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(7)夏祭り

朝から町に溢れる活気を感じた。あけぼの町の夏祭り――昨日は前夜祭、そして今日は、フィナーレだ。
神社の境内はお祭り色に変わっている。参道から続く提灯は、境内外周に沿って吊り下げられ、本堂の脇には、コモ包みの酒樽が積まれている。紫白の催事幕が張られたところでは、臨時アルバイトらしい若い巫女たちの姿も見られた。猪狩宮司もいつもの普段着姿でなく、神主の正装を身にまとっている。呑気な宮司も、今朝は神妙な面持ちである。
それでもラジオ体操はいつも通り行われた。子供たちも夏休み限定のスタンプ帳にハンコを貰っている。

あけぼの荘に戻って朝食を摂ったあと、さあ、今日はどうするか、と考えた。
工場は休みだしフリーに動ける。でも町の人たちに交じって、お祭りに参加しようとしても、何も思いつかない。町の何人かと親しくなっても、しょせん自分はよそ者なんだ、と強く感じる。
結局、部屋に戻って本を読み始めた。



ヨッサ、ソレソレ――賑やかな掛け声が聞こえてきた。部屋の窓から見ているとお神輿が神社の境内から出てくるところだった。大人たちが担ぐ神輿のあとに、子供たちが黄色い掛け声をあげて付き従う。彼らはこれから、町内を練り歩くのだろう。
10時過ぎ、読書に飽いたので町に出てみることにした。
通りを歩いていると、『おおスザンナ』の曲が聞こえた。広い歩道を埋め尽くすほどの人だかりがあって、広場の中で10人ほどのバンドが演奏している。前に会話したことのある、灯台守の老人の姿もある。驚いたことに工場の竹下総務課長がシンセサイザーを担当していた。
良平は、こんな田舎町で楽器を演奏するバンドがあること、それを熱心に聞き入る聴衆があることに、新鮮な感動を覚えた。老若男女問わず、普段見かけない町の人々が大勢集まっているのだ。

昼時、あけぼの荘に戻って食堂に行くと、ハルさんが部屋にいて、今日は三輪そうめんだという。ゲンさんの知人で、奈良県桜井市に住む、三輪そうめんの製造元から送られてきたらしい。
この前はウナギ料理で濃厚な味だったが、たまには、あっさりとして軽い食事もいいなと思う。
冷やしそうめんに山菜の天ぷら――そうめんは上品な極細麺で、コシが強く口当たりがいい。それにそうめんのつゆが出色だ。昆布とカツオ出汁の効いた濃いめの醤油が、しっとりしたそうめんを引き立てる。生姜、ニンニク、ネギ、大葉などの薬味が控えめに添えられている。簡単な料理でも、ゲンさんの手にかかれば高級料理店の品格がある。見かけは武骨でも、心の内は繊細な感性を持っているのが分かる。
「良ちゃん、ちょっといいかしら?」
食堂を出て行こうとすると、ハルさんが声をかけた。そして渡すものがあるから部屋にいてくれという。

ハルさんが持ってきたのは、白地に紺の模様の入ったユカタだった。
「良ちゃんにピッタリの寸法だと思うの。新品じゃないけど、生地がしっかりしてるから、まだまだ使えるわ。今夜、盆踊りがあるから、着て行ったら」
(誰のユカタだろう?ひょっとしたらトラック運転手のカズさんのもの?)と思ったが、下種な考えをやめて、有難く使わせてもらうことにした。

早めの銭湯から戻ったあと、ハルさんに渡された浴衣を着た。良平のために誂えたように、ぴったりフィットした。さすが女の見立ては正確である。それに着物の柄も気に入った。
さっそく浴衣を着て、町役場の裏側にある公園に行った。
広場の中央にやぐらが組まれ、それを取り囲むようにして、町の人たちが躍っていた。提灯の明かりが人々の姿を照らし、顔なじみの人も何人か見つけた。
テッちゃんが寄って来て、良ちゃんも踊りに加われ、という。
「なあに適当でいいんだ。間違ったって、誰も文句を言いやしない」
そして無理やり、踊りの輪に引っ張り込まれた。
踊りそのものは一定のパターンの繰り返しで、さほど難しくない。良平は慣れてくると、町の人たちと一体化した気分になってきた。ふと目が合った誰もが、親しそうに笑いかけてくる。

