■ 残影/風の新之輔U - (四)
(四)
小柴秋明は、神田川沿いの柳原通りを西に歩き、和泉橋を渡った。
ここから筋違御門の外側まで、広い火除けの明け場が設けられている。材木や薪を生業とする店が連なり、河岸場から揚がった材木が、五尺ほどの高さでずらりと積み並べられている。
その町家と明け場の間に、よしず張りや薦掛けの小屋が軒を連ねていた。これには物乞いが住みついたり、ねぐらの定まらぬ大道芸人が芸を披露してわずかな日銭を稼いだりしていた。この者らは通りの清掃をやっているので、町方もそのままにしている。
秋明はあたりの様子をうかがい、ひとつの見世物小屋に入った。
小屋の中には身の丈四尺(120センチ)ほどの侏儒がいた。ふっくりと太目の身体つきだが、爺顔である。澄んだ輝きを見せる小さな瞳と、顔のど真ん中にある大きな鷲鼻の組み合わせが、どことなくとぼけた、愛嬌のある表情を作っている。顔を別にすれば、四十そこそこの歳に見えた。
侏儒は秋明を見て、前置き抜きに話しだした。
「下っぴきは殺された。殺ったのは水木剛太夫だ。可哀そうだが、助けようがなかった」
秋明は驚いたが、気を取り直して訊いた。
「賊の隠れ家は分かったのか」
「ああ。九段坂の上あたり、寄合旗本竹内惣九郎の屋敷だ。敷地奥の一軒家に修験者風体の男たちが十五人ほど住んでいる。見たところ鍛え上げた武闘家のようだ。おそらく宇都宮で御前を襲った男たちの仲間だろう。水木剛太夫は、彼の者らと手を組んでいる」
秋明は考え込んだ。
「賊は大仕事をやったあとだ。ぐずぐずしてると、盗んだ金と共に江戸から逃げてしまう。それに風間新之輔は、小壺芳美を殺されて怒り狂っている。このことを知ると、一人で殴り込みをかけるぞ」
「おいおい、それは無謀だろう。いくら新之輔の腕が立つと言っても、相手は十五人以上の武闘集団だ。――町方は使えないのか」
「町方は駄目だ。悪の巣窟になっているとはいえ、武家の屋敷には入れない。かと言って火付盗賊改にも伝手はない――助太刀は、他で探すしかない」
「当てがあるのか?」
「まず、お前だ。侏儒の小紋と言えば、手裏剣技の名人だ」
小紋が鼻を鳴らした。
「馬鹿を言え!そんなことをすれば、御前に叱られる。おれたちの役目は、隠密行動に徹するべきだぞ」
「まあ、内緒で助ければいいではないか」
秋明は軽く言った。「もう一人、助太刀となりそうな侍がいる。王子で道場を開いている松岡東洲斎だ。娘が男に犯されて自害している。その男とは水木剛太夫のことだ」
元八の死骸は、一ツ橋御門あたりの外堀で見つかった。殺されて二日が経っていた。
葬儀は船場亭の店を休業して行った。下総の国元から、百姓をやっている母親と弟がやって来た。
葬儀の場に、新之輔がふらりとやってきて、仏の前で焼香した。
元八の遺体を谷中の墓地に移したあと、勘三郎は同心の杉山甚八に声をかけて、船場亭に戻ってきた。女将のハナが熱燗とつまみを出して、引っ込んだ。
「畜生、元八の仇はきっと取る」
勘三郎は、元八ひとりで追跡させたことをまだ悔やんでいた。「元八は水木剛太夫たちの後を追っていた。元八を殺ったのは剛太夫たちと考えられるが――」
「考えられるが、どうした」
後を引き取って、杉山が訊いた。
勘三郎が考えながら言った。
「元八の骸は、一ツ橋御門辺りで見つかりました。あの辺りは水が東に引かれていますから、堀に投げ込まれたのは西の方、俎板橋辺りまでが考えられます。ところが剛太夫の住む屋敷は神田ですから、方向が逆だし、離れすぎています」
「剛太夫が自分の屋敷に戻ったとは限らんぞ」と杉山が言った。
勘三郎がうなずいた。
「この二日間、剛太夫の屋敷近辺に聞き込みをさせましたが、どこも同じような話を聞かされています。あの剛太夫を怒らせると、仕返しが怖い。仲間に気の荒い侍が何人もいる。性質(たち)が悪く乱暴を働くので、皆困っている。――そんな話ばっかりです」
杉山が言った。
「父親の水木三太夫は三千石の旗本だ。学者肌の聡明な男と聞くぞ」
そのとき、離れたところで一人黙って酒を飲んでいた新之輔が、初めて口を利いた。
「いかに聡明な男だとしても、息子の不祥事を見逃す道理はない。親には息子を正す義務がある」
その目は怒りに燃えていた。
新之輔が帰ったあと、杉山甚八は勘三郎に言った。
「さっきの新之輔の顔を見たか?」
「ええ。普段はのんびりとして穏やかな男なのに、わしでも怖くなるような眼つきをしていました」
