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後日談 |
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(1)
ぼくは19のとき、風俗店で女を知った。その3か月後には、男も知った。 男のほうがはるかに良かった。物静かで、清潔で、嫌な臭いもないし、なにより妊娠の恐れがない。 男が好きといっても、ぼくの場合はフケ専である。大学1年生のとき、英語教師と男色初体験して以来、5人の年配男性と親密なお付き合いをしてきた。 そして24のとき、同級生の女と結婚した。真の目的は、彼女の父親だった。 もっとも偽装結婚ではない証拠に、女・男・男と3人の子供を作った。 結婚して10年後の現在、ぼくは義父と二人で生活している。生憎、まだ義父のお尻には入れさせて貰ってないが、それも時間の問題だろう。 その話はひとまず置いといて、これまで何があったのかお話する。 ぼくと小百合の新婚生活は東京で始まった。 ぼくは大手商社で働き、仕事の合間に、本部長である常務や取引先の相談役と、「断り切れない」親密なお付き合いを続けていた。 小百合は相次いで3人の子供を産み、しばらく育児にかかりっきりだったが、手が離せるようになると、大学の教職に復帰した。 そして3人の子供たちは、元気に、すくすくと育っている。 義父の白鳥崇昭は、北海道の富良野でメロン栽培をやっていたが、年に2、3回東京に来て、孫の成長ぶりに目を細めていた。 ぼくはこの素敵な義父が上京するたびに、胸をときめかせていたが、まだ性的にアプローチするきっかけを見出せていなかった。 きわめて健康体であった義父が、58歳のとき心筋梗塞で倒れた。一時期は生死の境にいたが、なんとか持ち直した。 しかし、メロン農家を続けるのか、大きな岐路に立たされた。 義父の家には老婆がいて、長年、義父のために家事をやっていたが、84歳という高齢のため、そろそろ介護施設に入りたいと言っていた。 一方、農作業については、敷地内に住む中年の夫婦が働いているが、労働力不足気味である。 今は外国人技能実習制度があって、人手不足の穴埋めをする農業者が多いが、義父はそれを利用していない。本来は人づくりが目的なのに、外国人を安い労働力としかみていない、と義父は制度に反発しているのだ。 このとき、ぼくは前から暖めていた考えを妻に話した。脱サラして、義父のもとで農業に取り組む。二極生活になるけど、妻や子供たちはこれまで通り、東京で暮らせばいい――と。 妻はぼくの魂胆を見抜いていた。男好きのぼくが、義父に良からぬことをしようとしていることを。それに、厳しい母親より細かいことを言わないぼくに、子供たちがなついていることも、心配の種だった。片や、妻の勤める大学の教職も捨てがたかった。 あれやこれやと話し合った結果、落ち着いたのは、家族全員で北海道に移り住むことだった。ただし、妻は札幌の大学に異動できるので、子供たちと一緒に札幌で生活する。札幌・富良野間は、車で2時間くらいなので、会おうと思えば比較的容易に会える。 こうしてぼくは脱サラして、北海道のど真ん中、富良野で義父と二人きりの生活を始めたのだ。 (2) 富良野は、一面に咲き誇るラベンダー畑や雪化粧した十勝岳などが望める、風光明媚なところだ。ぼくはもともと、大都会の便利さより、自然豊かな土地のほうが性に合ってるのかも知れない。 それに富良野で温泉というイメージはなかったが、魅力的な露天風呂があるのに気づいた。満天の星空のもと、義父と戯れながら露天風呂につかるのも、さほど遠い夢ではなくなった。 義父のメロン農園では、3品種のメロンを栽培していた。これらはまとめて「ふらのメロン」と呼ばれている。 品種によって旬は多少違うが、全体としては5月中旬から10月頃まで、結構ロングランで収穫されている。 ぼくはこれらの情報を、敷地内に住む伊藤夫婦に教えて貰った。ヨシさんとカズコさん――健康的に日焼けした仲のいい夫婦で、40代半ばの歳だ。 「うちのメロンは、高い糖度と滑らかな果肉、そして芳醇な香りに、人気があります」 ヨシさんは説明した。