木陰で小休止していると、あけぼの荘の皆が集まってきた。
ハルさんが、思わず後ずさりするほどの親密さで、寄ってくる。
「良ちゃん、踊り上手じゃない。そのユカタ、すごく似合ってる」
「そう、良ちゃんの浴衣姿は、すごく色っぽいよ」
ハルさんに合わせて、テッちゃんが陽気に言い、良平の尻をごつい手でぴしゃりと叩いて、ぐりぐりと撫でまわした。こんな親密な行為は初めてである。それをスギさんが象のように優しい目で、黙って見ている。
「ねえ、これから灯ろう流しを見にいかない?」
ハルさんの提案で、一同、偲ぶ川の方向に歩きだした。

河口付近にある橋にたどり着くと、橋の上から灯ろう流しを眺めた。
橋の袂から川に下る小道があり、その先に1隻の平底船がつけられて、数人の客が船に乗り込んでいる。やがて船頭が長い竹竿を使って、船を流れの中央付近に出した。客たちは灯籠に火をつけ、船縁から手を伸ばして、灯ろうをそっと水の上に置いている。
灯ろうが揺らめきながら水の上で漂い、ほの暗い海のほうへと消えていく。川面で浮かびあがる無数の小さな明かりが、幻想的な雰囲気を醸し出している。
(――日本人の感性だ)見ている良平は、涙を浮かべていた。

――*――

夏祭りが終って1か月近くが経つ。あけぼの町はいつもの生活に戻っていた。
日曜日、良平は神社の背後にある宝亀山を登ろうとした。
山麓部は樹木に覆われているが、上のほうは岩の絶壁が幾層にも分かれて、山頂部を形成している。500メートルほどの高さだが、山頂まで登るのは、かなり厳しい道のりと思えた。
ラジオ体操のあと朝食を摂って、すぐ山登りに出発した。頂上付近に山小屋があり、軽い食事がとれるというので、弁当は持っていかなかった。
登山口は山の反対側にあるので、テッちゃんの運転する軽四輪で送ってもらった。反対側からは、神社から見るより傾斜が緩やかだった。

道幅一間ほどの山道は、石や木の根っこで覆われ、急坂は丸太の横木で補強されていた。道は紆余曲折していたが、道標があって迷うことはなかった。
高度を増すにつれて雑木林から熊笹に変わった。7合目の標識の所で、道は左右に分かれていた。右は見晴らし台、左は山頂方向とある。
休憩のため右を選ぶと、すぐ小さな広場に出た。鉄製の手すりがある高台に行くと、これまで登ってきた方向が見渡せた。
そのとき気づいた。歩荷姿の男がひとり、山道を登ってくる。重い荷物を背負っているのに足取りは軽快だ。
男は7合目に達すると、見晴らし台のほうに来た。見たところ50代、口まわりからあごにかけて、黒いひげを生やしている。細い目が、いかにも優しそうだ。
男は荷物を背中から降ろすと、水筒を取り出し口にした。
良平は声をかけた。
「こんにちは。精が出ますね」
男は人懐っこい笑顔でうなずいた。
「その荷物、すごい量ですが、重さはどのくらいあるのですか?」
「50キロ。今日は少ないほうかな」
男はぶっきらぼうに言って、良平の横にくると、見晴らし台からの景色を見ながら、両手をあげて大きく伸びをした。
遠く山並みが連なり、中腹に湖が見える。おそらく、町の水源となっているのだろう。そのずっと下のほうに小さく見える赤屋根は、猟師兄弟の家らしく、その辺りが夕霧谷と分かる。
横から水の流れる音がして、そちらを見た良平はギョッとした。
なんと男は前を開いて、放尿しているのだ。ぞろりと突き出たイチモツから、健康的な勢いで小水が放物線を描いている。
良平に見られていても、ちっとも気にしていないようだ。男は放尿を終えると、「じゃあ」と言って、荷物を背にし、山頂方向に歩き去った。

