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(2)仕事始め

目が覚めて時計を見ると6時ジャストだった。東京にいたときも6時起き、所は変わっても、長年身についた習性は変わらないようだ。
顔を洗って窓から外を見ると、三々五々、町の人たちが、宝亀山神社の鳥居をくぐる姿が見られた。
(感心に、朝からお参りなのか?ぼくもちょっと散歩でもするか)
服を着て部屋を出たところで、ハルさんにばったり出会った。
「あら、もう起きたの。お早うございます」
こちらも挨拶を返すと、「ラジオ体操にでも行ったらどうです」という。
雨が降らない限り毎朝、町の人たちが神社に集まって、6時半からラジオ体操をやっているそうだ。
これで分かった、町の人たちが朝早くから神社に集まっている理由が。
神社に行くと境内に、30人ほどの人たちが集まっていた。宮司が良平の顔を認めて、指でピースサインを送ってくる。
賽銭箱の前に、トランジスターラジオが置かれていた。
まもなくラジオ体操の放送が始まり、一斉に体操をしだした。第一体操、首の運動、そして第二体操。最後に拍手して、めいめい別れていった。
効率の良い流れに、町の人たちのまとまりを感じた。

あけぼの荘に戻って、まっすぐ食堂に行った。
朝食はバイキング形式になっていて、和食コーナーと洋食コーナーがある。
それぞれ好みに合わせて、料理を自分の盆に載せていく。
スギさんとテッちゃんの姿は見えなかった。良平の疑問を感じたらしく、ハルさんが自分から進んで説明した。
「スギさんたちは朝が早いから、朝と昼のお弁当を持って出かけてるの。漁船の上で食べるそうよ」
一人で食事をしていると、初老の男がこちらに向かってまっすぐ歩いてきた。
色が白く大福もちのような人物だ。
「ふーん、あんたが今度来た良ちゃんか」
男はいきなり声をかけた。呆気に取られていると、なおも言った。
「で、自分、男はできたん?」
「は?」
「いや、は?やあれへん。好きな男はできたかて聞いてんのや」
心を見透かされたようで、どきっとした。
(誰なんだ、この馴れ馴れしい大福もちは?それに、何で関西弁なんだ?)
混乱したが、良平は礼儀正しく答えた。
「あいにくぼくは、そんな趣味はありません」
途端、男は賑やかに言った。
「ウソをつけ!このスケベ。自分の顔は、ぜったい男好きの顔やで」
(なんなんだ、こいつ)イラっときたが、あくまで礼儀正しく聞いた。
「あのう、あなた、どちらさんですか?」
「あ、知りたい?ねえ、うちのこと知りたい?」と言って男は目を輝かせた。
これ以上、構うと碌なことはない。
良平は男を無視して、食事に専念しだした。
しかしあろうことか、男はなおも居続けて、勝手に自己紹介を始める。
「うち、フルネームは江上菊五郎て言うんや。スナック万玉のマスターやってる。自分、今夜うちに来てみ、サービスしてやっから」
つけ加えて「うちのこと、菊ちゃんて呼んで」とのたまう。
男は色白ぽっちゃり体型で、年増の小母ちゃんとも見違えるような中性的な顔立ちをしている。その風貌を見ていれば、男の経営するスナックがどういった類の店なのか、自ずと想像できる。
「ごめん、急いでいるんで。――工場に出勤しなくちゃ」
良平は断りを入れると、食事を早々に済ませ、自分の部屋に引きあげた。

白いカッターシャツにネクタイを締め、スーツ姿になると気が引き締まる。
転勤先の工場に初出勤である。
神社前のバス停で循環バスに乗り、目的地の工場前までは3区間。歩いて行けない距離でもない。
鉄の門扉の横に、会社の名称COSMOの文字看板がある。ゲートで社員証を見せて、事務所棟まで歩いた。光学機械を扱う先端技術工場だけに、場内は近代的な建物と緑の芝生、舗装された通路、と明確に区分けされていた。道に迷うことは無い。



