■ 血の絆/風の新之輔U - (三)
(三)
江戸に戻った新之輔は、すぐ保科正之のもとに行って報告した。
新之輔が話を終えると、肥後守は腕を組んで考えながら言った。
「南龍公さまは心配ないと分かったが、問題は東山宮さまの言われたことだ。もし目付の一人が賊方についているとなると、下手に動けば向こうに筒抜けになる」
新之輔は言った。
「それでも熊谷宿に行くべきです。東山宮さまのお話では、土御門通斎という男、いよいよ動き出すのではないかとのこと。あまり猶予はありません」
肥後守はしばらく目を閉じて考えていた。そして意を決めたように言った。
「これから書状を書く。その書状を持って、南町奉行の鈴木泰然に会ってくれ。いいか、その上で鈴木と策を練れ。それともうひとつ――」
独り言のようにつぶやいた。「賊の一味がそこに潜伏しているのか、偵察するのはせいぜい二人か三人――。しかし突き止めたら、一気に捕縛すべきだ。そうなると、領地の忍藩の支援が必要になってくる。藩主は老中の阿部忠秋どのだ。奉行あての書状を書いたら、余は阿部どのに会いに行く」
阿部忠秋は、幕閣内で最長老の老中である。三年前、知恵伊豆と呼ばれた松平信綱が他界して、前将軍家光時代から幕閣を支えてきた老中は、阿部忠秋一人になっていた。
芝田藤兵衛がおずおずと口を開いた。
「御前、拙者も新之輔どのと熊谷に参ります」
肥後守は苦笑した。
「大怪我を負ったというのに、そのほうも懲りない奴だ。駄目だと言うても、行くであろうが」
別れ際に、肥後守が新之輔に耳打ちした。
「新之輔、そのほう旅の間に、なんぞ藤兵衛に悪いことを仕掛けたであろう」
「はっ、何のことやら、とくと分かりませぬが――」
「とぼけるな。藤兵衛の歩きを見ると、腰の動きが変わった。あれは男を尻に咥え込んだ動きだ」
「――」
新之輔は上方に行く旅の間、何度か藤兵衛と契りを結んでいた。だから肥後守の言葉に、何とも答えようがなかった。
藩邸を出ると、まず与力の寺内頼母に会って、事情を話した。ちょうど同心の杉山甚八がいたので、三人で奉行の鈴木泰然のもとに行った。
肥後守の書状を読み終わったのち、鈴木泰然は新之輔に向けて言った。
「風間どのは浪人身分だが、老中直属の仕事をしている。このことは内密に、と肥後守さまは書かれている。だからわしも、とやかく言うまい」
老中直属の仕事と聞いて、寺内頼母と杉山甚八が驚いたような顔をした。
奉行は本題に入った。
「肥後守さまは、目付たちに気づかれないように行動しろ、と言われている。そうなると秘密を守るため、少人数で動かねばならぬ」
そこでしばし考えて、「偵察となると、館の敷地内に忍び込まねばならないだろう。身の軽い者が必要だな」
新之輔が言った。
「おそれながら、それについては、拙者に考えがござる。信用のおける忍びに長けた者を存じております。その者に手助けして貰おうと考えておりますが、いかがでしょうか」
奉行が答えた。
「新之輔どのがそう申すのなら、お任せしよう」
結局、町奉行からは寺内頼母と杉山甚八、それに新之輔と芝田藤兵衛の四人が、熊谷宿に向けて行くことになった。新之輔が推す忍びは、追って合流とした。
人目を避けるため暁七つに、分かれて出立し、桶川宿の紙屋という旅籠に集合とした。
新之輔は、南町奉行所から出るとすぐ、海滑藩の上屋敷に向かった。新造に会って、偵察の手助けをして貰うためだ。
向こうから背の高い男がやってくる。
すれ違うとき、鋭い殺気を送ってきた。瞬間、新之輔は横に飛んだ。
「やはり、おぬし出来るな」
男は鯉口を切って刀を抜くと、正眼に構えた。隙のない構えだった。
両足をどっしりと大地に据え、腰を落として、剣の切っ先を真っ直ぐ差し向けてくる。
剥き出しの腕や下肢は、筋骨隆々として仁王のように逞しい。粗削りで武骨な構えだが、風雪に耐え抜いた大木が、寒風を切り裂くような厳しさを秘めている。
「いまは先を急ぐ。どうしても手合わせしたいのなら、後日としてくれ」
新之輔が言うと、相手はあっさりと刀を納めた。
