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残影/風の新之輔U -  (五)
(五)

つづら折りの坂を上って、ふと振り返った。
ここは九段坂の上あたり、江戸の街が一望できた。空は雲一つなく、煌々と輝く中秋の名月が浮かんでいた。
墨を流したような闇に沈む民家の屋根を、白々と月光が照らしている。
(これが見納めになるかも知れん)
これから起こる修羅場を思い、新之輔は心の中でつぶやいた。
目的の屋敷の前に立ったとき、澄み渡った空とは対照的に、地上では風が出てきた。すっかり葉を落とした柿や欅の枝が揺れていた。
決戦を前に、四人は戦支度を整えた。
新之輔はたすきで袖をしぼり、裁着袴に草鞋を履いた。腕には鉄の板を縫い込んだ小手をつけた。複数の敵を相手にする合戦の知恵だ。
ふと、塀の上に人の影を見た。影が敷地内を指し示し、「十八」と言った。それに応え、秋明が軽く手を上げた。敵の数を教えてくれたのだ。
新之輔は訊いた。
「秋明、あの者は?」
「わたしに情報をくれた者です」
「秋明、おぬしは本当に謎の多い年寄りだな。すべてお膳立て済みって訳だ」
秋明は飄々と答えた。
「それはもう、お慕いする新之輔さまのためですから」

敷地内に忍び込み、奥の一軒家のほうに向かっていると、突然男たちがばらばらと出てきて前を塞いだ。中央にいる男が口を利いた。
「ここは寄合旗本竹内さまのお屋敷だ。勝手に入ると、賊と見做して成敗するぞ」
語りに上方訛りが入っていた。男は片手に槍を掴み、物事に動じないようなふてぶてしい面構えをしている。左眼の上に傷跡がある。この男が頭領であるようだ。
「奸賊が、我らを賊と言うは笑止。伊勢屋や出雲屋を襲ったのは、うぬらであろう」
新之輔が言うと、相手は怒声を発した。
「お前らは何者だ!町方とも思えぬが」
「無抵抗の人間を一方的に殺害する奸賊に、憤りを覚える者だ」
そのとき、松岡東洲斎が声を出した。
「水木剛太夫はおるか」
「おう、なんだ」
髭を生やした大柄な男が、前に出た。派手な服を着ていた。
「王子の松岡東洲斎だ。娘の香月に覚えがあるか」
髭の男がにやついた。
「女の名前なぞ、いちいち覚えておれるか!王子と言えば、手籠めにしてやった女子がいたな。ひいひい泣いて喜んでいたぞ」
「おのれっ!」
東洲斎が前に出るのを押しとどめて、新之輔は頭領とおぼしき男に訊いた。
「金を盗むのに、なぜ全員殺した。中には店と無関係の者もいたんだぞ」
「殺した理由か。理由は簡単だ」
男がせせら笑った。それにつられて背後の男たちも笑った。
「殺しが楽しいからだ」
「――!」

いきなり、新之輔は前に踏み込んで、抜き打ちに剣を振り払った。
怒りに満ちた白刃が男の頸動脈に吸い込まれ、鈍い音を立てて脛骨を寸断した。と同時に凄まじい血飛沫が男の首から噴きあがった。胴から離れて宙に飛んだ首が、地に落ちて転がった。ついで首を失った身体が、膝からくずおれた。
「ひっ!」
周りの男たちが、度肝を抜かれて一歩下がった。
闘いの火ぶたが切って落とされた。
新之輔は容赦しなかった。(一人残らず斬ってやる!)
多数を相手にするときは、刃で切らぬほうがいい。幾人も斬っているうちに、切れ味が鈍くなる。刃が肉に食い込んだり、曲がったり、不測の事態になる恐れがある。
しかし新之輔は、怒りに我を失っていた。
剣術の駆け引きなどなかった。次から次に、叩きつけるように敵を斬りまくった。
新之輔の背後の敵が、くぐもった呻き声を上げた。喉に棒手裏剣が刺さっていた。立木の後ろにいる影がちらりと見えた。
鬼と化した新之輔の激しさに、残りの賊はすっかり怖気づいていた。
逃げようとする敵を、藤兵衛と秋明が挟み撃ちにした。東洲斎のほうは、傷つきながらも二人の賊と戦っていた。
十人余りを斬ったとき、新之輔の持つ剣が折れた。大和須佐之介が鍛えた剣だった。
それでも折れた剣で、二人の敵の喉を切り裂いた。