それをぼくは、まるで義父本人のことを言っているようだ、と内心ほくそ笑んだ。 メロン農園の経営は、栽培のほかに販路の問題がある。ぼくは食料カンパニー部門の企画で働いていたので、そのときの知識が役立った。 流通経路やスーパー、高級レストランなどエンドユーザーの仕組みにも、そこそこ精通していた。 仕事を通じてぼくが身上としたのは、「安売りしない」ということだった。 よく生産者が、安値で叩かれる光景は目にした。 でも、本当に品質を追求して作ったものであれば、それまでの試行錯誤や肥料、栽培手間でコストがかかる。もちろん無駄な部分は省くべきだろうが。 だからぼくは物を売ろうとするとき、買い叩くところは相手にせず、高い品質を求めるところに売りに行く――そんなことを考えていた。 商社で働いていた時分は、そんなの理想で現実的でない、と上司に言われたが、ぼくは頑固に持論を曲げなかった。 そして、意志有れば通じる。以前お付き合いしていたОK食品の神谷相談役――今はリタイアしている――が現役の重役たちに働きかけて、こちらの希望値で取引してくれる、高級レストランやホテルを見つけてくれたのだ。 そして藤森常務、こちらもすでにリタイアしているが、神谷老人と競うように、ぼくのために顧客を紹介してくれた。 もっともこの二人、「高野六十那智八十」の俚言通り、ぼくの「断り切れない」サービス付きだったが――。 彼らの紹介先と成約できた都度、ぼくは彼らのもとに報告に行き、仕事とは関係のない濃厚なサービスを受けるのだ。 こうして、脱サラしたぼくは、義父の手伝いをして、なんとか順調に農業経営を続けている。と言っても赤字が出ない程度で、慎ましいほどの収入だが。 (3) 義父は58歳のとき心筋梗塞で倒れたが、克己的なリハビリの甲斐あって、60歳の現在、健康体を取り戻している。 今のボディーサイズは160センチに65キロ、倒れる前より5キロほど体重は落ちているが、もともと固太りだったので、さほど変化は感じない。 ぼくは結婚したとき、最初に取り組んだのは、手話の修得だった。ぼくに下心があって、耳の聞こえない義父と、早く親密になりたかったからだ。 そして今や手話で支障なく、義父と意思の疎通ができている。むつかしい言葉は筆談で補足した。 実はぼくと妻の間では約束事があった。少なくとも子供を2人作るまでは、義父にチョッカイ出さないことだった。妻はぼくが男色者であることを承知して結婚したのだ。 そして今や子供3人、すくすくと育っている。だからぼくが義父にチョッカイを出しても、妻は文句を言えないはずだ。 で、さっそく義父に申し出た――お父さん、好きです。ぼくと一緒にベッドで、男同士の楽しいことをやりましょう――と。口に出して言えないことも、手話では、思い切ったことが表現できる。 義父はおっとりとした性格をして、人が善かったので、たいがいのことはぼくの頼みを断らないが、さすがに男色の相手となると逡巡した。 それでも、ぼくがメロン園の経営に本格的に取り組む姿に、じょじょに軟化してきた。 最初は、一緒に風呂に入って、ぼくが、義父の肉付きの良い体を洗ってやることから始めた。 義父はまるで、ぼくのために生まれてきたような身体つきをしていた。固太りの骨格にしっかりした太い腰、横にも後にも張った豊満なお尻。それがうっすらと脂肪の層で覆われて、色の白さとやわらかさを際立たせている。胸は女のようにふくよかで薄紅色の乳首がぼくの好色をそそる。 そして下のデルタ地帯――ふっくらした恥丘を覆う陰毛は、極端に薄かった。 丸っこい玉々を枕に、色白の性器が鎮座する。亀頭の半ばまで薄皮をかぶって、太短い形をしている。 義父の裸を見ているだけで、ぼくは幸せ感いっぱいだった。 一緒に風呂に入る回数が重なってくると、ぼくの行動範囲もじょじょに広がってきた。 ぼくは義父のおチンチンを洗ってやったり、少し腰を浮かさせて、肛門のまわりを指で洗ってやったりしだした。 最初は嫌がっていた義父も、そのうち大人しく、ぼくのなすままにしている。 義父の性器は、洗っていると、すぐ硬くなってくる。60歳とはいえ、まだまだオトコの元気はあるのだ。 「お父さん、立ってどうしょうもないときは、どうするんですか?」 