目 次
■ 血の絆/風の新之輔�U - 第五章 蠢く陰謀
幕府の目付栗本重利は、南町奉行所を出ると、供侍二人と小者を従え、御城と反対方向の数寄屋橋御門を出て南に向かった。目付の仕事は、将軍の耳目となって情報を集めることであり、こうして町奉行所に出張することもあった。
やがて栗本重利は、芝口の料亭に入った。
「その方らは下で待っておれ」
ひとこと言って、店の者の案内により二階にあがった。
部屋には徒目付、小沢直作が待っていた。
二人はしばし酒を飲んだあと、栗本が口を開いた。
「金を早めに移動させておいて良かった。奉行の鈴木泰然の話によれば、千住の寺を調べたが金は見つからなかった、と言っている。どういう伝手で千住の寺のことを知ったか不明だが、いずれにしろ町方は、八方ふさがりの状態だ。それから――風間新之輔が、江戸に戻ってきた」
小沢がくやしそうに言った。
「きゃつは凄まじい剣の使い手です。刺客どもも歯が立たなかったし、宝山たちも皆殺しにされました。その上、肥後守とのつながりもあるようです」
栗本は鷹揚に応えた。
「ふむ、こちらの耳には届いていないが、案外、肥後守の隠密かも知れん」
「そうなると、もはやきゃつには手が出せませぬ」
「いざとなれば、左馬之助を使う。それにしても、小壺芳美を殺したのは間違いだった。以前は海滑藩の医師だったので、何か役立つ情報を持っていたかもしれんのに――」
小沢は素直に謝った。
「新之輔に揺さぶりをかけるつもりでしたが、うかつでした。申し訳ございません」
栗本はとくに咎め立てもせず、次の質問をした。
「海滑藩の田上半四郎はどうしている」
「風魔を使って、多七と縫の行方を追っています」
「まだ見つからぬのか」
「はっ、二年かけて見つからないところをみると、すでに死んでいるのでは――」
「だといいが、万が一生きていたとすると、思わぬところから綻びが出るやも知れん。あとしばらく探させてみよ」
「ははっ」
「首藤家宗に忠実なのは、国元にいる城代家老の長尾将左衛門、江戸家老の室井正俊、そして側用人の堀昌之だ。少し揺さぶりをかけてみるか」
「左馬之助を使いますか」
「それは愚かな策だ。これらを殺せば、幕府の耳目をひく。それに、長尾は六十過ぎの爺だ。放っておいても、その内くたばるだろう」
「堀昌之は、肥後守が海滑藩に送り込んだと聞きます。こちらも手が出せませぬ」
「肥後守の耳に入らぬ手段が必要だな。堀は家光公の小姓だった時代がある。奴を拉致して、徹底的に辱める。されば堀とて、とても表沙汰にはできぬ。あるいは辱められて自決するかも知れぬ」
「では、まず堀を責めまする」

(一)

海滑藩側用人の堀昌之は、堀田備中守正俊の屋敷を辞すると、若党二人に中間という身軽な供連れで、暮れゆく浜町川岸を歩いていた。
先ほど会った備中守の感触がよかったので、堀はすこぶる機嫌が良かった。備中守は堀の甥にあたり、今は幕府の奏者番をしている。奏者番は、殿中での武家の礼式を司る役職であり、大名が将軍に拝謁する際の取り次ぎなども行っている。
堀の主君首藤家宗が、四代将軍家綱の覚えめでたく、元服改名時に家綱公の家の一文字をいただいたのも、備中守の後押しがあったればこそだ。
そのときふと、若党二人が堀の前に出た。
前方に立ち塞がるように、一人の侍が立っていた。
「何奴!」
若党の一人が誰何した。
先方が平然と言った。
「堀昌之に用がある。大人しくこちらに渡せ」
「なにっ!」
不意に相手が走り寄った。
「ぐわっ」「うぐっ」
護衛の二人が刀を抜く間もなく、くず折れた。抜く手も見せぬ早業だった。
「ひいっ!」
中間が逃げようとしたが、背後から首を撃たれてのけ反った。
その侍は堀に目もくれず、後から来た浪人風の二人の男に声をかけた。
「あとはお前たちに任せた。連れていけ」