半刻あまりで戦いは終わった。辺りは血に染まる賊たちの骸が、累々と転がっていた。
いっぽう屋敷のほうは、ひっそりと静まり返っている。屋敷のあるじ竹内惣九郎の家人たちは、鳴りを潜めているようだ。
新之輔は浅い切り傷を負ったぐらいだが、敵の返り血を浴びて、顔も衣服も朱に染まっていた。
松岡東洲斎が足を前に投げ出し、柿の木にもたれかかっていた。すぐ傍に、水木剛太夫の死骸があった。東洲斎は娘の仇を打ったのだ。
東洲斎が新之輔を認め、右手をわずかに動かした。新之輔は跪いてその手を握った。肩と腹を斬られていた。
「松岡どの――」
声をかけて、続く言葉を失った。老剣士には、すでに死相があらわれていた。
東洲斎がつぶやいた。
「風間どのと一緒に戦えて――誇りに思う。これで――武士として死ねる」
東洲斎は遠くを見る目つきをした。
「――香月」
ひと言つぶやいて、うなだれるように頭を落とした。それが東洲斎の最後であった。

そこへ小柴秋明がやってきた。胸と左腕から血を流していた。
芝田藤兵衛は表門のところで、扉に背中を預けていた。ここで逃げる賊を、食い止めていたようだ。数か所斬られ、衣服が裂けていた。かなりの血を失ったらしく、蒼白な顔色をしていた。
「藤兵衛、気をしっかり持て」
声をかけると、藤兵衛がかすれた声で言った。
「拙者は大丈夫だ。門の外は町方が取り囲んでいる。拙者は顔を見せるわけにいかん。このまま残してくれ」
「しかし、この傷では――」
「大丈夫、見た目ほどひどくはない。先ほど小紋と話した。会津藩から助けが来る」
「小紋とは、誰のことだ」
新之輔が訊くと、藤兵衛は一瞬、しまったという表情をした。
そこで秋明が声をかけた。
「とにかく藤兵衛さんを、目立たぬところに運びましょう」

藤兵衛を敷地奥に運んだあと、表門に戻り、閂を外して門扉を開けた。
町方たちが門を取り囲むように待ち構えていた。先頭に与力の寺内頼母の姿があった。杉山甚八や岡っ引きの勘三郎の姿もある。
顔も服も血に染まった、新之輔の凄惨な姿を見て、思わず町方たちが後退った。

――*――

新之輔は町民の入る大牢に入れられた。
そこには長期間入牢する牢名主がいて、牢屋を管理するというしきたりがあった。十枚積み重ねられた見張り畳の上に寝そべって、新入りの罪人をいたぶる楽しみか、罪人が持ち込むツル(銭)を期待する。この牢名主に睨まれれば、生きていけない。
入牢するとまず仕置きを受ける。尻を出させて決め板で叩かせるのだ。
可愛らしい新入りなら、女のように犯すこともある。ツルを持っていれば手加減されるが、持たなければ過酷な仕置きを受ける。それで命を落とす者もいる。
新之輔は、ツルなど知る由もない。四人がかりでうつ伏せに手足を押さえられ、他の男たちが仕置き板で、背中や尻を叩き始めた。
「こいつ、いい身体つきをしてやがる。仕置きのしがいがある」
男たちは手加減しなかった。尻や背中の皮膚が破れ、血が滲み出た。
理不尽な仕置きに、新之輔は怒りを覚えた。それに、旗本屋敷で男たちと戦った、荒ぶる気持ちが尾を引いていた。
新之輔は、手足を押さえる男たちをものともせず立ち上がると、手加減なしに攻撃した。牢内に男たちの悲鳴と泣き声が流れ、いつしか全員叩きのめされていた。
「今後おれに触れる奴がいたら、お前のふぐりを引っこ抜くぞ」
その一言で、五十代の牢名主は震えあがった。

