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1日目 |
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時節は10月、秋真っただ中である。
街中ではいささか不似合いな、黒のランドクルーザーが走っている。浦和市街地を静々と走り、調(つき)神社を通り越したところで、左の路地に入る。そのまま走って、庭木の多い一戸建ての住宅の前で停止した。 運転席から降りたのは、磯下昇72歳、元商社マンである。とっくにリタイアして、今や年金生活の身の上である。 半白頭によく日焼けした顔、均整の取れた中肉中背の体格をしている。黒のハイネックセーターに紺のジャンパー、グレーのコットンパンツ、それに格子模様のハンチング帽を被っている。齢を重ねることが資産となっているような、風貌の男である。 古色蒼然とした玄関ポーチには、大きな布バッグとリュックサックが置かれている。すぐに玄関ドアが開いて、家の主が顔を見せた。 会田千秋82歳、元内科医であるが本人はまだ現役のつもりでいる。白髪、肉付きの良い顔。昇より少し背が低いが、恰幅の良い体型をして、泰然自若とした風情がある。 濃茶のジャンパーにベージュのコーデュロイパンツ、そして昇に合わせたようにベージュのハンチング帽を被っている。 二人は握手をして、軽く抱き合った。 「やっと会えたな」 「ああ、お久しぶり。淑子叔母さんの葬式のとき以来だ」 「――それを言うな。とにかく、お前のために休みを取ったんだぞ」 「叔父さん、まだ仕事を――」 「ああ、棺桶に入るまで働くつもりだ。和善には、まだ医院を任せられん」 「義理の息子だからって――もう少し信用してやったらどうだい」 「その話はあとだ。さあ、出かけるぞ」 玄関ポーチに置かれたバッグを車の後部荷台に積みこんでいると、50代の女性が家から出てきた。 「昇小父さん、父がお世話になります」 そこで千秋のほうに振り返って、「お父さん、無茶をしないのよ。昇小父さんにご迷惑かけないでね。それから、調宮さまにお参りして行くのよ」 「分かった、分かった」 千秋はうるさそうに言うと、車の助手席に乗り込んだ。 娘の意見に従って、二人は素直に調神社に寄ってお参りした。ここは珍しく狛犬ではなく狛兎である。調(つき)の名が月と同じ読みから、月の動物と言われた兎が神の使いとされている。 そしていよいよ旅のスタート。車は浦所街道を走って、関越自動車道の所沢インターチェンジを目指した。 助手席にふんぞり返って、千秋が訊いた。 「昨日、神戸から来たのか」 車を運転しながら、昇が返事をした。 「ああ、新幹線で来て、昨夜は横浜の娘の家に泊まった」 「じゃあこの車は、そこで借りたのか」 「ああ、高志の車だ。日曜日に写真撮影で使う予定があったらしいが、私に遠慮があるのか貸してくれた」 「そりゃあ娘婿だから、気を遣ってんだ。婿さんは相変わらず、写真を撮ってるのか」 「休みのたびに出かけてるみたいだ。仕事よりも熱心だ」 「お前、別れて暮らしている割に、そのへんの情報はあるんだな」 「娘がラインで情報を送ってくるんだ。文章だけでなく、動画やテレビ電話もできる。便利な世の中になったもんだ」 千秋がシートの上で、尻をもぞもぞさせた。 「それにしても、この車の座席は硬いな」 「四輪駆動のランドクルーザーだからね。原野や山地向けの車だ。で、叔父さん、まずどこに行くの?」 「群馬の富岡製糸場だ。ユネスコの世界遺産に登録されているんで、一度見たかった」 車は所沢インターチェンジから関越道に入った。ラッシュアワーを過ぎていたので、自動車道は比較的空いていた。 途中、サービスエリアでトイレ休憩をとって、関越道から上信越道に入り、富岡インターチェンジで下りて、富岡製糸場に行った。 「クラシックでいい建物じゃないか。――あ、そこの彼女、ちょっとわしたちの写真を撮ってくれませんか」 通りかかった中年女性を呼び止めて、千秋がデジタルカメラを預けた。レンガ壁の工場前で仲良く肩を組む二人を、女が気前よくカメラで撮ってくれた。 さほど時間をかけず製糸場施設を一巡りすると、二人は駐車場に戻った。そこで千秋が言った。 「ここは一度来れば十分だな。次は『田園プラザかわば』に向かってくれ」 「田園プラザかわば?」 「ああ、沼田の川場村にある。なんでも関東で一番人気の『道の駅』らしい」 「叔父さん、よく知ってるね」 「今回の旅の前に調べたからな。観光案内はわしに任せてくれ」 カーナビで目的地をセットすると、昇は車を発進させた。 上信越道から関越自動車道に戻って、沼田インターチェンジで下り、15分ほど走ると田園プラザかわばに到着した。 入場客は多かったが、広大な敷地に各施設が散在しているので、さほど人が多いとは感じなかった。二人は購買施設をざっと見たあと、池のほとりで、当プラザ人気のソフトクリームを食べた。 場内にいる観光客たちを眺めながら、昇が訊いた。 「叔父さん、子供たちはどうしてる?」 「息子どもはろくでなしばかりだ。