうも必死だよ」 翔は特待生という扱いで、すべて大学側から奨学金を無償提供されることになっていた。 壁に1か月ごとのスケジュール表が貼られていた。英文で毎日ぎっしりと予定が書きこまれている。翔がそれを見ながら説明した。 「ハードな野球の練習や遠征試合の合間に、学業のカリキュラムを効率よく組む必要があるんだ。それにリラックスするための水泳もね。一日の行事が終わったあと、無心で水の中を泳いでいるとリフレッシュできるんだ」 翔は忙しい合間を縫って、一両日、わたしにつき合ってくれた。息子との短いひとときだったが、安心と心強さと嬉しさと――諸々の思いを抱いて、わたしはサンフランシスコを後にした。 |
|
26/02/16 08:27 神亀
|