(五)
風間新之輔は床の中で、両手を上げて大きく伸びをした。ぐっすりと眠ったので、気持ちが充実していた。これまでの戦いの疲れは、すっかり消え失せたようだ。
開け放った窓から外を見る。
江戸の海は日差しをいっぱいに浴び、きらきらと銀色の光を放っていた。沖合いには、白い帆を張った漁船が何艘も見えている。
三畳間で寝泊まりしていた縫は、傷が塞がったところで父親の多七と連れたって、湯治のため伊香保の温泉地に旅立っている。
秋明がお茶を持って、二階にあがってきた。
秋明菊のような楚々とした顔を見ていると、新之輔は下腹が騒めきだすのを覚えた。
「よくお休みになっていましたね。さあお茶でも――」
言ってる途中で、新之輔の熱い眼差しに気づいて、秋明は口を閉じた。
ふいに新之輔は、秋明の身体を抱き寄せた。
「ああ――お戯れを――」
秋明が抗って、喘いだ。
「ふふ――ちょいと、いいではないか」
新之輔は唇を合わせ、秋明の喘ぎを吸い取った。そのまま床に押し倒す。
「あ、だめ――嘉平さんに悪い――」
抗しがたい欲望が込み上げてきて、新之輔は手荒に衣服を引き剥いでいった。肥後守の言う、へそから下の信用がないとは、今のことを言うのであろう。
色白の顔がポッと桜色に色づいて、新之輔を見上げた。うぶな顔立ちの中で、艶やかな唇が息づき、かすかに喘いでいる。
五十八歳の裸体は、色が抜けるように白く、すんなりとしていた。
うつ伏せにして、手をかけ、双丘を押し広げる。歳に似ず桜色の蕾が、濡れてほころんでいる。まるで男の精を吸って、開花に向けてふくらんできたようだ。
人差し指で触れると、秋明がうわずった声を上げた。
「あ――いや――」
拒絶の声を無視して、潤み、蕩けきった肉襞へ、指をずずっと潜り込ませた。
「ひっ!ひいい――」
構わず指を付け根までおし込み、肉筒の妖しい構造を探り始めた。肉襞は蕩けたように軟らかく、内部はおっとりと温かい。
それでいて、入り込んだ指をしゃぶるように締め付ける。
下腹部がみなぎるのを覚えた。下帯を解くと、陽物が隆と反り返って弾けた。力を漲らせて雁首が張り詰め、茎は太い血管が縦横に浮き出て、まがまがしい様相を呈している。
それを秋明が、恐怖の目で見つめている。
――しばらくして、朝の空気を切り裂いて、男の悲鳴が上がった。
――*――
江戸のあちこちで、桜見の話題がでる季節となった。
新之輔は、駒込にある海滑藩下屋敷に来ていた。袴はつけず、着流しに羽織姿である。腰に帯びているのは脇差だけ。側用人の堀昌之が手配して、堀の俳句仲間ということで、今日の茶会に参加したのだ。
屋敷の庭に出ると、うららかで清澄な空気がただよっていた。新之輔は、懐かしくも複雑な思いがした。――あの夜、お伝の方の手引きで、孝子さまと。
一本だけある桜が、池越しに見えた。緋毛氈を敷いた木の台が配置されているが、新之輔のほかに客はまだ来ていない。(早く来すぎたか――)
人の近づく気配に振り返ると、奥の廊下から、堀を従えた女人が現れた。
四十に近い年頃と見えた。清楚な小袖姿に、齢を重ねたしなやかさと上品が滲み出ているような女人であった。この下屋敷に住む、前藩主の正室孝子だった。いまは松寿院と呼ばれている。
松寿院は、新之輔の顔を見て、ハッとした表情をした。
新之輔は辞儀をして、「庭先を失礼いたしました」と言うと、そっと横に移動した。
松寿院が問いかけるように、堀を顧みた。
堀が答えた。
「わたしの俳句仲間、風間新之輔にござります」
松寿院は思い当たる節があるようだが、口には出さなかった。
そのとき若い声がした。
「母上、こちらにおられましたか」
