■ 血の絆/風の新之輔�U - (二)
(二)
お江戸日本橋七つ立ち――と唄にあるように、新之輔は本湊町の家を、暁七つ(4時)に出立した。
東海道を上るのは久しぶりである。前は豊後まで行った時だ。
途中で芝田藤兵衛と合流し、二人は馬を使って旅をした。
小田原を通り過ぎて箱根湯本で宿をとった。ここは湯治場として有名である。あちこちで湯煙があがっていた。
二人は宿に着くと、すぐ湯に入った。
浴舎の中は湯煙がもうもうと立ち込めていた。平石を敷き詰めた浴槽へ、竹樋の湯が心地良い音を立てて注ぎ込まれている。小窓から風が流れ込み、湯煙りがゆらいで、湯に浸かる藤兵衛の白い肢体が浮かびあがった。
妙になまめかしい風情である。肉付きの良い裸を見て、新之輔の血が騒いだ。
新之輔は、自分が女を抱けず年寄りの爺ばかりを求めるのは、尋常で無いというのは認識していた。しかし自分でも説明できない不条理から、老爺を求める気持ちは消しようがなかった。
それに、いくら我慢しても、時が経つと好色の血がざわめきたって、居ても立ってもおられなくなるのだ。
今がその状態だった。柔で温かい老爺たちの肌が、頭の中を過ぎっていく。身内で精気が弾けるほど充満してくる。
湯の中で、新之輔は藤兵衛に声をかけた。
「藤兵衛、前に九段坂あたりで言っていたな。拙者が望んだら、身を預けると。今宵は、約束を果たしてもらうぞ」
翌朝、藤兵衛は少し足を引きずっていた。馬に乗るときも尻をずらせて乗っていた。
昨夜、新之輔は、藤兵衛の健康的な肉体を堪能した。武道をたしなむだけに、良く締まる弾力があった。それは、嘉平や弥助のような脆弱な肉体とは、違うものだった。
藤兵衛は衆道の経験がすでにあった。若い頃、体術を教えてくれた師が、藤兵衛の身体を求めたという。
それでも、新之輔のへのこを受け入れるに、相当苦しんでいた。
そしていったん衆道の契りを結ぶと、新之輔に対する藤兵衛の態度が変わってきた。主従の関係――立ちと受けの違いが、そうさせるのだろうか。
箱根の関所は、西に行くとき手形がいるが、武士は名乗るだけでいい。二人は大政参与、保科肥後守正之さまの手の者、と言って通り抜けた。
町医者の弥助は往診から戻ったあと、碧雲亭に行った。丁度店も空いていて、嘉平が暇そうに出てきた。秋明は、日本橋まで買い物に出かけていた。
「先生、ちょうどいいところに来なすった。元気の出る茶を調合してみました。大陸から伝わってきた茶です」
嘉平は、土瓶を火鉢に置いて、煎じ始めた。いい匂いだが、赤く濃い色をしている。
弥助は一口飲んで、顔をしかめた。
「これは辛い」
「その辛さを我慢して、飲んでください。そのうち、身体の底から不思議な力が湧いてきます」
二人して飲み始めた。――ものすごく辛い。
「おい、最後まで飲むのか」
「そうですよ、せっかくですから」
身体が火照ってきた。頭の中がぐるぐると回りだした。下腹部も火照って、むずむずしてくる。
「こりゃあすごいな」
「すごいですね。なんだか湯に浸かっているみたいだ」
「――熱い」
二人は着物を脱ぎ始めた。
「なんだか乙な気分になってきた。嘉平、お前さん、新之輔さまに可愛がってもらってるんだろう」
「いやですよ、先生。そんな恥ずかしいことを言って」
嘉平は軽くいなしたが、頭の中は新之輔さまのことでいっぱいだった。切ない思いを誘う切れ長の眼、その気にさせる悪い指――。
弥助は下帯を外しながら言った。
「いいじゃないか、ちょいと私の後架を触っておくれ」
理性を失った二人は、お互いの尻を撫で、菊壺をまさぐりだした。
畳部屋の薄闇に、爺二人の白い肢体が絡まった。