「何の罪もない小壺芳美が殺されたのだ。このままでは、新之輔が何をしでかすか分からん。いいか勘三郎、これからは新之輔に、へたな情報を入れないよう気をつけてくれ。奴に暴走されたら、とんでもないことになりそうだ」
「そうですね。重々承知いたしました」
勘三郎は何度もうなずいた。
次の日の夕方、朝からいなかった秋明が碧雲亭に戻って来て、お話があります、と新之輔を二階に誘った。
「わたしは江戸の生活が長いので、いろんな情報筋を持っています。これからお話することは、確かな情報筋から得たものです」
秋明は正座して新之輔に話しかけた。「まず、勘三郎さんのところの元八は、水木剛太夫に斬られました。剛太夫は念流を使います」
葬儀のあと勘三郎と杉山の会話を聞いていたので、新之輔はうなずいた。それに元八の刀傷が右の首にあったということも、念流と聞いて符合した。
秋明は話をつづけた。
「剛太夫たち三人は、元八を斬ったあと、九段坂の上にある寄合旗本、竹内惣九郎さまの屋敷に入って行きました。敷地奥の一軒家には、修験者のような男たちが十五人ほど宿泊しています」
そこで新之輔の顔に浮かんだ表情を見て、秋明はうなずいた。「この修験者風の男たちと水木剛太夫たちが手を組んで、伊勢屋と出雲屋を襲ったのは間違いないでしょう。それから盗んだ金ですが――」
そのとき、店の手伝いに来ていた小娘が、二階に上がってきた。
「あのう、年寄りのお侍さんが見えられています。秋明さんを訪ねて――」
「分かった。嘉平さんに言って、お侍に何か食べさせてやってくれ」
娘が下に行くと、秋明は話を続けた。
「浅草の花川戸に、年寄り夫婦がやっている船宿があります。どうやらそこは、賊どもの手の者らしいです。昨夜、九段坂の旗本屋敷から人足に変装した男たちが、浅草の船宿に行き、荷物を屋根船に乗せて千住まで運び、そこの小さな寺の裏庭に埋めました。千両箱で二十二個。つまり二万二千両あったということです」
そこまで聞いて、新之輔は立ち上がった。
「金を隠したとなると、男たちは引き上げるつもりだ。すぐ旗本屋敷に行く」
階下におりると、王子で道場をやっている松岡東洲斎が食事をしていた。
驚く新之輔に対して、東洲斎が頭を下げた。
秋明が間に立った。
「まず腹ごしらえしましょう。旗本屋敷に行くのはその後だ」
碧雲亭の外で、東洲斎は改めて挨拶した。
「松岡東洲斎、義により助太刀いたす」
すでに事情を聴いているようだ。
「しかし、相手は二十人近くの手練ればかり。生きて帰るのは難しい」
新之輔が言うと、東洲斎はきっぱりと言った。
「それはもとより覚悟してござる。六十二歳の爺、死に場所を探していたのです」
「――」
新之輔は無言で、すっきりと立つ白髪の老剣士を見た。
東洲斎が恥じらうように言った。
「言うまいと思っていましたが――実は死んだ娘の恨みをはらす為でもあるんです。香月は、水木剛太夫の慰みものにされ、自害して果てました。ひとときは諦めておりましたが――」
そこで秋明のほうを見た。「小柴どのにこの度のことを聞いて、再び無念の思いが募ってきたのでござる」
新之輔は、秋明の腰に一本差しがあるのを見て驚いた。
「秋明、おまえも戦いに加わるつもりか」
秋明は澄まして言った。
「これでも昔は武士でした。剣の修行もしたことがあります。まあ、年寄りの冷や水と言われかねませんが、頭数にはなるでしょう」
秋明が先導して、三人は夜の街を歩いた。道すがら、新之輔は秋明に訊いた。
「町方でも、おまえに訊いたような情報を掴むのは至難だ。秋明、おまえ本当は、幕府の密偵ではないのか?」
秋明はのらりくらり答えた。
「さあ、どうでしょうか。まあ、新之輔さまのお好きにお考え下さい」
神田橋御門の辺りを歩いていると、いつの間にか芝田藤兵衛が合流していた。
「藤兵衛、おぬし――」
新之輔が言いかけると、藤兵衛が先に言った。
「義により助太刀いたす。ただし――御前には内緒だぞ」
「相手は大勢だ。死ぬかもしれない――」
「ほう、新之輔は戦う前に、死ぬことを考えるか。よし、生きる執念を持たせるために、約束しよう。我らが生き残ったら、拙者を好きにしてくれ」
「好きにしろとは、どういうことだ」
「御前がよく言われていることだ。新之輔はへそから下の人格が無い。だから、気をつけろと――」
新之輔は、開いた口がふさがらなかった。