「剣を抜いたのは、おぬしの反応を見たかったからだ。おれは藤堂一馬。武者修行の旅をしている」
名前を聞いてすぐ、羽山竜之進が言っていた男と気づいた。
(そうか、この男が――)新之輔は名乗った。
「風間新之輔だ。本湊町の蕎麦屋に居候している。時が来ればお相手しよう」
「忙しいようだな。ではいずれ」
藤堂一馬は歩き去った。その後ろ姿を見ながら、新之輔は思った。(あの男とは、生死をかけた闘いになるだろう)
翌朝、新之輔はまだ明けきらぬ薄闇の中、家を出た。速足で街道筋を歩いていると、いつの間にか新造が合流している。行李を背負った行商人姿だ。
新造は、二人にしか聞こえぬ声の大きさで、新之輔に話しかけてきた。
「海滑にいる里の者から、情報が届きました。死んだ首藤宗顕さまの義弟にあたられる方が、幕府内にいるとのこと。名前は目付の栗本重利」
(栗本重利――この男が陰の首謀者だな。それに謎の刺客が二度ほど襲ってきたが、それもこの男が送り込んだのかも知れん)
新之輔は、栗本重利の名前を頭に刻み込んだ。
一行は桶川宿で一夜を過ごすと、新之輔と杉山甚八はそのまま熊谷宿へ、寺内頼母と芝田藤兵衛は老中阿部忠秋の書状を持って忍城へ、とそれぞれ出立した。いっぽう新造は四人に先立って、熊谷に向かっていた。
熊谷宿の三町ほど手前の道端で、新造が待っていた。今は背負った行李もなく、百姓の格好をしている。
「宿場は修験者が見張っています。こちらへ」
行った先は農家だった。昔、新造が築いた情報網の手の者だと言う。
年老いた親父と女がいて、藤兵衛が銭を渡すと、いそいそと飯の支度を始めた。
忍城に寄ったあと遅れてやって来た寺内頼母らを加え、一行はその夜、農家に泊った。
新造はその間、ずっと姿を見せなかった。
翌朝、新之輔が目を覚ますと、いつ戻ったのか、新造が横の床に就いていた。
女が用意した麦飯にみそ汁、青菜のお浸しを食べたあと、五人は打ち合わせした。
昨夜、館を偵察してきた新造が、簡単な絵図を書いて報告した。
それによれば、御岳城は、御岳川が荒川に合流するところ、断崖絶壁の上に築かれた館で所有者は土地の豪族、成瀬庄司であった。
南北東の三方は川と深い崖で守られ、唯一開けた西の正門から出入りしている。門の両脇には番所があり、男たちが交代で見張っている。
敷地内は、入り口部分を合わせ、三つの曲輪になっており、主の屋敷は一番奥の曲輪にある。また、それぞれの曲輪の間には塹壕が掘られていて、容易に敷地内を突撃できないようになっている。
「――ざっと見たところ、入り口の番所に五人、中央の長屋に十五、六人、主のいる奥の屋敷に十人ほど、合わせて三十人くらいの人数です。そのうち半数は、修験者風の白い装束をしています。それから――」
新造は略図の上を指さした。「ここに鍵のかかった土蔵があります。中は見えませんが、入り口部分の踏み均した足跡から、かなり重いものを運び込んだようです」
新造の報告が終ると、杉山甚八が寺内頼母に聞いた。
「今聞いた内容で、館の者たちを捕縛できるでしょうか?」
寺内が考えながら言った。
「すぐ捕縛と言う訳にはいかないだろう。盗賊団の住処という、はっきりした証拠はないんだから」
「でも、御取調べということは出来る」
横から新之輔が言うと、寺内頼母はにんまりした。
「そうだ、御取調べに抵抗したら、そのときは捕縛する。忍藩の番方は、すでに忍御成街道を通って、こちらに向かっているはずだ。番方が到着したら、館に向かう」
刺股や突棒などの捕物道具を持つ忍藩の番方二十人、それに新之輔ら五人は、成瀬庄司の館の正門前にずらりと並んだ。
組頭が前に出て、大声で言った。
「忍藩の番方である。館内に不審の動きあり、という通報を受けて御取調べをする。門を開けられよ」
門の内で慌てふためいた物声がして、しばらくして男の声がした。
「こちらで調べたが、怪しいものは出てこなかった。即刻、立ち去られよ」
再び組頭が大声で言った。
「そういう訳には参らぬ。門を開けよ」
門の内で沈黙が続いた。
新之輔は寺内頼母に目で合図を送って、前に出た。長身がフワッと浮いて、高さ七尺の塀に手をかけると、軽々と飛び越えた。