7合目からの道は細心の注意が必要だった。崖地の際を歩いたり、鎖を伝って斜面を登ったり、ひとときも気が抜けない。
ようやく山小屋に辿り着いた。高さ10メートルほどの岩山の足元にあり、ブナやミズナラの木が植樹されている。
小屋の横に、吹き抜けになった東屋があった。屋根の下で3人の登山者が食事していた。そこは展望台になっているらしく、望遠鏡が設置してある。
良平は、登山者たちに情報を得て、山小屋で鍋焼きうどんを注文した。
料理が出てくるまでの間、展望台からの景色を眺望した。
あけぼの町の全景が、手に取るように見えた。神社や町の家並み、波止場、偲ぶ川や山城、灯台山、青々とした海――。
それに、これまで気づかなかった景色も見えてくる。
COSMの工場の後背地、海側の崖に滝があるのに気づいた。線路がトンネルに入る右側のほうに、緑に覆われた黒い洞窟が見える。滝はその後方の位置だ。

アツアツの鍋焼きうどんを食べて満ち足りた気分でいると、歩荷の男の姿を目にした。男は、土煉瓦を積んだやきもの窯のところで、何やら作業している。
ぶらぶらと歩いて近づいた。山小屋の脇に、大量の薪が積んであって、木製棚には陶器の焼き物が並べられている。茶灰色のほか、青磁のようなうっすらと青い色合いのものもある。
良平は男に話しかけて、窯やきについて質問した。
窯やきの話題がよほど嬉しいらしく、男は作業しながら、口調はぶっきらぼうだが、丁寧に答えてくれた。
昔ながらの薪窯は、非常に手間がかかるので、山小屋の人間と共同作業で行っていること。窯やきは、素焼きと本焼き、2回に分けてやること。この周辺の土は特殊で、上塗りして焼くと、うっすらと青い色になること――。
男は最後に、陳列棚のほうに歩み寄って、青いぐいのみ茶碗を持ってきた。
「このぐいのみの青が、一番きれいに出ている。あんたが使ってくれ」
男は言うと、良平に茶碗をつき出した。

宝亀山から戻った昼下がり、スーパー横にある屋台の前を通りかかると、町の人が10人ほど集まってカニを食べている。
漁師のテッちゃんが良平に気づいて手招きした。
「ちょうどいいところに来た。出血大サービス、千円でカニが食べられるぞ」
聞けば、川で獲れたカニを水槽に活けていたが、量がまとまったので、その食事会だという。屋台の横ではスギさんが、大窯でカニをゆでている。
さっそくテッちゃんに千円渡して、木の台に腰掛ける。やがて出された大皿に、ゆがいた2匹のカニが載っていた。小振りだが大きな爪をしている。
ひと口食べる。――けっこう旨い!

そのとき、あまり聞きたくない声がした。
「自分、このカニの名前知ってるか?」
思わぬご馳走にウキウキしていた気分が、急降下した。
横から大福もちのような顔が、にゅっと出てくる。
「モズクガニって言うんや。秋のこの季節に川で獲れるカニや。自分、ラッキーやったな、上海ガニと比肩するくらい美味なカニやで」
頼みもしないのに菊ちゃんが説明する。「そういえば昔、モズクカニを獲るのが好きな子がおったなあ。その子、おもろい話があるんや」
良平は話を無視して、カニの身をしゃぶり続けた。
菊ちゃんもしゃべり続ける。
「その子、あるとき、見たこともないような大きいモズクガニを、2匹見つけたんや。さっそく右手と左手で掴まえた。そしたら目の前にさらに大きいモズクガニが現れてん。その子、どうしてもそのカニを持って帰りたいけど、右手も左手もカニ持ってるさかい、塞がってる。それでどうしたと思う?」
「どうしたの?」
思わず反応して、良平はしまったと思った。
「その子、やおら浅瀬に座り込んで両足を伸ばし、カニを足で挟みこもうとしたんや」
「マジですか?」
「マジやねん。そしたらカニが強靭な爪で、足指をきつく挟みおった。その痛さったら半端じゃない。その子、全部のカニを逃してしまったんや」
菊ちゃんは、良平の顔をのぞきこんだ。
「どない思う?」
「正直、バカだと思います」
「お前が言うな!」
「あ、すみません。その子って誰なんですか?」
「お前が今、食べてるカニを持ってきた男や」
「えっ!テッちゃん――」
あわてて振り返ると、テッちゃんがこちらのほうをじっと見ている。
思わず良平は首をすくめた。

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25/01/07 06:14 神亀

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