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残影/風の新之輔U -  (二)
(二)

「実は、千代田の御城のある方の命令でな。おぬしらに協力して、伊勢屋の一件を調べることになった」
「千代田の御城のある方だとお。なんで浪人のお前が、そんなお方を知ってるんだ」
「それは聞かないでくれ。ひょんなことで知り合って、借りがあるんだ」
「大方、女か賭博だな。金を借りたのだろう」
「――ま、そんなところだ。御城のお偉い方なんで、断り切れなかった」
「それは分かった。しかし、町方が浪人と行動を共にするとなると、与力の寺内さまに断っておいた方がいいな」
「ああ、それは任せる」
新之輔は船場亭で、同心の杉山甚八、勘三郎親分と酒を飲んでいた。肥後守の名前を出さずに二人を納得させるのは難儀だったが、なんとか二人は腑に落ちたようだ。

杉山甚八が内緒話をするように、声を潜めて話しだした。
「ここだけの話、善助が店の金に手を付けたとは思えねえ。おいらだって、これまで何人もの悪党どもの面を見てきた。悪いことのできる野郎とできない野郎の面は見分けがつく。善助は悪いことのできねえ面だ」
勘三郎が異を唱えた。
「しかし、虫も殺さぬ面をしてる奴ほど、大きな悪事をするって言いますぜ」
「いや、善助は小心者だ。奴に限っては違うな」
新之輔が訊いた。
「善助は独り身と聞くが、女でも囲っていたのではないか」
杉山が頭を振った。
「いや善助本人が、女形のような奴だった。店の人間が言うに、なんでも町奴の寅蔵が、善助に言い寄っていたそうだ」
町奴とは、華美な服装で従党を組み、武士の旗本奴と張り合っている遊侠の徒である。
「寅蔵に会ってみるか。何か手掛かりがあるかも知れん」
新之輔が言ったところで、女将のハナが顔を出した。
「仕事の話は終わったようね。じゃあ飯を出すよ。サワラのいいのが入ったから、塩焼きにした」
勘三郎が三人の手下を抱えているので、ハナは苦労を重ねてきただろうが、愚痴ひとつこぼさない。逆にしょぼくれている客がいれば、叱咤激励する。口は悪いが、ハナの心根の良さは、誰もが知っている。

寅蔵は三十五歳ほどの偉丈夫である。鋭い眼差しと大きな獅子鼻、精悍な顔立ちに加え、筋肉質のがっしりした身体をしていた。善助が歌舞伎の女形だとすれば、寅蔵は立役者だろう。
しかし、意外と純情だった。勘三郎が善助のことを聞くと、話す途中でふと涙した。
悪党の中には、人の心を持たぬ者が大勢いる。人情をまったく理解できないのだが、この男は違うようだ。
「善助の自白は、拷問されて爪印を押させられたと聞きやした」
「拷問だとお!」
杉山が声をあげた。「そんなこと、誰に聞いたんだ」
「へえ、同じ牢にいた奴が娑婆に出て来やして。その男に聞きやした」
「その男は、善助に直接聞いたのかい」
「いえ、善助は口止めされていたらしく、怯えてなにも言わないが、奴の全身に惨い拷問の傷があったそうで」
「善助は――おめえ意外に、付き合っていた男はいたのかい」
寅蔵は一瞬、勘三郎の顔をにらんだが、素直に話した。
「吉野家の爺といい仲でした」
「吉野家の爺って――あるじの小平忠左衛門のことかい」
「へえ。伊勢屋の向かいにある油問屋です。あの爺、金で善助の心をなびかせやがったんです」

寅蔵と別れて、帰りの道すがら、杉山甚八が言った。
「奉行所で拷問することはまずできない。お奉行さまが老中に書類を出して、許可を得なければ拷問できないのだ。そんなことは奉行所の恥だ。もしあったとしたら、おいらも拷問の話を聞いているはずだ」
それよりも新之輔は、気にかかることがあった。
保科正之は、吉野家のあるじが襲われたのも、伊勢屋の事件に絡んでいるかも知れんと言った。そして、そのあるじを護るのは、新之輔の役目だとも――。御前は、善助と小平忠左衛門の仲を知っていたのか。
新之輔は声に出して言った。
「先だって、忠左衛門が暴漢に襲われているのを助けたことがある。ひょっとしたら、忠左衛門は善助からなにか聞いていたのではないか。それで襲われたのでは――」
勘三郎が驚いたように言った。
「旦那だったのですかい、忠左衛門を助けたのは。――いえね、吉野家の番頭の吉蔵が、船場亭のなじみの客でして、そのとき、主人がごろつきに絡まれて侍に助けられた、なんてことを言ってました。吉野屋からは何も訴えが出てないんで、そのまま放ってたんですがね」
新之輔が言った。
「一度、それがしが、忠左衛門に会って話を聞いてみよう。助けた礼を言いたい、と誘われている」
勘三郎が横から言った。
「じゃあ、わしは番頭の吉蔵に探りを入れてみます」
甚八はしばらく考えて「拷問のことは、おいらが調べて見る」と言った。