そこに秋明が外から戻ってきた。
「お前さんら、昼間っから何やってんの!」
老爺二人の痴態を見て、秋明が目を剥いた。
新之輔と藤兵衛は馬を乗り継いで、九日で紀伊国に着いた。
徳川御三家のひとり、南龍公こと徳川頼宜に会うのに、前は宮家の東山宮宗顕の手引きで会うことができた。今回はなんの伝手もない。そこで新之輔は文を書いて、和歌山城大手門前に詰めている門番に渡した。
はたして文が大納言さまの手元まで届くのか。新之輔は期待半分で待った。藤兵衛などは、一介の浪人者に紀州藩主などが会うものか、と端から期待していない。
門前で待つこと半刻(1時間)あまり、徒侍がやってきて、お上が会われると伝えた。
「新之輔、久しぶりだな。変わりないか」
「はい、今は江戸の町にて主を持たず、のんびりと暮らしております」
「嘘を付け。そのほう、前に会ったときより精悍さを増している。今もって修羅場をくぐっている顔だ」
新之輔は大広間で、徳川頼宜と会っていた。他には近習二人と芝田藤兵衛だけだったので、さほど構えずに話が出来た。
六十を過ぎた徳川頼宜は、前よりすこし太り気味で顔が赤かった。
(お加減でも悪いのだろうか)新之輔は訝った。しかし頭の鋭さは健在だった。
大納言は、新之輔の顔を真っ直ぐ見ながら言った。
「そのほう、今もって肥後守と繋がっておろう。わざわざ紀州まで来るとは、今度は何を探っている」
(やはり大納言はごまかせないな)
新之輔は正直に話した。いま江戸市中で起こっている不穏な動き――札差や両替商が襲われ皆殺しにあったこと。二万二千両にも及ぶ盗難金が行方不明なこと。身元不明の修験者たちが関わっていること。
最後に言った。「幕府は、慶安の変の二の舞を恐れています。賊どもは資金を集めて、幕府転覆の謀議を図っているのではないか、と」
大納言は豪快に笑った。
「それで余が関わっているのではないか、と疑ったか」
大納言はやおら立ち上がって、袴を脱ごうとした。あわてて近習が近寄る。
「これ、脱ぐのを手助けしろ」
とうとう大納言は、袴を脱いで下帯を晒すという、珍妙な姿になった。
「新之輔、この傷跡が見えるか」
大納言の示すところ、股の辺りに古い傷跡があった。
それよりも新之輔は、頼宜の色白の太ももを見て心騒がせた。下世話のネタで、頼宜が若い頃、三人の若衆を同時に寵愛して、若衆の間で葛藤があったようなことを耳に挟んだ。(大納言は、今も衆道をやっているのだろうか――)
身繕いを整え直すと、頼宜は説明した。
「余は若い頃、なにかと粗暴な振る舞いをした。そのとき老武将の安藤が、剛腕でもって余を押さえつけた。先ほど見せたのは、そのとき負った傷だ。医師は傷跡を直そうとしたが、余は断った。ときどきこの傷跡を見て、爺の諫めを思い出すためだ」
そこで大納言は、はっきりと言った。「いいか新之輔。余は天地神明に誓って言う。幕府に弓引くことはやっていない」
新之輔は黙って頭を下げた。
羽山竜之進は傷を負って伏せっている、と大納言に聞いて、城を出る前に徒侍の案内で、長屋棟に寄った。そこに竜之進は住んでいた。
訪れると、竜之進は庭にいた。手に木刀を持っている。
「傷を負っていると大納言に聞いたが、もういいのか」
「おう、新之輔。おぬし、また腕を上げたな」
竜之進は見ただけで、新之輔の変化を読み取った。
新之輔は訊いた。
「傷を負ったというのは、刀傷か?」
竜之進は話しだした。
「相手の名前は藤堂一馬、二十代半ば過ぎの男だ。出は大和、新陰流を使うが柳生家とは縁もゆかりもないと言っていた。城下の道場主を次々に破って評判になり、それを聞いたお上が御前に呼んで、城の指南番と試合させた。藤堂は難なく指南番を破った。そこでお上は、おれと立ち会えと言われた」
