目 次
残影/風の新之輔U -  (三)
(三)

杉山甚八に勘三郎、それに新之輔は、本湊町にある碧雲亭に集まった。嘉平が三人に茶を入れ、気を利かせて部屋を出ていった。
三人は、それぞれ調べた情報を交換した。最後に甚八が話した。
「奉行所内で善助のことを調べるのは神経を使う。なにしろおいらは掛(かかり)じゃなかったんでね。分かったのは、善助が拷問されたのは、極秘裏に外でやられたようだ。おそらく知ってるのは、牢屋見回方だ」
新之輔はハッとした。
「その牢屋見回方は、殺されたと聞いたが」
甚八がするどく新之輔の顔を見た。
「なんで、そのことを知ってるんだ。奉行所内だけの秘密だぜ」
「それは――御城のある方に聞いた」
甚八は不審そうに新之輔を見たが、話をつづけた。
「殺されたのは、与力の影山新伍さまだ。一刀のもとに斬られていた」
「じゃあ、手掛かりなしですね」
勘三郎が言うと、甚八が首を振った。
「そうでもねえ。おいらの勘では、もう一人の牢屋見回同心、根本順三郎も拷問のことを知っていると睨んだ」
勘三郎が意気込んで訊いた。
「じゃあどうやって、聞きだすんですか」
「ふむ、ここは寺内さまにお出まし頂くか」と甚八が言った。

仕事の帰り道、杉山甚八は親し気に、根本に声をかけた。
「ちょいと小銭を儲けたんでね。おいらの奢りで一杯やるか」
根本順三郎は年寄り同心で、五十六歳にして白髪、顔の皺も多い。とっくに息子に役職を譲ればよい歳だが、本人はなお現職にしがみついている。それだけ楽な仕事の仕方をしていると言うことであろう。
二人は、勘三郎の女房がやっている、船場亭に入った。ハナが元気よく声をかけ、二人を二階の部屋に通す。
座敷に与力の寺内頼母がいるのを見て、根本はにわかに緊張した。まして隣の部屋に、新之輔が控えているのは、知る由もない。
寺内頼母が気安く声をかけた。
「お、二人して来たか。まあ硬くならずに、酒を飲め」
すかさず甚八が、徳利を手にして根本に差し向ける。
しばらく世間話がつづいた。酒に目のない根本は、いつしかくだけた表情になる。
根本に酒を飲ませ、気分が弛んだところで、寺内がおもむろに言った。
「影山新伍が殺された。どうやら斬首の刑を受けた善助に絡む殺しと思える」
盃を口元に持っていった、根本の動きがとまる。
「次はお前の番かも知れんぜ。善助を牢屋敷に送り込んだのは、お前達だろう?せいぜい気を付けてくれ」
根本は突然、がたがたと震えだし、手にした盃を落とした。
「どうかお助け下さい。寺内さまのお力で」
そこで寺内は、ビシッと言った。
「だったら、何があったのか、包み隠さず話してみろ」