「先だっては危ういところを助けていただいて、誠にありがとうございます」
吉野屋のあるじは両手をついて丁寧に礼を述べた。場所は室町の高級料亭である。
「なあに、拙者も退屈しのぎができた」
新之輔は挨拶を返した。改めて忠左衛門を見ると、心惹かれるのを覚えた。
五十五歳と聞いていたが、でっぷりと肥っているのでそれ以上の年齢に見えた。若い頃はさぞかし清楚な顔立ちをしていたのであろう。今は頬やあごに肉がついて貫禄があるが、涼やかな目元に昔の名残がある。物腰もしなやかである。ちらりと新之輔を見上げた仕草は、まるで遊女が媚びを売っているようにも見える。
二人は酒を酌み交わし、落ち着いたところで新之輔は言った。
「ところで襲ってきた者どもと、何かもめ事でも――」
「それが、とんと思いつきません。番頭の吉蔵は心配しているようですが」
新之輔は踏み込んだことを言った。
「ひょっとしたら、伊勢屋の事件がらみのことではないだろうか」
忠左衛門は、はっとした表情をした。
「新之輔さまは、どうしてそう思われるのですか」
「ご主人は、善助から何か聞いていないか」
忠左衛門は、どうして新之輔が善助のことを、というように訝し気な表情をした。
それを見て、新之輔は事情を話した。

「実は、わけあって拙者は、町奉行の捜索の手助けをしている。ただし隠密行動なので、内分に頼む」
「そういうことでしたら――」
忠左衛門はしばし考えを整理するように黙って、それから話しだした。「町方に捕らえられる前の日、善助は大変緊張して働いていました。と申しますのも、その日、主人の弥太郎さんと番頭の松右衛門さんが、一日留守にされていたからです」
忠左衛門は酒で喉を湿らせた。
「善助は、店の者を引き連れ、お得意先から預かった手形を持って蔵前に行き、俸禄米の受領と換金を行う大変重要な仕事をしたのです。仕事が終わったあと、わたしのところに来たときは、それはもうぐったりとしていました」
「善助は捕まる前の晩、忠左衛門さんのところにいたのか」
「はい。でも夜四つ(22時)には長屋に帰りました。明日の仕事があるからと言っておりました」
忠左衛門と善助が何をしていたかなど、考えるまでもなかった。新之輔は、卑猥な想像をして、慌ててその考えを打ち消した。
「そのとき、妙なことがありました」
忠左衛門が話を継いだ。「善助を表まで送り出したとき、伊勢屋さんの前で怪しい動きがあったのです。暗闇に荷車が一台止まっていまして、その周りに四、五人ほどの頬被りした人足風体の男たちがいました。その者たちは荷車を引いて、すぐ立ち去りました。指揮していたのは坊主頭の侍でした」
「坊主頭の侍?」
新之輔はにわかに緊張した。「――で、善助はどうした」
「こんな時刻になんだろう、と伊勢屋の方に歩いて行きました。しばらくして戻ってきて、戸締りは内側からしっかりしている。店とは関係なかったようです、と言ってわたしたちは別れました」
「忠左衛門さんは――」
新之輔は慎重に訊いた。「善助が金を盗んだと思われるか」
忠左衛門は小声で言った。
「善助は罠に嵌められたんです」
そこでブルッと身体を震わせた。「でも、こんなこと言うと――身が危なくなります」

その頃、勘三郎は吉野家の番頭、吉蔵に会っていた。
「忠左衛門さんが襲われたと聞くが、何ぞ厄介ごとでもあるのかい」
吉蔵は四十がらみで、地味な顔立ちの男である。勘三郎親分の質問に、かしこまってぽつぽつと話しだした。
「旦那さまは身に覚えがない、とおっしゃっていますが――この数日、何やら怪しげな人影を、店の周りで目にすることが多いのです」
「怪しげな人影だと――。どうしてそう思うんだ」
「いつもと違う風体の男たちが、店の前を通るのです。浪人風の男とか、修験者とか、旗本奴とか――」
「旗本奴だって!」
旗本奴とは、旗本の中でも血の気の多いのが、派手な服装をして町を練り歩いている連中である。大きな髷に髭を伸ばし、鎖帷子を着込んで、赤鞘の刀などを差している。
この前、話を聞いた寅蔵のような町奴と、張り合っている存在だ。
「店のほうに難癖をつけられた、なんてことはないのかい」
「これまでのところございません。でも隣近所で、旦那さまのことを聞いたりする者がいるようです」
「忠左衛門さんに、しばらく身を隠すように言ったらどうだい」
「それは無理です。それを旦那さまに申しましたら、なんだい、お前までこの店を狙っているのかい、と叱られました」
[21/02/06 07:51 神亀]
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