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義父の横顔 - (8)岳父の恋人
「ねえ、あなた。父をこのマンションに引き取ろうと思っているんだけど、あなたはどう思う」
共稼ぎの二人が休みの日、妻が私に持ちかけた。
私は軽くうなずいた。
「いいんじゃないか」
「あら、軽く言うのね。もっと何か言うと思った――」
「だって、お前。お母さんが死んで、お父さんも一人じゃ寂しいだろう」
「優しいのね。――私にはちっとも優しくないくせに」
「それはお前の勘違いだろ。まあ、子供が二人も家を出て、部屋は空いているんだ。お父さんを引き取るに問題ないよ」
「あなた、本音で言ってるの。何か裏がありそう」
妻は近くにある私立大学で、教育学を教えている。どうも教職者という人種は、ものごとを複雑に考えすぎるきらいがある。
で、私は言った。
「お前、俺がいいと言ってるんだから、素直に喜べよ」
妻はあっさりと折れた。
「あら、そうね。賛成してくれて、ありがとう」
というわけで、義父と同居することになったが、私はときめきを覚えていた。
以前から義父は、気になる存在だった。

妻と結婚して26年になる。私は九州の片田舎で生まれ育ち、関西の国立大学を出て、東京の会社に就職した。東京に来た当初は、大都会の雑踏に戸惑った。鉄とガラスで出来たビル群に、何か殺伐としたものを感じていた。
そんなとき、趣味の水彩画が私を癒してくれた。私はよく休みを利用して、自然の残った郊外にスケッチ旅行をした。
妻との初対面は、小石川後楽園だった。園内で私のスケッチを覗き込んで、彼女が「お上手ですね」と声をかけたのが、付き合いだしたきっかけだった。それから1年と経たずに私たちは結婚した。
最初は住都公団の賃貸アパートで生活した。子供は3人出来た。男の子一人と女の子二人。その後、経済的に余裕が出来たとき、妻の両親が住む家に近い、白山の4LDKのマンションを購入した。
そして今や、二人の子供は結婚して家を巣立ち、末の娘だけが高田馬場の大学に通っている。

義父がマンションに移ってきたとき、長男が使っていた部屋を明け渡した。上の娘の部屋は、妻が書斎にしている。私が52歳、妻が50歳のときである。
これまで義父が住んでいた一軒家は、2LDKの狭くて古い家だったが、不動産屋に頼んで売りに出した。
現役のとき都庁に勤めていた義父は、アクのない飄々とした好人物だった。75歳になるが艶々とした白磁のような肌をしている。中肉やや背が低い肉体は、ハイキングを趣味としているだけあって、贅肉がなく適度に締まっている。
義父はマンションに移り住んだ翌朝から、白山周辺を散歩しだした。すぐそばの白山神社に立ち寄り、小石川植物園や六義園まで歩いて回る。
私も休みの日に、義父に付き合って歩いたが、義父は70代とは思えぬ軽い足取りで、全行程を苦も無く歩いている。
義父はときどき遠くを見るような目つきをした。それは亡き義母を想ってのことだろう、と私は推測した。

ある日、会社にいる私に、妻から電話があった。父が足を怪我して病院にいるので、都合がつけば病院に寄ってくれないか、と言う。
私は会社役員だったので、自分の裁量で時間調整ができた。そこで秘書に事情を話して、病院に駆けつけた。
驚いたことに、病院の待合室にはマンションの管理人がいた。
幸い義父の怪我はねん挫程度で、大事には至らなかった。タクシーを呼んで、松葉杖の義父と管理人を乗せて、マンションに帰った。
事情を聴くと、歩道を歩いていた義父は、後ろからやってきた自転車と接触して転倒した。自転車に乗っていた若い女はそのまま立ち去ったが、たまたま通りかかった管理人が助けてくれた。救急車を呼んでもすぐに来ないと判断して、管理人は義父を抱っこして病院まで運んだ――と言う。
そのまま走り去った若い女に憤りを覚えたが、それよりも義父を抱いて病院まで運んだ管理人に感心した。義父が倒れた場所から病院まで、1キロメートル近くある。その距離を、義父を抱えて歩いたと言うのだ。