ぼくが冗談交じりに聞くと、義父は恥ずかしそうに右手を握って、しごく仕草をした。 こうしてぼくと義父の日常は、艶めいた予感の中、平穏に過ぎていった。 農作業のとき、時折見せる義父の無邪気な笑顔や、義父が小腰を屈めて作業する後ろ姿――ズボンの布地を張り詰めた大きなお尻――は、ぼくの生殖細胞を大いに刺激した。 ときに義父と車で出かけて、遠出をした。観光したあとは、露天風呂に寄って、二人きりのゆったりとした時を過ごした。 (4) あるとき義父の股間を洗っていて、勃起してきた男根をぼくは口に含んだ。 義父はハッとした様子だが、気持ちがいいのかじっとしていた。ぼくはそのまま尺八を続け、ついに義父は身体を震わせて射精した。 それがきっかけで、ぼくと義父は一気に男色の世界に入り込んだ。 義父の性器を口に含むことが多くなった。そして義父にも、ぼくの怒張した性器を、口に含ませた。 浴槽の縁に手をつかせ、突き出した尻の狭間に指を潜り込ませて、肛門を刺激することも始めた。指先を軽く挿入して、押し揉むようにしていると、義父の身体から力が抜けてくる。そこで愛撫するように、指を抽送させる。 その行為は、夜寝る前のベッドの中にも持ち込まれるようになった。 そして半年後、ぼくはついに義父のお尻に入れることができた。 義父の61歳の誕生日、ぼくたちは合体して男色の悦楽に浸っていた。 正常位の体勢で、義父の顔を見ながらゆったりと腰をうねらせる。硬く膨張した陰茎が、狭い肛門を押し広げ、やわらかい肉路を摩擦しながら、ズルル、ヌルルと湿った悦びの音を伴って、一定のリズムで滑脱する。 紅潮した義父の顔が、多少恐れを含んで揺れ動く。チョビ髭の下、わずかに開いた唇からは、控え目な消え入るような喘ぎ声が漏れ出ている。 ぼくはぴっちりと肌を合わせながら全身で義父を愛した。愛しても、愛しても、愛し足りない気がした。 ぼくの腹に揉まれた義父の性器が、大きく硬く膨らんでくる。ぼくは優しく掌で握り、腰のうねりに合わせて扱いた。 「あっ、ああっ!」 義父の亀頭がグッと膨れ上がった、と思った瞬間、白濁した精液が噴き出た。 ところてん発射は、義父にとって最高の快感だったようだ。射精したあと、義父はいかにも恥ずかしそうに、ぼくの視線から逃がれる仕草をした。 その動作が可愛くて、ぼくは思わず義父を抱きしめて、口を吸った。 ときどき妻と子供たちが、車で札幌からやってきた。そんなとき妻は、探るような目つきで父の変化を見ていた。ぼくと義父の関係がどこまで進展したか、それを推し量ろうとしているようだ。それでも、心筋梗塞を起こした父が、予想以上に健康そうなので、安心したようだ。 富良野で生活していると、知り合いが増えるにつれ、思いがけない幸運に恵まれることがある。ブドウ農園をやっているエイジさん、日帰りの露天風呂で知り合ったクニさん――。彼らとの交流は、いずれ機会があったらお話しよう。 ![]() (あとがき) 私の妄想の世界、皆さんは読まれてどう思われたでしょうか。 現実の人生は、逆境にのみこまれたり、苦しい状況に追い込まれたり、嫌なことが多々あります。また本格的な小説なら、苦と楽、正と悪、など相反することを鋭く追及して、より現実味のある世界を描くでしょう。 しかし私はシロウト作家です。それも希少価値のある、ゲイ作家です。 私が小説を書くコンセプトは、いかにお仲間が私の小説を読んで楽しんでいただけるか、にあります。 ですから、少数民族のゲイ仲間が、こうあって欲しい、と思うようなことを書きます。現実世界ではとても無理、と思うようなことも含めてです。 もちろんゲイの世界も千差万別、色々好みは違うでしょう。私が書く小説はフケ専の世界ですから、好みが合わない読者もおられるでしょう。 でも妄想の世界では、すべて楽天的、少なくとも不幸な思いはしないでしょう。どうぞ安心して気楽にお読みください。 神亀 |
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22/09/12 06:58 神亀
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