(7)
白取英彦は有楽町にある、高級ホテルに来ていた。
斎田宗春が待つ部屋は、最上階のスイートルーム。おそらくふたりが会う姿を、誰にも見られたくなかったのだろう。
英彦は面談の約束をとる時、単刀直入に話した。斎田の部屋にあった写真の中央にいる人物は、自分の父親である、と。
「――父の死後、残されたアルバムに、あなたの写真がたくさんありました。私が持っていても意味がないので、もしあなたの思い出に残るような写真があれば、失礼ながらお譲りしたいと思って、お電話した次第です」
斎田会長はソファーの向かいで、英彦の持参したアルバムをめくっていた。その間、老人は一言も声を発しない。
老人の様子を見ながら、英彦は、堀田弁護士の調査結果を反芻して、どう切り出そうかと考えていた。
堀田の報告は、驚くべき内容だった。写真の3人は、英彦の父が大学教師になりたての時期のもので、背の低いふたりは教え子だった。どうやら3人は男色関係、それも三角関係にあったようだ。
「いや、懐かしい写真を見させてもらった。ありがとう」
斎田がアルバムを閉じて、顔を上げた。すこし目元が潤んでいた。
「それに、この前は恥ずかしいことをした。碁に負けておきながら、約束を破って」
「いいんです。もう、過ぎたことです」
「1億円の件はいいのか?」
「必要であれば、またお願いに伺います。それより、電話でも言いましたが、もしお入り用でしたら、そのアルバムは斎田さんにお譲りします。そのほうが、亡き父も喜ぶと思います」
「いいのか?」
英彦が頷くと、斎田は小声で、ありがとう、と言って立ち上がった。ほどなく、サイドボードからワインのボトルとグラスを持って戻ってきた。
老人はワイングラスを渡しながら、英彦の顔をまぶしそうに見た。
「最初に会ったとき、気づくべきだった。きみはお父さんに良く似ている。――茫洋とした大陸風の雰囲気もそっくりだ」
ワインの心地良い酔いが、ふたりの会話を滑らかにした。
「アルバムにそれだけ沢山、あなたの写真があるってことは、私の父は、余程、あなたが気に入っていたようですね」
「いや、先生は、私より坂本のほうが好きだった」
写真に載っていた、もうひとりの名前を言う時、斎田の表情が微妙にゆがんだ。
そこで英彦は切り出した。
「実は――父の残したダンボール箱を整理していたら、一番奥から当時の日記らしきものが出てきました。それを読むと、父はあなたや坂本さんと、そのう――特別な関係にあったようですね」
斎田会長は何も言わなかったが、内心、動揺しているようだ。
「父はあなたの気を引くために、わざと坂本さんと仲良くした、とも書いていました」
それを聞いた途端、アルコールに赤く染まった老人の顔がゆがんだ。小皺の寄った目に、みるみる涙が滲んでくる。
「わしは――わしは――」
斎田は頭を抱え込んだ。そして嗚咽し出した。
誘導したとは言え、予想以上に純粋な老人の反応に、英彦は慌てた。彼は老人の横に行って、小さな肩を抱いてやった。
「斎田さんの気持ちはよく分かります。できることなら、私が親父に代わってあげたいくらいです――」
話の途中で、ごく自然に、老人がしがみついてきた。
(どうしてこうなったのか?)