竜之進は一息ついた。
「ところがこの男、おれを見て、木刀ではなく真剣でやりたいと言いだした。剣術の神髄は真剣にあり、と言うわけだ。もとよりおれの考えも同じだ。それで真剣による試合となったが、おれはものの見事に負けた。藤堂が手加減してくれたので、おれは死なずに済んだ」
竜之進は自嘲気味に笑った。
「藤堂は新陰流に工夫を凝らし、ひと言でいえば変化の剣だ。おれと対峙したときは、面を撃ちに来て胴を襲った。足さばきも変化する。真っ直ぐに来て、踏み込みは斜めに飛ぶ。それに動きが速い」
俊敏な竜之進がそう言うのだから、男は本当に速いのだろう。新之輔は、竜之進に聞いた男の動きを想像の中で描いてみた。木刀と違って、刀には刃筋というものがある。刃は空気を切り裂く。それだけに速い。半面、途中で刃筋を変えられない。しかし、藤堂は刃筋を変えられる、と言うのだ。
和歌山城からの帰り道、新之輔は京に寄って、東山宮宗顕に会うことにした。
四年ぶりに会う東山宮は、すっかり白髪になっていたが、品性と共に芯の通った物腰は変わらない。薄墨を筆に含ませ、さっとひと掃きしたような眉毛の下で、澄んだ瞳が好奇心いっぱいに新之輔を見ている。
「ほほう、あんさん、ますます男ぶりが良くなりましたなあ。惚れ直しましたわ」
開口一番、東山宮は言った。新之輔は藤兵衛がいるてまえ、できるだけ情を表に出さないようにしていた。何しろ江戸で、契りを結んだ仲である。徳川頼宜よりひとつ年上と聞いていたが、小柄なだけに健康そうに見える。
東山宮は言った。
「江戸では大きな盗みが、二つもあったそうやな。しかも皆殺しとは――おお、怖」
さすが情報に通じている。離れていても、江戸の情報を入れる伝手があるのだろう。
新之輔は、江戸で起こったことを話した。二つの強殺盗難事件や行方不明の盗難金のことを。修験者たちが関係していると言ったとき、東山宮の眼が光った。
新之輔の話が終わって、こんどは東山宮が話しだした。
「修験者が関係していると聞いて、陰陽師の土御門通斎のことを思い浮かべた。この男、六十半ばになるのに、いつもよからぬことを企んでいる。本人は表に出ないで修験者たちを陰で動かす。江戸で起きていることも、この男が絡んでいるやも知れん。通斎は関東で修験者の集まる拠点を、中仙道熊谷宿の近くに置いている。地元の者は御岳城と呼んでいる館だ」
東山宮は考え込んだ。「――通斎は、二年ほど前に江戸に行った。そして五日前、再び江戸に向かったと報告があった。今度は清達と栄達を伴っていたと聞くから、いよいよ何かやるかも知れん」
東山宮は説明した。「清達と栄達というのは、宝蔵院流槍術をこなす坊主どもだ。見た目すごく怖いぞ。ほら、寺院山門の両側にある、阿吽の仁王像だ。あれそっくりや」
宝蔵院流槍術は、奈良で柳生新陰流剣術とともに発展した槍術である。十文字鎌槍は、「突けば槍、薙げば薙刀、引けば鎌、とにもかくにも外れあらまし」とうたわれるほど攻防に優れているとされている。
話の締めくくりに、東山宮は新之輔の顔を見ながら言った。
「どうやら、あんさんは、この事件に深く関わっているようやな。なら、清達と栄達に気を付けなはれ。この二人、宝蔵院に並びなき槍の使い手と聞く。それからこれは不確かな情報やがな――通斎は幕府の目付の一人と通じている」
話が終わったとき、東山宮は言った。
「新之輔はん、もちろん今宵は、泊まって行くのであろうな」
その夜、東山宮は、これまでの無聊を取り戻すかのように、新之輔の身体を執拗に求めてきた。そして新之輔の身体の下で、乱れに乱れた。