若い侍が現れた。海滑藩藩主、首藤家宗である。十代前半だが、伸びやかな体躯をして、春の息吹を思わせる、爽やかな雰囲気を持っている。
新之輔は表情を変えなかったが、熱いものが込み上げてくるのを覚えた。
松寿院は若者に微笑みかけた。
「殿、今日は下屋敷にお越しか」
「はい、桜が咲いたと聞き及び、ご挨拶にうかがいました」
「それは嬉しい。さあ、どうぞご覧になって」
言ったあと松寿院は、もう一度、新之輔の方をそっと見た。
その夜、久しぶりに嘉平を抱いた。嘉平は初めての時のように、慎み深く新之輔の愛撫を受けていた。悦楽に浸りながら、新之輔はふと、階下で寝る秋明のことを思い浮かべた。
すぐに、その思いを打ち消した。
――熱情が募る。
嘉平は床に臥せて声を押さえるが、ともすれば喘ぎ声が漏れ出る。
怒張したへのこを受け入れ、包み込み、締め付ける男の肉筒――。激しくこすれ合う肉根と襞が、肛悦をぐんぐん高め、気の遠くなるような恍惚の世界に入り込む。
「ああっ――新之輔さまっ――もう――ああっ――あああーっ」
もはや嘉平は、我を忘れて泣きだした。
うねりは高く――高く――高みの頂点で、ふいに噴出した。
終わったとき、嘉平は失神したように眠りに落ちた。
その寝顔を、新之輔はじっと見守った。新之輔にとって、老爺を愛すのは、女を愛するよりも自然なことだった。そして、愛を交わした後の安らぎのひととき――それは、何ものにも代え難いひとときだった。
ひっそりと静まり返った夜半、行燈の薄明りの中で、軽く寝息を立てる嘉平の顔が、穏やかに滲んでいる。この上なくいとおしいと思った。しかし、いつかは――昌造爺や医師の芳美と同じように、別れるときが来る。人である限りいつかは――。
「久しぶりにいい魚が手に入りました」
嘉平が言って、大きな鯛の塩焼きを卓の真ん中に置いた。「半身は、煮つけと澄まし汁にしました。今日は鯛づくしです」
新之輔と交わった翌朝は、いつも嘉平は機嫌がいい。
「ほう、これは朝からご馳走だ」
新之輔がさっそく箸を付けようと、手を伸ばした。はずみで手元の茶をこぼした。
「ああっ、まったく新之輔さまは、不器用なんだから」
こぼれた茶を布巾でぬぐいながら、秋明がぼやいた。
そんな様子を、嘉平は目を細めて見ている。不器用なくらいの方が、人として魅力があると思う。そつのない、すんなりとした人は、逆につまらない。
新之輔は一口食べて、唸った。塩加減を薄味にして、ぷりぷりした魚肉の歯ごたえが何とも言えない。
「それにしても、朝から豪勢な飯ですね」
秋明が感嘆して言った。
その理由に思い当たる新之輔は、多少面映ゆい表情で、黙って箸をすすめた。
新之輔は飯を食べ終えると、裏庭に出て軽く身体を動かした。足の踏み込み、身の入れぐあい、手の内の締め――これらが一体となれば、剣を振り上げなくても、強烈に打ち込むことが出来る。
秩父の山で修行して以来、新之輔の剣は変化していた。立ち合いの動きが少なく、間合いに入るまで心を澄ませ、動くときは迷いなく瞬時に応じる。
しばらくして新之輔は、風呂敷包みを片手に、ふらりと家を出た。
山門をくぐり、高い石段を登りきると、正面に本堂、左手に経蔵、そして右手に鐘楼があった。そこで新之輔は、身支度を整えた。
風呂敷包みを解き、たすきと脚絆、草鞋を取り出した。
用意が整うと、本堂の後ろに回り込んで、曲がりくねる細道を歩いた。辺りは、いくつもの堂宇が立ち並んでいる。
境内は深い木立に覆われ、新緑の匂いがむせぶほど立ち込めていた。
新之輔はしばし立ち止まって、目を閉じた。
樹木の気が身内に流れ込んでくる――。