わずかに残った理性で、英彦は考えた。
これまで女と寝るために、軟派のテクニックをあれこれ使ってきた。長年やっていると、意識しなくても自然に出来るようになる。そしてベッドの中でも、大概の女を半狂乱になるほど善がり狂わせた。
その対象が、いつの間にか爺さんに変わっている。銀狐と関わりだしたのが原因なのか。あるいは、密かに男色行為をしていた父の血がそうさせたのか――。
とにかく英彦は、裸になって、小柄な老人の体を抱いていた。
80歳になる斎田は、慣れたテクニックで英彦を昂らせた。そして今、小さな体を開いて、彼が入ってくるのを待っている。
英彦はあてがうと、斎田の顔を見ながら力を加えた。カリの部分が通過するとき、老人が顔をしかめたが、あとは驚くほどスムーズに入った。
女泣かせの腰使いで、ゆるやかに動き出すと、老人が顎をのけぞらせて泣き出した。
英彦は、自分の逸物が硬く隆起して、老人の体内を滑るのを感じた。粘膜の摩擦がもたらす快感が、急激に上昇する。女とは違う性交の歓びに、目覚めた思いがした。
――**――
日本のお祭りでもないのに、多くの人が浮かれるクリスマス・イブの日。
大島一成は、まったく浮かれる気分ではなかった。
彼は、会計士の矢野が運転する車に押し込まれて、不安におののいていた。すぐ横には、野本の用心棒のタカがいる。
「返済期限の大晦日までは、まだ日があるじゃないですか」
「うるさいっ!先生が、12月分の利子をご所望だ」
嫌も応もなかった。タカがいきなりやって来て、一成を事務所から引きずり出そうとした。止めようとしたチーちゃんが、自慢の合気道の構えをとったのはいいが、いとも簡単に殴られて、あえなくノックダウンした。
野本には、まだ1億円を返していなかった。デコちゃんが、自分に考えがあると言って、金をどこかに持って行ったのだ。
そのデコちゃんが、今日、銀狐に来る予定だった。彼の電話では、全てうまくいくから安心しろ、と言っていた。
(何がうまくいくんだろう?)
一成はちっとも安心できなかったが、とにかくデコちゃんだけが頼みの綱だった。
そんな矢先に、野本の用心棒に拉致されたのだ。
「えっ!連れて行かれた――」
「ひと足違いだ。なんでも、12月分の利子を払えとか言って」
英彦が銀狐に着いたとき、事務所には千秋と清司、それに謙二の3人がいた。
千秋が事情を話した。殴られた片目の周りが、紫色の隈になっている。
英彦は素早く考えて、腹をくくった。
「じゃあ、私が野本の所に行ってくる。表のミニクーパーを借りるよ」
「デコちゃん、気を付けて。危険を感じたら、無理をせずに戻ってくるんだよ」
清司が心配そうに言って、英彦は微笑んだ。
「大丈夫、無理はしないよ。ところで野本の事務所はどこにあるの?」
それまで黙っていた謙二が、突然言った。
「ぼくが運転します。場所は知っていますから」
「えっ、大丈夫なの?」
謙二は大きく頷いた。いつもの温厚な童顔が、覚悟したように引き締まっている。
英彦は助手席に乗って、野本の事務所に向かいながら、冷静に作戦を立てようとした。
しかし、一成のことを思うと、心が乱れた。
最近、自分でもおかしいと思っていた。離れていると、ふと、一成の顔が浮かんでくる。いかにも人の好さそうな、小造りの目鼻立ち。生真面目そうで、初心っぽくて、どことなくとぼけている。それにどういうわけか、顔とワンセットになって、横に張ったでっぷりとした尻がイメージの中に登場する。
(鎌倉の爺さんの前で、イッちゃんを犯したせいだろうか?)
とにかく、一成のことを思うと、妙な気分になってくる。庇護してあげたいような、思いっ切り苛めてあげたいような、複雑な感情だった。
事務所には、初老の会計士と若い用心棒、それに経済学者の大島啓二がいた。
英彦はまず、経済学者に声をかけた。
「やあ、大島先生ですね。ここで会えるとは光栄だ。テレビでよく拝見していますよ」
大島啓二は顔をしかめて、嫌そうにそっぽを向いた。
「それで、うちの社長は、野本先生のところにいるんですね」
英彦が奥へ行こうとすると、若い用心棒が立ち塞がった。千秋を殴った男だ。
「てめえ、どこに行きやがる!勝手なマネはするなっ」
英彦はちっとも動じなかった。彼は場違いなほど、のんびりと言った。
「ここはチンピラの出る幕じゃないよ」
「なにおっ、この野郎!」
若い男がいきなり殴りかかった。
部屋にいた人間には、次に何が起こったのか分からなかった。
英彦が体を沈めた瞬間、用心棒の体が空中遊泳して、2メートル先の壁に激突した。その衝撃で部屋が振動した。
――ギャン!
