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残影/風の新之輔U -  (二)
(二)

風間新之輔は、保科正之、徳川光国に同行して、日光東照宮に向かっていた。
大げさにせず人数を絞った旅といっても、徳川御三家の一人と幕閣の大政参与の同行だ。武術に秀でた選りすぐりの武士が十六人、それに荷物持ちや雑用をする用人が十人ほど、全部で三十人ほどの行列である。
保科正之、徳川光国始め六人が、馬に乗って旅をした。風間新之輔と芝田藤兵衛も、その中に入っていた。
日光御成街道を行き、岩槻の城下町が最初の宿となった。

その日、落ち着いたところで、新之輔は肥後守に呼び出された。部屋には、肥後守のほかに、徳川光国がいた。
肥後守が新之輔を紹介した。
「この男が天下の風来坊、風間新之輔だ。ときどき余のもとで働いている」
光国は新之輔を真っ直ぐに見た。眼力のある男だった。
「ほう、いい顔をしている。大らかな様子だが、一分の隙もない。さすが肥後守さまが、惚れただけはある男だ」
このとき徳川光国、別名子龍は、三十五歳。二年前に水戸藩の家督を、継いだばかりである。大柄な偉丈夫だった。声は野太く、態度は豪快そのもの。史書を編纂していると聞いていたので、学者肌の風貌を想像していたが、意外に武人肌の人物であるようだ。新之輔はふと、紀州にいる大納言徳川頼宜を連想した。
徳川光国は五年前、泰姫が二十一歳の若さで死去し、以来、正室をとっていない。このことから、光国の一途さが伺える。

話は弾んだが、新之輔はほとんど聞き役に回っていた。
肥後守と光国は、お互いの技量を認め合っているようだ。
光国は肥後守のやり方を、宰相の手腕と褒めた。
己は前に出ず、かといって退くことなく、幕府全体の和を考えて動く。特に評価しているのは、明暦の大火への対処であった。明暦三年(1657年)に起きた大火災は、江戸の六割が灰燼に帰し、江戸城天守も消失した。
肥後守は、消失が確実な米蔵の米を「持ち出し御免」として町民に開放すべし、と幕閣や将軍に進言した。これに頼房や頼宜ら徳川御三家が率先して賛同し、直ちに触れが出されたのである。
このとき光国も、水戸家で同じ判断をし、大店より米味噌を買い上げ、半分を「持ち出し御免」として、町民たちに触れを出させた。
明暦の大火のあと、御城再建の建議のとき、肥後守は、天下泰平の世であり天守閣は不要と強く主張した。結果、莫大な費用を要す天守閣だけは、再建されなかった。
その代わり寛文元年(1661年)浅草御門近くの大川の上に、長さ九十四間に及ぶ巨大な橋を造った。江戸の町人たちは、武蔵と下総をつなぐ両国橋と呼んだ。この橋の完成で、江戸の町はさらに広がったのである。
また延焼防止のため、江戸の所々に火除け地として広小路を作らせた。
新之輔は傍で聞いていて、肥後守の意外な知将ぶりに、驚きを禁じ得なかった。

次の日、日光社参の一行は、明六つに岩槻を出立した。
しばらくして、修験者らしき一行が岩槻を出た。皆、編み笠に白衣、括り袴姿で、笈を背負い、手には金剛杖を持っていた。
肥後守ら一行は、幸手宿手前で日光街道に合流し、古河、宇都宮を経て、四日目に日光の東照宮に到着した。
東照宮は徳川家康を神格化した、東照大権現を祀っている。
三代将軍家光のときに、大規模な改築がなされ、荘厳な社殿となった。陽明門は、建物全体が夥しい数の極彩色彫刻で覆われ、一日中見ても飽きないということから、日暮御門と呼ばれている。
敷地内には十数段の急な階段がある。
新之輔は、足腰の弱っている肥後守をおぶって、階段を上がった。小柄な年寄りだが、思いのほか肉がついて――けっこう重い。
口の悪い肥後守も、このときばかりは新之輔に対して「すまぬの」「ありがたい」などと感謝の言葉をかける。その言葉に、どれほどの真意があるのか、はなはだ疑問であるが、新之輔はおとなしく老人の身体を運んでいた。