根本が震えながら話しだした。
善助は、定町廻同心の川上久蔵の縄付きで、大番屋に連れてこられた。普通は、大番屋で町方が取り調べを行い、罪科が動かぬとなると牢屋敷に送るのだが、ことが公金に絡む事件だったので、大番屋で詮議せず、すぐ牢屋敷に送られることになった。その手続きをしたのが、影山と根本だった。
翌日から牢屋敷で善助の詮議が行われたが、見掛けのひ弱さにもかかわらず、善助は頑固に罪を否認し続けた。
そんなとき、上からの指示で、一日だけ善助が外に連れ出された。そして、連れて行かれたその日のうちに、善助は自白した。よほど凄まじい拷問を受けたのであろう。善助は半死半生のありさまだった。
寺内が厳しい口調で言った。
「連れ出すに、誰が許可したのだ」
「与力の小西半四郎さまと聞いております。連れ出したのは、川上久蔵と影山新伍さまでした」
「そのほうは、刑の執行に立ち会ったのか?」
「はい、立ち会いました」
根本は声を震わせた。「哀れなものでした――。善助は、大牢から死刑場に連れて行かれる間も、おれがやったんじゃない、死にたくない、と泣きじゃくっていました。それが、首を斬られる間際、急に静かになって、こちらを恨めしい眼つきで睨みつけたのです」
根本は思い出したように、身体をブルッと震わせた。「そして、はっきりと聞こえる声で言いました。おのれ、川上久蔵、この恨み晴らさずにおくものか、と」
「――」
しばしその場が、シーンとした。
沈黙を破るように、杉山甚八が話題を変えた。
「根本どのは年寄り同心として、影山さまの検死に立ち会われたのでしょう?何か気づいたことはありませんか」
「影山さまは、右の首の付け根から斬られていました」
根本は首をすくませた。「それはもう、ものすごい量の血が飛び散っていまして――」
「右の首?普通は左だろう」
甚八が言うそばで、寺内頼母が静かに言った。
「そういえば、念流の一の太刀は、右の首を狙うと聞くぞ」
そこで寺内は、根本に向けて言った。「まあ、お前も命が欲しければ、早く倅に役を譲って、隠居することだな」

根本を帰したあと、新之輔を交えて三人は、意見を交換した。
「どうやら、小西半四郎と川上久蔵がきな臭くなったな」
寺内が言うと、甚八が付け加えた。
「念流は小西さまと川上も使います。とくに川上の剣は奉行所随一と聞いております」
寺内は新之輔に頭をめぐらせた。
「新之輔、念流を知ってるか」
「念流を教える町道場に、行ったことがあります。たしかに寺内さまのおっしゃる通り、一の太刀は右首筋を狙います」
「影山さまは、刀も抜かずに斬られていた、ということです。顔見知りに不意を突かれたということも考えられます」と甚八。
寺内が考え込んで言った。
「ふむ、もし小西と川上が悪事に加担しているとなると、何か明確な証拠となるものがいるな」
甚八が言った。
「はい、二人の行動について、もっと調べてみます。それから、影山さまが口封じに殺されたとなると、次に命を狙われるのは、吉野家の忠左衛門です。おそらく吉野家は見張られています。だから忠左衛門には、しばらく身を隠してもらうのが一番。おいらが説得してみます」

「どんなに脅されようと、わたしはここを動きませんからね」
小平忠左衛門は蔵の鍵をきつく握り締め、ぶるぶると身を震わせて言う。
杉山甚八が期待するような目つきで、新之輔を見る。忠左衛門の用心棒になれ、と言わんばかりだ。
吉野屋のあるじの身を護れ、と肥後守にも命令されたことだが、新之輔は甚八の目配せに気づかぬ振りをした。
そのとき余計なことに、横から勘三郎が言う。
「ここは独身の風間の旦那に、ひと働きしていただくのがよろしいかと――」
とうとう新之輔は折れた。
「仕方がない、それがしがここに残って、忠左衛門の身を守る。昼間は襲ってくることはないだろう。夜だけ店で泊ることにする」
とたんに、忠左衛門は喜色満面、浮き立つ心が見え見えだ。

大店の家だけに間取りは広く、中庭を挟んで奥のほうに忠左衛門の居住部分がある。
新之輔は、あるじの寝室に続く手前の六畳間で、寝泊まりすることになった。
昼間は勘三郎の手下が、交代で外を見張るので、新之輔は自由に出歩けた。
亀の湯に行って汗を流し、二階でのんびりしていると、秋明と名乗ったいつぞやのご隠居が近づいて来た。
「吉野家の忠左衛門さんのところで、寝泊まりしているんですってね」
何でそんなことを知っているんだ、と思っていると、ご隠居はのうのうと言った。
「忠左衛門さんは子供の頃、陰間茶屋にいたそうです。それを先代の勘左衛門さんが身受けして、自分の養子にしたのです。やがて勘左衛門さんが亡くなられて、忠左衛門さんが後を継がれました。陰間が大店の主になったのですから、当時、同業者の間では評判になっておりました」
「秋明は忠左衛門の若い頃を知っているのか」
「いえ、人に聞いただけですよ。湯島に菊丸という陰間がいます。もう五十を過ぎた歳ですが、とにかく江戸の裏社会の情報通です。ご興味がおありなら、一度会われたらどうでしょうか」