管理人の高尾健一は、年寄りが多い管理人としては珍しく、まだ50代の男だった。体はさほど大きくないが、固太りの頑健な肉体をしている。それに、笑顔のやさしい親しみやすい風貌をしている。とくに二重瞼の小さな瞳が可愛らしい。
私はこの管理人と気が合って、いつも親しく言葉を交わしていた。そして何かの機会で、彼の不幸な境遇も知っている。
高尾は以前、工務店を経営していた。ところが不況のあおりを受けて会社は倒産し、残ったのは多額の借金だけだった。不幸中の幸いは、彼は独身で、家族の心配をしなくてすむということだった。所有していた不動産は、すべて借金の肩に取られ、丸裸同然で世間の荒波に放り出された。
以来、タクシーの運転手や建設現場の日雇い労働者など職を転々として、現在のマンション管理人に落ち着いている。
そんな悲惨な経験をすれば普通はやさぐれるものだが、高尾は違った。面倒見が良くて、親身になってマンション住民のために働いている。また住民も、彼のことをターさんと愛称で呼んで、親しみを持っている。
私より5、6歳年上のこの管理人は、側にいるだけで暖かい気持ちになる。そう感じるのは私だけだろうか?
私が朝遅くに出勤するときなど、高尾は信号待ちしている私の横に、そっと並んで立つ。信号が変わると、「行ってらっしゃい」と言って、にっこりする。
(ひょっとして俺に気があるのか)と思ったりして、その日は気分がいい。

義父は、助けてもらった縁で、高尾のいる管理人室に、よく行くようになった。菓子を差し入れしたり、仕事を手伝ったりしているようだ。
いつしか義父は、高尾のことをケンちゃんと呼んでいた。そして高尾も、義父をヨシさんと呼んでいる。
義父が杖無しで歩けるようになると、高尾の休みに合わせて、一緒に外に出かけるようになった。主に近くの小石川植物園に行っているようだ。
妻はそのことを、安心して義父を散歩に出せる、と歓迎しているが、私は複雑な心境だった。
私は義父にも高尾にも、ほのかな愛情を抱いていた。だから仲間外れにされて、嫉妬にも似た感情がうまれたのかも知れない。

その後1年近くが経った頃、私は偶然、義父と管理人の秘密を知ることとなった。
ある日曜日、私はスケッチブックを抱えて、六義園に行った。池を入れた風景をスケッチしたあと、吹上茶屋で抹茶セットを注文して一服した。
六義園を後にし、駒場駅の方向に歩いているときだった。義父と高尾の姿を見かけた。
ちょうど建物に入って行くところだったが、問題はその場所だった。熟年ゲイの発展場として有名なサウナだったのだ。
実は、私は以前この建物に入ったことがある。ほんの好奇心からだった。
中のいたるところで、老人たちにチョッカイを出された。それを断りつつ心臓をバクバクさせながら、3階のミックスルームで繰り広げられる男性同士の痴戯を覗いたあと、早々に退散した。
この場所は、男色未経験の私にとって、あまりにもどぎつすぎた。

そんなサウナに入って、まさか義父と管理人が、見学だけで済ませることはないだろう。それにしても信じられなかった。二人とも男色とは無縁な人間だと思っていたからだ。
しばらく迷ったあと、私もその店に入って行った。私の人生2度目の入場だった。
私はガウンを着て、バスタオルを頭からかぶった姿で、2階に行った。浴槽に入った二人の姿を認め、見つからないよう3階に上がった。
休憩コーナーにいると、見知らぬ老人がやってきて、私の股間を触った。いかにも場違いな品の良い顔をしていたので、しばらく老人の好きにさせた。
男色行為は初めてだったので、心臓が激しく高鳴っていた。老人は、私の逸物を口に咥えて、尺八をしだした。ときどき歯が当たって、ヒヤリとさせられる。
老人の口淫は、あまり上手ではなかった。
しばらくして、義父と高尾が3階にやってきた。私はバスタオルを目深に被って、彼らの様子をうかがった。二人はミックスルームの様子をちょっと見て、4階に上がっていった。そこには個室がある。