ひとりは学者になったが、くそ真面目すぎる。ひとりはゲイだ。60に近いのに、独身でミュージシャンだ。あとひとりは普通のサラリーマン。まともなのは娘だけだな。わしと同じ医学の道を選んだ」 「それに、婿さんを叔父さんの跡継ぎにしたからね」 「ああ。それよりも、お前のところはどうだ?」 「私のほうは3人娘だから。上の二人はそれぞれの家庭で普通に暮らしてる。末の娘は亭主と離婚したが、二人の孫と仲良くやっているようだ」 そこで昇は肩をすくめた。「そして私だが、女房が死んで、一人暮らしもすっかり板についた」 千秋が鼻をこすって、気まずそうに言った。 「もう10年近くになるが――良枝さんの葬式に出なくて悪かったな」 「何があったんだい」 「行きたかったんだが、淑子に止められた。わしが行くと、式をぶち壊しにする恐れがあると言ってな。わしはあの世に旅立つ人間を、パッと明るく送ってあげようと思っただけなのに」 昇がひっそりと言った。 「リタイアしたあと、新たに始めた事業に失敗した時期だった。心の支えを失くして、あの時は本当に辛かった――」 少し考えて、「でも、人生はつづく」 湿っぽくなった気分を払うように、千秋が宣言した。 「そろそろ出かけるか。今日の宿は水上温泉だ」 ![]() 沼田インターチェンジに戻って、関越自動車道を走り、水上インターチェンジで下りた。そこから10分とかからず水上温泉街に着いた。その日の宿は、さほど大きくない鄙びた旅館だった。 まだ陽が高かったので、二人はチェックインしたあと、清流公園まで足を伸ばして、のんびりと散策した。すぐ横は、谷川岳の麓を流れる利根川だが、この辺りは川幅も狭く、美しい渓谷となっている。 ここにも道の駅があったので、二人は立ち寄った。道の駅『水紀行館』には、淡水魚の水族館が付設されていた。 「おい、昇。こっちに来てみろ」 千秋が水槽の前で手招きした。近寄って見ると、上蓋のない水槽に、無数の黒い小魚が泳いでいる。 「指を突っ込んでみろ」 千秋が言って、自らひとさし指を水槽の中に入れた。すぐに小魚が群れて水中の指にまとわりついた。 昇も同じように指を入れると、小魚が指をツンツンと突いてくる。 「ドクターフィッシュって言うんだ。角質や垢を食べてくれるので、指の掃除になる」 珍しい魚だった。人間を警戒するどころか、指の周りにまとわりついてくる。しかもツンツンと突かれていると、妙な快感があった。 「チンポを入れたら気持ちいいだろうな」 千秋があっけらかんと言って、昇はあわてて周囲を見回した。 「叔父さん、嫌らしいこと言わないの」 「ふん、お前だって思ってるくせに」 旅館に戻ると、まず温泉風呂に入った。タイル張りの浴槽に浸かると、大きな窓ガラス越しに、渓谷の紅葉が望めた。ここの湯は無色透明、匂いもない。 「ふう、やっぱり温泉はいいな。旅に誘ってくれて、叔父さんに感謝です」 湯に浸かりながら、昇が気持ちよさそうに言った。 千秋が悪戯っぽい目つきで昇を見た。 「ああ、日本人の心の拠り所だ。しかし、先立った良枝さんも、お前と一緒になって幸せだったろうな」 「叔父さん、なんでそんなこと言うんだい」 「それはお前、女房が幸せになるかどうかは、亭主のチンポ次第と言うじゃないか。その点、おまえは立派なチンポを持っている」 「また、馬鹿なことを。82歳にもなって、叔父さんはいっこうに煩悩から解脱してないんだね」 「ふん、枯れるにはまだ早い。わしにお前のチンポがあれば、女どもを片っ端からモノにしているんだが」 宿の食堂は、木材をふんだんに使った山小屋風の内装で、黄色いランプの明かりが雰囲気をだしている。 竹で編んだザルに、串を通した岩魚や牛肉、野菜類が山盛りに入れられ、テーブルの上には、鉄格子が乗せられた炭火が用意されている。今夜の菜は串焼き料理ということらしい。 二人を席まで案内した中年の女が、食材や食べ方を説明した。それからワイングラスに、真っ赤な液体を注いだ。ワインにしては、ねっとりとしている。 「スッポンの生き血です。生臭くならないよう、ワインを入れています。美容と健康にいいですよ」 女が去ったあと、昇は何の躊躇もなく一息に飲み干した。ところが千秋は、匂いを嗅いだだけで、テーブルに戻した。 「こんな生臭いのは駄目だ。昇、お前にやる」 昇は、千秋のグラスも一気にあけた。 「もったいない。スッポンの生き血は、強精効果抜群ですよ」 そこで神妙な顔にもどって「ところで、私はまだ何の費用も払ってない。申し訳ないな」 千秋は手を振った。 「なあに、気にするな。わしは金を持ってる。義理の弟のために奢ってやる」 「叔父さん、私は義理の弟じゃない。甥っ子だよ」 「お前とは10歳しか離れていない。弟のようなもんだ」 そこで千秋は手を上げて、従業員を呼んだ。「ビールの生をふたつくれ」 |
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20/07/22 07:39 神亀
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