湯島のあたりに来ると、どことなく艶めいてきた。提灯のある店構えが増えている。
それに湿った苔に咲く日陰の花のような、隠微な気配がある。このあたりは寺院が多く、女犯を禁じられた僧侶が、舞台修行中の男の子を呼ぶ茶屋が多いのだ。
菊丸は、陰間にしては歳を食いすぎていた。新之輔はふと、医師の芳美と重ねて見た。禿頭に穏やかな童顔。身体は小さくて丸っこい。
「ああ、油問屋の忠左衛門さんですか。あそこの油は質がいい、と江戸の料理屋の間で評判になっております。忠左衛門さんはわたしより三つ年上で、十五のときに勘左衛門さんに身請けされましたから、あまり知らんのです」
菊丸は、年を食ってるだけに落ち着いて、言葉つきがやわらかい。
「そのころは菊千代という名で、物覚えが良くて口数の少ない、おとなしい子でした。それに身体は小さくて、雛人形のように可愛らしい顔立ちをしていました。わたしが覚えているのは、それぐらいです」
そのあと菊丸は、よほど話好きなのか、いろんな話をした。
「わたしは、この道に入って四十年近くになります。その間、色ごとについては、沢山の知識を入れました。例えば、男好きと言っても、色んな形があります。女の気持ちを持った男がいれば、普通の男なのに、男しか好きになれない男がいます。わたしはご覧のように、陰間と言うにはトウが立ちすぎています。それでも、爺の私を好いてくれる男もいるのですよ」
菊丸の話を聞いていて、新之輔は複雑な心情だった。――自分も爺しか抱けない。
唐突に、菊丸が言った。
「どうです、この爺を抱いてみますか」

江戸の好色本『好色訓蒙図針彙』に、衆道の上品と言ふは第一、後門に肉多く、福らかにして、肌細やか也。谷深くして、菊座柔らかに、四十二の襞緩やかにして、口締まらざれば、濡らしに従いしなやかに、滑らかになり給ふ也、とある。
つまり、男色の相手として最良なのは、尻の肉付きが良くふっくらとして、肌理細やかなこと。尻の切れ込みが深く、菊座が柔軟性に富み、四十二の菊座の襞が緩やかである。菊門が硬く締まっていないので、潤滑剤を施すと、それにつれてしなやかになり、ぬめりを帯びてくる――と言うことである。
なおこの時代、女陰は四十八襞、菊座は四十二襞がいい、と言われていた。

新之輔は菊丸と番ってみて、その具合の良さに我を忘れた。これほど男の本能を掻き立てる交合は初めてだった。どこまでも柔らかく、どこまでも奥深く、新之輔のすべてを包み込んで、妖しく蠢く。しかも、感極まった菊丸の嫋嫋とした泣き声は、新之輔の心をいたく掻き立てた。
身繕いを整えたあと、菊丸は、年寄りにしては恥ずかしそうにしていた。
「思いがけず取り乱してしまいました。お恥ずかしい限りです。わたしは、新之輔さまがすっかり好きになりました」
菊丸は少しかすれた声で説明した。「惚れる、恋しい、愛しい――みんな心があります。心を通わせれば、相手のかたを独り占めしたくなります。するとそこに争いが起きます。なにしろ、新之輔さまを慕う爺は何人も出てくるでしょうから」
菊之助は寂しそうにほほ笑んだ。「ですからわたしは、新之輔さまには惚れません。ただ好きになるだけです」
[21/02/09 07:16 神亀]
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