私は尺八する老人を離して、4階に向かった。べニア板で仕切っただけの個室が4、5部屋ある。検討つけて近寄ると、高尾の声が聞こえた。
声が途絶えたあと、かすかなため息や喘ぎ声が聞こえだした。
これで義父と高尾が男色関係にあるのは、はっきりした。すぐに引き返すべきだったが、私は迷った。かすかに聞こえるもの音は、私の煩悩をかき乱した。
私自身が、義父と愛の行為をしているような気分だった。
その場に立ち尽くして10分ほど経っただろうか、義父の「ああっ!」と言う悲鳴が湧き立った。
私は思い切って、隙間から覗き見た。
膝立ちになった、高尾の後ろ姿が見えた。固太りの肉体――肉の締まった尻が、モクモクと動いている。その向こうにいる義父の姿はよく見えなかったが、うつ伏せになっているようだ。
尻の動きに合わせて、かすかに湿った音がした。
覗き見はそこまでにした。私は後ろ髪を引かれつつ退散した。



義父と管理人が交わっている残像は、いつまでも私の脳裏にこびりついていた。
二人の関係を知ったところで、私にはどうすることも出来なかった。ただ、義父に対する想いが、ますます強くなっただけだった。
義父の艶やかな顔や、均整の取れた姿をみるにつけ、淡い恋心が、ドロドロとした肉欲に変わっていった。滑らかに張ったズボンの膨らみを目にすると、この尻を管理人が可愛がっているんだと想像して、淫らな気分になる。

義父が77歳の喜寿を迎えたとき、私の妻が、お祝いの会をやろう、と外に出ている子供たち家族に呼び掛けた。義父の好物のちらし寿司とカニすき鍋を用意した。
しかしその日の夕方、大変なことが起こって、お祝い会どころでは無くなった。
高尾が、管理人室で倒れていたのだ。それに気づいた住民が救急車を呼んだが、すでに息をしていなかった。死因は心筋梗塞だった。
高尾の葬儀は2日後に、戸田にある葬祭場で行われた。高尾の身内は、新潟に住んでいる兄ひとりが参加していた。
火葬の前に簡単な告別式があった。棺が開けられ、目を閉じた高尾の顔が見えた。眠っているようだった。それまで悲しみに堪えていた義父が、声をあげて泣きだした。

その後数日間、義父は見ていて可哀そうなくらい沈んでいた。自分の部屋に閉じこもり勝ちで、散歩もしばらくやめているようだ。
マンションの管理人は、新たに60代の男が派遣されてやって来た。しかし義父が管理人室に行くことは無かった。
高尾の死から1ヶ月が過ぎ、義父がようやく散歩を再開したとき、私は心配して、義父の後ろを少し離れてついて行った。
マンションを出たあと、義父は小石川植物園への上って下る坂道を、しっかりした足取りで歩いて行った。植物園に入ると、ため池のほうに行く。ここの園内は、大きな木々が生い茂っていて、人の視界が遮られる場所もある。

義父は梅林の先の日本庭園まで行き、広場に設置されたベンチのひとつに腰を下ろした。そのまま前の池をぼんやりと眺めている。おそらく義父と高尾は、よくここまで来ていたのだろう。
義父の顔には、何とも言いようのない哀切の情が漂っていた。
私が近づいて行くと、義父が私を認めてわずかに目を見開いた。私はそっと頭を下げて、義父の横に腰掛けた。
私は黙ったまま、義父と並んで池のほうを眺めた。
横にいる義父の温もりを感じた。その横顔をそっと見て、心の中でつぶやいた。
(お父さん、これからは、ぼくが恋人になります)
でも、口に出して言えなかった。
その時、意識してかどうかは分からないが、義父の太ももがそっと押し付けられた。その接触部分から、義父の温もりが伝わってくる。
心臓が早鐘を打った。私は思い切って、義父の腰に腕を回した。
――言葉は要らなかった。
義父は私に寄り添って、心地よさそうに目を細めていた。
[20/12/12 18:51 神亀]
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