まず工場長に挨拶した。安井工場長は50代半ば、中背太目の体型、一見、人の良い田舎の親父といった風貌をしている。
「お、来たか。小宮くんだな。よろしく頼む」
読んでいた新聞から顔をあげて、工場長は快活に声をかけた。「まあ、話は落ち着いてから聞こう。今夜、個人的に歓迎会をやってやる」
「はあ、ありがとうございます」
「18時30分、『無法松』で落ち合おう」
(なんだ、あけぼの荘じゃないか)と思ったが、良平は「了解しました」と言って頭を下げた。
そのあと、担当する総務課に行った。課といっても男の課長一人に、女子社員が5人いるだけである。
総務課長の竹下は、良平より一つ年下の45歳、背が高く、受け答えから推測するに、飄々として淡白な性格のようだ。良平も同じ課長だが、地方の工場に転勤するとき、次長にランクアップされていた。
総務課内で顔合わせが済むと、竹下の案内で、工場内の主要ポストの社員に挨拶して回った。

その日の午前中は、顔見せと工場の施設見学に費やした。工場内の食堂で昼飯を食べたあと、初日ということもあって早退した。
あけぼの町に来るとき、良平はもう一つの目的を持っていた。それは実の父親の消息を調べることだった。

父の茂は、良平が5歳のとき、ふらっと家を出た。1日が経ち、1週間が経ち、1ヵ月が経っても、父は帰ってこなかった。まるでこの世から掻き消えたように消息を絶ったのだ。母には何の説明もなかったという。
さいわい良平と母は、母方の裕福な祖父の家に同居していたので、生活には困らなかった。そのうち母は、持ち前の芯の強さを発揮して、料理教室を開き、夫のことは忘れるようにしたようだ。
しかし幼い良平は、父への思慕の念をずっと抱き続けていた。その思いは、彼が成人して社会に出ても変わらなかった。彼は父親に関係する伝手を調べ、父の消息を辿ろうとした。しかしそれは雲をつかむようなものだった。
とうとうあきらめかけたとき、ある偶然から期待できそうな情報を得た。
COSMOの創立50周年の式典があったときだった。ゲストとして招待された会社ОBの一人が、良平を見て話しかけてきた。
「実は以前、きみによく似た方にお世話になってね。ひょっとしたら親戚じゃないかと思ったんだ」
そのОBは、現役時代に広報担当をやっていて、あけぼの町に工場が新設されたとき、PR誌に紹介記事を書くことになった。そのとき現地を訪れて、町に住む学識のある人物を紹介してもらった。その人が、顔だけでなく雰囲気も、良平によく似ていた、というのだ。
ただしОBは、あけぼの町に3日ほどいただけだったので、その人物についてはあまり詳しいことは知らなかった。それに相手は、小宮ではなく木原と名乗っていたという。
それでも良平は一縷の望みを持っていた。そして今回、転勤であけぼの町に来ることになって、ますます期待は膨らんでいた。

まず町役場に行った。職員に事情を話して、木原姓と小宮姓の住民を調べてもらった。中年女性の職員は、親切に対応してくれた。しかしいくら調べても、どちらの姓の世帯も無いという。
小さな町だったのですぐ分かると思ったが、これ以上調べようがない。父は生きていれば、70歳のはずだ。だったらあとは、町の老人たちに当たってみようと思った。

町役場を出て通りを歩いていると、クラシック音楽が聞こえてきた。
通りから奥まって喫茶店と本屋があり、その前庭に大きなケヤキの木が植わっている。その下で3人の老人が楽器を演奏していた。
一人はなんとスギさんだった。彼は太い腕でアコーディオンを演奏している。
白髪白髭、背の高いスマートな老人はヴァイオリン、そして小太り温顔の老人はコントラバスを弾いている。
曲はモーツァルトのアイネクライネナハトムジーク。3人の持つ楽器に合わせて編曲されている。長年続けているのだろう、彼らの演奏技術は見事だった。
良平が前の通りで聞いていると、白髪の老人が、植え込みの前にあるベンチのほうに目配せした。どうぞ腰掛けてお聞きなさい、と言っているようだ。
良平は素直に広場の端のほうに行き、ベンチに腰掛けた。