八丁堀の医師、小壺芳美のもとで働く弥助は、御家人の三男坊だった。家は貧しく、幼いころから寺小姓にあがった。十代のころは、住職の寵愛を受け、代わりに何不自由のない生活を送った。この時、住職から読み書きを習い、檀家の薬種問屋の旦那から、漢方薬の種類や効能を教えて貰った。
弥助は六十一歳になるが、今もって好奇心旺盛で、芳美のもとで働きだしてからも、何でも吸収する積りでいた。
この日も昼からの往診が終わったあと、弥助は芳美に訊いた。
「先生は針もおやりになるんですって」
「患者に針をやる者がいてな、興味があったので教えて貰った」
「ちょいとやってみて頂けないでしょうか。近頃、肩が凝って仕方がないんです」
「ああ、いいぞ」
芳美は針を十本ほど持ってきて、ろうそくの火で炙って手ぬぐいで拭いた。
弥助は着物を脱いで、下帯ひとつになった。
「ではいくぞ」
弥助の首と背中に針を打った。いったん強張ったが、じんわりと心地良さが広がる。
「弥助、わたしにも同じところに打ってくれ」
芳美が自分も服を脱ぎながら言った。
「いいんですか、じゃあ――」
「うう、気持ち良くなった」
「先生、あっちにも効くツボはあるんですか」
「あるよ、確かここだったな」
腰と太ももの付け根あたりに打った。
「ああ――なんだか、むずむずしてきました。先生、新之輔さまにも、こんなことをやってあげているんですか」
「馬鹿なことを言ってないで、さあ、わたしにも打っておくれ」
「先生、こんなところを他人に見られたら、爺二人が妙な遊びをしている、と見られるでしょうね」
「ああ――瞼が重くなってきた」
「わしも――眠ったらまずいですね」
「そういえば、気持ち良くなると眠るとか――」
そのとき、家を訪れた与力の寺内頼母の声がした。
「おい、二人して何やっているのだ」

日光からの帰り、宇都宮宿の本陣に泊っているときだった。
微かに女の悲鳴のような声が聞こえた。
新之輔は俄かに緊張した。声は肥後守の寝所の方向から聞こえてくる。
音を立てずに忍び寄った。
女の喘ぎ声――肉を穿つ湿った物音――。
部屋の内で何が行われているか悟った。とっくに隠居していい年頃の肥後守が、二十歳にも満たない若い女を責めているのだ。
(やれやれ、御前も相当の好き者だな)新之輔は緊張を解いた。

自分の部屋に戻ったとき、今度は剣戟と叫び声が聞こえた。庭の方からだ。
新之輔が駆けつけると、警固の侍たちが血を噴いて倒れていた。曲者は五人、白衣と括り袴、顔は白い頭巾で覆っている。修験者のようないで立ちである。警固の侍たちは手練れの者を集めたはずだが、曲者たちに全く太刀打ちできなかったようだ。
白装束の曲者の一人が、新之輔めがけて肉薄した。
新之輔は、袈裟懸けの一撃を刀の峰で弾き、空いた胸に剣先を突き入れた。
「ぐっ!」
男が呻いて、地に臥した。
左からの刃風を感じ、本能的に身をかわして、剣を横に払った。
確かな手ごたえがあった。わき腹を切り裂かれた曲者が、声をあげずにくず折れる。
残りは三人。そこに槍を持った新たな侍たちが、駆けつけてきた。
新之輔によって、またたく間に二人倒された曲者たちは浮足立っていた。逆に警固の侍たちは、冷静に動いた。新之輔の剣と警固の槍に突かれて、二人が戦闘不能に陥った。
残すところ一人。
新之輔が向き直ると、「殺すな!」と徳川光国の声が聞こえた。
「承知」
応えて新之輔は刃を返した。と同時に、敵が切りかかってきた。新之輔は刀の振りを小さくして、相手の小手を打った。ついで素早く敵に肉薄して、左肩を打った。
「くっ」
刀を落とした曲者が逃げようとした。素早く走り寄った芝田藤兵衛が、足払いを掛けた。倒れたところを、すかさず押さえ込む。

頭巾を引き剥ぐと、いずれも坊主頭でよく日焼けしている。いかにも修験者のようだ。
警固の侍が、生き残った一人を引き起こして、糾問した。
「どこの手の者だ!」
しかしそれ以上、問責できなかった。
男はふいにグッと食いしばると、口から血を垂らした。舌を噛み切ったのだ。
[21/02/16 06:57 神亀]
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