それでも新之輔は注意を怠らなかった。少しでも隙を見せたら、殺されるだろう。
夜になると、皆から離れて休んだ。眠りは浅く、疲労が溜まった。
入牢して二日後、秋明が送られてきた。大番屋での取り調べが長引いたようだ。
傷の手当てを受けていたが、五十六歳の秋明は、仕置きをされればすぐ死んでしまいそうなほど、弱って見えた。
新之輔は、牢名主の耳元でささやいた。
「あの年寄りは傷を負っている。仕置きを勘弁してやれ」
「だが、牢の決まりがある。仕置きをしなければ、皆の手前、示しがつかん」
「だったら仕置きをやれ。あの年寄りが死んでしまえば、お前を同じ目にあわせる」
そんなやり取りがあって、結局、秋明の仕置きはなくなった。
新之輔は他の罪人たちに言った。
「この爺は、おれの稚児にする。手を出す奴はおれが相手だ」
この頃には新之輔も、秋明が肥後守の命で動く隠密だと気づいていた。
「秋明、胸と腕の傷はどうだ」
「なあに、これくらいの傷、大丈夫です」
秋明は強気で言ったが、声が弱々しかった。傷は相当深いようだ。
二人は交互に寝て、起きているほうが、寝込みを襲われないよう見張りについた。
秋明の寝顔は、信じられないほど幼く見えた。まるで童のようだった。新之輔はその寝顔を見ながら、死ぬなよ、と強く念じた。
新之輔は断罪を覚悟していた。切腹させられるのか、首を斬られるのか――。そうなっても、小壺芳美の仇を討ったと思えば、本望だった。
実刑を待つ間、新之輔は秋明といろんな話をして過ごした。
秋明がふと訊いた。
「風の旦那が持っていた、折れた剣は変わった形をしていましたね。何か謂れがあるんですか」
新之輔は退屈しのぎに話した。出雲の鍛冶師、大和須佐之介に出会ってから、白兎神社に納めていた剣を譲ってもらったこと。偶然出会った熊野宮の円窓という宮司に、研いでもらったこと――。

南町奉行所の同心、杉山甚八は、会津藩上屋敷の門前で緊張していた。ここはもう御城の内側である。町奉行の同心が幕府の大政参与と会うことなど、尋常では考えられないことだった。
通された奥座敷で待っていると、保科正之が近習を伴ってやって来た。
平伏した甚八の耳に、意外と優しい声が聞こえた。
「杉山甚八、おもてを上げよ」
顔を上げると、穏やかな表情の肥後守が話を始めた。
「風間新之輔ほか数名が、寄合旗本竹内惣九郎の屋敷に侵入して、十八名の男たちを斬殺したと聞く。この件は奉行から報告があって大筋はわかっておる。そのほうに聞きたいのは、現場の声だ。そのほうは風間新之輔と、近い付き合いだそうだな。この事件の背景を聞かせてくれ」
甚八は、新之輔と共に行動したことや勘三郎に聞いたことを思いだしながら、整理して話した。新之輔が親しくしていた、医師の小壺芳美が殺されたことも。
肥後守は口を挟まず静かに聞いていたが、最後に問うた。
「大牢に入るとき仕置きを受けると聞いたが――風間新之輔は無事なのか」
「はっ、無事でなかったのは、牢役人や仕置き人たちのほうでした。あごやのど、あばら骨、果ては腕や足を折られ、それはもう凄まじいものでした」
しばらく考えていたが、肥後守は言った。
「うむ、分かった。今日はご苦労であった」
あまりにもあっさりと終わったので、甚八は拍子抜けする思いだった。

町同心が帰ったあと、保科は物思いに耽った。
小紋から報告を受けたことと、今日、同心に聞いたことを合わせれば、新之輔の行動が良く分かった。と同時に、今の武士のありように矛盾を感じた。
家に属する侍が、家を守ることを優先させ、罪無き人を見捨ててしまう。そして、主家を持たぬ新之輔のような浪人が、武士の本文を果たす。新之輔の前では、人の身分など虚勢の衣だと思い知らされる。
芝田藤兵衛は、主である保科に無断で、新之輔に助太刀して重傷を負った。町人として、隠密行動をしている小柴秋明もしかりだった。
ふたりを責めるつもりはなかった。藤兵衛は義憤に駆られて助太刀したと言っているが、別の意思もあったのではないか。
男が男に惚れる――。(藤兵衛の奴、新之輔に懸想したか)
次の日、保科は登城すると、南町奉行鈴木泰然を部屋に呼んだ。

ここは中仙道熊谷宿の近く、荒川の断崖絶壁の上に建つ豪族の館――。
「早めに金を千住から移したのが、せめてもの幸いだった。このうえは、しばらく鳴りを潜めて時期を待つのじゃ」
「承知いたしました。この成瀬庄司、命に代えて金を護ります。それにしても、あの宝山どのが討たれるとは――」
「小沢の話によれば、風間新之輔なる浪人者に討たれたらしい。宇都宮で邪魔をしたのもこの男のようだ」
「いったい何者でしょうか。ひょっとして幕府の隠密では――」
「それは分からぬ。――とにかくわしは、いったん京に戻る。後を頼むぞ」
言うと土御門通斎は、席を立った。
                       『血の絆/風の新之輔U』につづく
[21/02/22 07:33 神亀]
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