「おのれ、何奴!」「うわっ!」塀の内側で、男たちの罵声や呻き声がした。
ほどなく門が開いて、新之輔が姿を見せた。
組頭を先頭に、番方たちが整然と並んで奥へと進むと、前方に修験者や浪人者たちが武器を手に、バラバラと現れた。
「御取調べを邪魔立てすると、犯罪者として捕縛する」
組頭が大声を上げた。
それが合図となったように、両者ワーッと叫んで戦いが始まった。
新之輔は刀を振るって、奥へと走った。
前方に大きな男がぬうっと現れた。新之輔は六尺あるが、その男は背丈も横幅も、新之輔よりひと回り大きかった。金剛力士のように筋肉隆々の身体をして、手には十文字鎌槍を持っている。一本で槍と薙刀と鎌の機能を持つ、相手にするには厄介な武器だ。
新之輔は思い出した。
(これが東山宮の言っていた坊主の片割れだな)
坊主は槍先を新之輔の顔にむけて、真っ直ぐに構えた。長さ七尺の槍だが、間合いを狂わせようとしているのだ。
新之輔は刀を片手脇構えにして、自然体で立った。
「おっしゃあっ!」
坊主が吠え声をあげて、突き進んできた。新之輔も前に走った。
串刺しになると見えた瞬間、新之輔の姿がフッと掻き消えた――ように見えた。
新之輔は地を這うように低く、坊主の脇を滑り抜け、刀を横に一閃させた。ついで素早く振り返って、右腕を撃った。
左足と右腕を絶たれ、たまらず坊主が倒れた。
「清達!」
番方の相手をしていた坊主が、悲痛な声を上げた。その足元には、四、五人ほどの捕り方が倒れていた。
「おのれえっ!」
もう一方の坊主、栄達が怒声を上げて新之輔に突進してきた。その顔に、ガツンと礫が当たった。栄達の足が一瞬止まった。芝田藤兵衛が投げたものだ。
そのすきを逃さなかった。高く跳躍した新之輔は、栄達の首筋に刀を振るった。
鮮血が迸り出た。巨体がゆっくりと傾き、地響き立てて地に倒れた。
新造は、奥の館の屋根の上から、戦況を見守っていた。主の屋敷から数人の男たちが裏庭に出て、逃げ惑っていた。(自然の要塞も、裏を返せば逃げ場を失うということか)
新造は皮肉な笑みを浮かべた。
一人の男が縄を木に縛りつけ、もう一端を崖下に垂らしていた。
(ほう、川に逃れようというのか)
見ていると、男は小柄な老爺を背中におぶって、縄を伝い下りようとした。
(あれは、新之輔さまが言っていた、土御門通斎だな。少々可哀そうだが――)
新造は竹筒を取り出すと、火縄に火をつけ、火の伝わり具合を見て放り投げた。
弧を描いて飛んだ火薬の筒は、崖を下りる二人の頭上で爆発した。
一刻ほどで、戦いは終了した。
主の成瀬庄司ほか十二名が縄についた。女どもは自由にした。爆発のあおりを食って、崖から荒川に吹き飛ばされた土御門通斎は、顔も分からぬほどの無残な姿で、下流の河原に流れ着いていた。
そして奥の土蔵から、二万二千両のほかに四千両、合わせて二万六千両分の千両箱が発見された。
――*――
「おのれ、またもや風間新之輔が邪魔しおったか」
幕府の目付、栗本重利の顔はどす黒い怒りで染まっていた。前に伏して報告する小沢直作は、顔を上げることもできなかった。
栗本の頭の中で諸々の思いが駆け巡った。義兄の首藤宗顕を殺した風間新之輔に対する個人的恨み、首藤七十郎を海滑藩主に推し立てようとする姉綾乃の願い、そして土御門通斎に持ちかけられた天下騒乱のたくらみ――。
それらがことごとく、風間新之輔によって打ち破られたのだ。
栗本自身は風間新之輔の顔を知らなかった。知る必要もなかった。いつも他人に指示し、己は手を染めなかったからだ。
この上は――。栗本の非情な目が、前に平伏する小沢に向けられた。
小沢直作は、しょげ返って夜道を歩いていた。
御目付の軽蔑したような顔は、今思い出してもぞっとする。(今夜は憂さ晴らしに、馴染みの女のところに寄って、酒でも飲むか)
そのとき、小沢の前にふらりと人影が現れた。柳生左馬之助だった。
「おう、左馬之助、これから深川に――」
そこまで言って、左馬之助の殺気に気づいた。「きさま――」
ふいに、首筋に激痛が走った。意識が遠のいていく――。