用心棒は、ひと声呻いた。アマガエルのように、壁にへばりついて大の字になった体が、そのまま壁伝いにズルズルと落下した。床で悶絶して、あとはピクリとも動かない。

奥の部屋に入ると、お祭りの真っ最中だった。松葉崩しの要領で、イッちゃんが野本に犯されている。
「なんだ、貴様は!」
野本が気づいて叫んだ。荒い息をついている。
英彦は、目の前の光景も目に入っていないかのように、穏やかな声で言った。
「白取と申します。大島一成さんの代理で、借金の返済に来ました」
「バカやろう!他人の濡れ場にノコノコと出て来おって。ちっとは、場をわきまえろ」
「それは失礼しました。でも、既に水をさした後ですから、休憩してお話しませんか」
野本は内心、オヤッと思った。ブルっているかと思いきや、結構、老獪な奴だ。
しかし野本とて、これまで数々の修羅場をくぐり抜けてきた男だ。ゆったりと一成から引き抜くと、立ち上がって、前を隠しもしないで闖入者に言った。
「お前、いい体をしてるやないか。話の前に、ちょっと遊んでみるか」
野本は長年、合気道をやっていて、腕には自信があった。目の前の男を組み敷いて、肉のたっぷりとついた尻を無理矢理こじ開け、泣き叫ぶのを構わず犯しまくる――そんな光景が頭の中で浮かんだ。
ところが相手は、野本の股間を見ながら、のうのうと言った。
「遠慮しておきます。お見受けしたところ、とても大きなお道具ですし、野本先生は合気道6段と聞いております。でも――どうしてもとおっしゃるのであれば、お相手しますけど」
(この余裕は何なのだ?)
野本は訝った。しかも相手は、こちらが合気道をやっていることまで知っている。
そこでとりあえず、様子見に出た。
「だったら、うちのタカを相手にさせてやる」
今度も空振りだった。男は申し訳なさそうに言った。
「それは難しいと思います。その若い人なら、さっき出会い頭に私とぶつかって、外で伸びちゃってます。誠に申し訳ないことをしました」
途端に野本は、すっかり萎えてしまった。さっき部屋の外で大きな音がしたのは、タカがやられた音だったのだ。
男はのんびりと言った。
「じゃあ、そろそろ服を着て、お話しますか」
30分後、野本は怒りに震えていた。と同時に、初めて味わう敗北感も覚えていた。
同席する経済学者の大島や会計士の矢野も、蒼白な顔色をして押し黙っている。
白取と名乗った男は、淡々とした調子で話した。
大島一成が借りた5千万円――既に1千万円返済しているので、正確には4千万円が、たった4年足らずで1億円になるのは、いかに書類があっても違法な高金利である。異論があるなら、裁判所でお話することになる――云々。そして白取は、彼の論拠を示すように、資料を提出した。
その資料を見たとたん、矢野の顔がスッと白くなった。これまで野本に命じられて、矢野本人がやってきた、不正会計処理の裏資料の数々――。
どこでこんな資料を手に入れたんだ、という疑問より、この資料が公になれば、確実に人生が終りになる。彼の目の前で、冷たい鉄格子が浮かび上がった。
それはシロウトの野本でも、容易に理解できた。腹の中は煮えくり返る思いだったが、何の反撃もできないことが分かっていた。
それを十分承知していながら、白取が言った。
「あっ、すみません。余分な資料が紛れ込んでいたようです。返して下さい」
矢野が震える手で書類を持って、白取に返そうとした。
野本がその手を押さえた。
「それで――そちらの要求は何だ?」
「この場で、あなたに借りた金を返したいだけです。小切手をご用意しています。あなたからは、金銭貸借が完済した旨の書類へのサイン。あっと、この前、大島一成がサインした書類も返してください」
英彦は、謙二に持たせた鞄から、小切手と書類を取り出した。書類のほうは、堀田弁護士に用意してもらったものだ。
彼は小切手帳を開いて、野本に聞いた。
「で、金額はいくらにすれば、よろしいんでしょうか?」
「4千万円」
野本が、ブスッとして言った。
「えっ!と言うことは、利子は要らないと言うことでしょうか?」
英彦が大袈裟に驚いて、しらじらしく確認した。
「ああ――その紙代と思ってくれ」
会計士の手元にある書類に向かって顎をしゃくりながら、野本が苦々しく言った。
手続きが終わると、英彦はおもむろに大島啓二のほうに向き直った。
「今度は、大島先生から借りた、1千万円の返済をしますよ。確か、利子は要らないという約束でしたね」