横から声がした。
「自分、音楽が好きなんか」
聞きたくない声だった。見あげると、やはり朝の男、江上菊五郎がいた。
江上はベンチの横に大きな尻を落とすと、演奏中にも関わらず、傍若無人に話しかけてきた。
「自分、COSMOの社員やったんか。で、どこの大学出や」
(そんなこと関係ないと思うけど)と思ったが、良平はおずおずと答えた。
「私立です、御茶ノ水の――」出身大学に誇りを持っていたが、偉そうに聞こえないよう大学名をそっと言った。
「ま、一定のレベルはあるようやな。でもな、社会で生きていくためには、学問だけやなく知恵も必要やで」
江上はさらっと言うと続けた。「よし、自分の知力を試してやる。脳トレや。自分、アンデス山脈は知ってるな」
「はあ、南米大陸にある山脈でしょう」
「そうや。南米大陸の背骨のようなもんや。世界最長の山脈やで」
「――」
「そこで問題。この山脈の中に、世界で最も長いトンネルがある。それは、どこからどこまで通じているか――脳トレや」
そんなの聞いたことが無い。ましてや地名などまったく頭に浮かばない。そんな良平を見て、江上は言った。
「ま、ひと晩やるから、明日の朝、答えてみ」

あけぼの荘に戻ったとき、工場長との約束時間まで余裕があったので、先に銭湯へ行くことにした。期待していた、スギさんとテッちゃんの姿はなかった。
(スギさんはまだ演奏しているのだろうか。でもテッちゃんは――)
本音は二人の裸を見たかった。それでも他の入浴客たちの裸を目にして、少し幸せな気分になった。
部屋へ戻ると、パソコンでネット情報を調べた。江上の出した、アンデス山脈のトンネルのことを探したのだ。しかし答えはヒットしなかった。

安井工場長との約束時間前に食堂に行った。まだ工場長は来ていないようだ。
待つこと15分、ようやく工場長がやってきた。工場の作業服のままだ。
まずビールで乾杯した。ここではセルフサービスになっているので、自分で冷蔵庫からビールを取り出し、持ってきた分はテーブル上の伝票に書き込む。なんとも大らかなシステムである。
「きみのことは取締役からもお電話があった」
工場長は開口一番言った。取締役とは、COSMOの工場を統括している、高木取締役のことだ。いつもは東京本社にいる。
「取締役はおっしゃった。うちの工場は会計処理がすこし杜撰なようだ。小宮には全権を持たせて、経理システムの改善にあたらせろ、とな」
言ったあと、工場長はすこし困ったような表情をした。「私は経理のことは一切分からん。きみに任せるからよろしく頼むな」
工場長の口ぶりは、高木取締役を畏怖しているように見える。確か、取締役のほうが2歳ほど年下だが――。
そのうち工場長の話はプライベートな話題に移った。彼は少年野球の監督をして、日曜日には小学校の校庭に行ってるという。
良平は上司との会話が苦手だが、この工場長の前ではあまり緊張しなくてすんだ。もっぱら安井がしゃべって、明るい笑い声をあげている。

1時間が過ぎた頃、工場長はもう一軒行こうと言いだした。
それを聞いてふと、スナック万玉という名前が浮かんだ。まさかあの江上の店では――。いやな予感がした。
しかし、実際に連れて行かれた店は違った。というよりも、店と言えるのか疑問になるような所だった。
スーパーの横に屋台が出ていた。そこでねじり鉢巻きの親父が一人、おでんや天ぷらを作っている。
客たちは、屋外に運び出された木のテーブルの前で、ワイワイガヤガヤ話しながら酒を飲んでいる。樽を椅子代わりにしている者、立ったままの者、皆めいめいの格好で交流している。裸電球が彼らの顔を浮かび上がらせていた。
その中に、総務課長の竹下の姿があった。さっそく工場長も合流した。
二人はよくここに来るのであろう、工場の役職を離れて、親しい町の住民になり切っていた。
「工場長、ちょっと一杯のつもりが――」
「一杯のつもりが――」
「いっぱい、飲んじゃった!」
「そりゃあ良かった。ハハハ――」
二人はダジャレを交えて、焼酎を酌み交わしている。相当酒が好きなようだ。
大雑把な親分肌の工場長と、飄々とした総務課長――良平は見ていて微笑ましい気分だった。

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25/01/02 06:49 神亀

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