やがて、ゆったりと歩を進めた。
木立の間の開けたところに、たすき掛けの藤堂一馬が軽く身体を動かしていた。
辺りは嵐の前の静けさのように、物音ひとつしない。
二人は三間の距離で対峙して、無言で刀を抜いた。藤堂一馬は右下段、新之輔は八相の構えをとった。
互いにじりっと歩み寄り、間合いの手前で静止した。
対峙したまま時が流れた。
何の前触れもなく、藤堂の太刀がわずかに上がると、鋭い踏み込みと同時にしなるように首筋に落ちてきた。それを弾こうと刃を上げたところで、相手の剣が不意に軌道を変えて、空いた左脇へ伸びた。
左足を下げて躱したが、着物の袖を切り裂かれた。とっさに新之輔は、袈裟懸けに斬り下ろして反撃したが、藤堂は右に飛んでいた。
新之輔の剣が、空を切った。
すかさず藤堂が踏み込んで、面を撃ちに来た。
新之輔は右に引いて、かろうじて刃先を避けた。外れた剣が、腰のあたりでぐっと向きを変え、今度は切り上げてきた。
それを三分の見切りで躱すと同時に、新之輔は高く跳躍した。
上から打ち下ろした一撃が、相手の額を割った。新之輔が秩父の山で会得した、石割の極意であった。
弾かれたように藤堂の身体が後ろに撥ね、のけ反って倒れると動かなくなった。
あっけないほどの短い間だが、技の凝縮された勝負だった。
―完―
【あとがき】
最後まで読んでいただいて、有難うございます!
途中で折れそうになったこともありましたが(あっ、ナニの話じゃないですよ)、皆さんが読んでくださってると思うと、自分自身に叱咤激励、なんとか『風の新之輔U』を完結まで持ってくることができました。
作者は70代半ば、精神的にも肉体的にも、衰えを強く感じている年頃です。
毎日、自分を騙しだまし生きていた爺さんが、一念発起、もういちど時代小説を書こう、と思い立ったのです。
前の作品『風の新之輔』は、わたしが爺々悠々に初投稿した作品で、大変思いが強いものがあります。その小説を読み返し、江戸時代の生活風俗をあらためて学習しました。
思いついたことをランダムにメモし、徐々にストーリーが浮かんできたところで、元旦から書き始めました。
頑張りすぎても長続きしないので、ダラダラしながら書きました。
それでも、この作品を書くことで、生涯現役とある方がおっしゃっていたのを、実感しました。(出来ましたら、アチラの方面でも生涯現役でありたいものです)
それに加えて、自分の趣味の世界に浸ることができました。好みの熟年(今は小柄、体毛の薄いなめらかな肌の老けに惹かれます)を登場させて新之輔に色々と弄らせたのです。
アイデアが枯れてきて、途中で逃避行に移ろうかと思ったときもありました。
なんとか中断せずに書き上げることができて、今は素直に嬉しいです。
少し自分が成長したようにも感じます。
これもすべて、読者の皆さんの存在があったればこそです。
今は燃え尽きておりますが、いずれまた、皆さんにお会いするときもあるでしょう。
でも、年寄りの回復力は遅いのです。
どうか気長にお待ちください。
――追伸。
当サイトの管理人さんが、「爺の妄想物語」という新しいコーナーを設けました。
妄想ならわたしの得意中の得意。さっそく投稿しました。
システムの関係上、別のIDとパスワードで登録し直す必要があったので、今回はサンタというハンドルネームで投稿しています。
サンタは昔、「豊漫」という雑誌に投稿していた頃、初期に使っていたペンネームです。
「わたしの前世の妄想」をテーマにして書きました。お暇なときに一度、爺の妄想物語のコーナーに、お立ち寄り下さい。
好若神亀(よしわかしんき)

これも妄想――かもしれません。