新之輔は岡っ引きの勘三郎と連れたって、暗くなった通りを歩いていた。浅草に行った帰り、船場亭に行く途中だった。
「おや、あれは――」
新之輔は、闇の先から不穏な気配を感じて、歩を速めた。
血の匂いがした。地に倒れた複数の人影――。走り寄ると、若い侍が二人と小者らしい男が倒れていた。侍の一人は浅い息を吐いていた。
「しっかりしろ。誰にやられた」
「分からぬ――殿が――」
「連れ去られたと言うのか。名前は」
「堀昌之さま――海滑藩――」
そこでこと切れた。堀昌之の名前に覚えがあった。以前、会津藩中屋敷の門前で見かけた男だ。確か海滑藩の側用人をしている、と御前は言っていた。

――唐突に殺気を感じた。
顔を上げると同時に、白刃が凄まじい勢いで振り下ろされた。
新之輔は瞬時に反応した。
後ろに引かず、上半身のひねりとわずかな足運びでこれを躱した。
「なにやつ!」
新之輔は誰何した。
年の頃三十、男は冷たい目をしていた。一太刀を躱されると、地擦り下段に構えた。
「ほう、おぬしは新陰流をつかうか」
新之輔は剣を抜きながら言った。
その時、呼笛の音がした。勘三郎が吹き鳴らしたものだ。
「ちっ」
男は舌打ちすると、闇に消えていった。

堀昌之は男二人によって、屋根船に連れ込まれていた。
「何をする!おのれ」
床に組み敷かれたまま後ろ手に縛りあげられ、堀は激しく抵抗した。
しかし、屈強な男二人に対して、なすすべがなかった。
男たちは堀に首縄をかけ、捕縛した罪人のように荒々しく扱った。後ろ手に縛られ、太縄が屋根の梁に引っ掛けられた。
屋根の低い船の中で、小太りの身体がうつ伏せに釣り上げられた。両膝は畳についたまま、上体を浮かせた格好になる。袴を引き脱がされ、着物の裾をめくり上げられた。
ついで下帯が解かれる。
「ほほう、そそられる尻をしている。さすが公方様の小姓を、務めていただけのことはある」
男たちは、堀が前将軍家光の小姓であったことを知っていた。
男の手が、剥き出しにされた双丘を押し開いた。
「蕾もきれいな色をしている。さぞかし具合が良さそうだ」
男の指が無遠慮に、肉襞の内にズズッと入り込んだ。
「おのれ、やめんかっ!」
堀は激しくもがいた。
押し入った太い指が、内の具合を確かめるように、肉筒の襞を探り始めた。

「おそらく船で連れ去られたのだろう」
新之輔は勘三郎と二人して、大川のほうに走った。
両国橋を過ぎたあたりを、一艘の屋根船がゆるやかに漕ぎのぼっていた。菅笠の船頭が艫の櫓をきしませ、黒い滑らかな川面に一筋の波紋を描いている。
二人は近くの船宿に行って、猪牙舟を出させた。
屋根船に近づいていくと、白い障子戸の内側から、年配の男らしい苦痛に満ちた呻き声が微かに聞こえてきた。

「おう、その船、ちょいと待ちな」
勘三郎が十手を見せて、船頭に声をかけた。船頭がギョッとしたように、手を止めた。
新之輔は屋根船に飛び乗り、障子戸を開けた。
途端、男が刀で突きかかるのを避け、掌底で喉を突いた。もう一人が刀を振りかぶろうとして、刃を梁に食い込ませた。新之輔はすばやく近づいて、当身を食わせた。
後ろ手に括られ、梁に吊るされた堀の姿は、男たちが何をやっていたのか、一目瞭然だった。剥き出しにされた尻が、いかにもはかなげだった。
新之輔と勘三郎は、堀の受けた辱めをおもんばかって、声をかけなかった。
男たちは身なりからして浪人者のようだった。二人を縛り上げ自身番屋に連れて行った。船の船頭は身元が分かっていたので、縄はかけなかった。
堀をすぐ藩邸に戻すのは、本人も難色を示したので、とりあえず碧雲亭に連れて行くことにした。

碧雲亭に行くと、嘉平に無理を言って、湯殿の用意をさせた。いつもは外の湯屋を利用するのだが、堀が嫌がるだろうと思ったのだ。
蕎麦屋は営業中だったが、嘉平は文句ひとつ言わず、秋明とお初を手伝わせて、湯を焚き、浴槽を湯で満たし始めた。
その間、堀には蕎麦を食べさせた。腹が満ちれば、少しは気持ちが落ち着くだろう。
事情を聞くのは、その後だ。
湯殿の用意ができると、堀に湯を使わせた。堀はずいぶん長いこと湯殿にいた。替えの着物は、秋明の着物と下帯を用意させた。
[21/03/08 10:30 神亀]
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